第63話:「渡河:2」
「私(わたくし)の、真意? 」
そのエドゥアルドの問いかけに、アントンは不思議そうに眉をひそめる。
「いったい、なんのことでございましょう? 」
「貴殿が最初、まずバ・メール王国軍と合流するという、あまりにも消極的な、慎重な作戦を考えていたその理由を、おうかがいしたいのだ」
だが、エドゥアルドにそう言われると、アントンは納得したようにうなずいた。
「しかし、すでに状況は変わり、私(わたくし)が作戦を考えていた時と同じではありません。
皇帝陛下からの決は下り、すでに帝国軍は動き始めてもおりますし、私(わたくし)も、この状況であれば、ベネディクト公爵のおっしゃることは、誤りであるとは思えません。
今さら、私(わたくし)の考えなどを聞いたところで、エドゥアルド公爵のご参考にしていただくことはできないでしょう」
うなずいたものの、アントンはそう言って首を左右に振る。
自分の考えていたことを明らかにしても、無駄なことだと考えているようだった。
「いや、ぜひとも、うかがっておきたいのです」
そんなアントンに向かって、エドゥアルドは身を乗り出すようにして言葉を続けた。
「僕は、若輩者です。
戦場に出るのはこれが初めてですし、なにより、僕は孤児(みなしご)です。
実戦における指揮の取り方は、我が国の将校たちから学ぶことができます。
ですが、俯瞰(ふかん)した視点から全体の状況を見渡し、適切な作戦を立てるという点においては、我が国にはアントン殿ほどのお人はおりませんし、僕は、父上からその術を学ぶことができません。
ですから、ぜひ、この場でご教授いただきたいのです」
「ワシも、せっかくじゃし、聞いておきたいのぅ。
アントン殿といえば、我が帝国では名の知れた将校。
きっと、実のある話を聞けるじゃろうて」
エドゥアルドの願いを補強するように、クラウスが言葉を続けた。
「なるほど。
そういうことで、ございますのなら」
アントンはまだ気が進まないという様子だったが、2人の公爵から強く願われては断ることもできず、そう言ってうなずくと彼がなにを考えていたのかを説明し始める。
「私(わたくし)が懸念しておりましたことは、3つ。
1つは、補給のことでございます」
「補給?
今、この野営地に物資は十分にある様子だが、これでは足りぬのか? 」
「はい。必ず、不足いたします」
首をかしげたエドゥアルドに、アントンははっきりとうなずいてみせ、説明を続ける。
「アルエット共和国は、長年続いて来た内戦によって、疲弊(ひへい)しております。
我が方が進撃したとしても、道々で容易には食料などの物資は得られないでしょう。
軍の活動に必要なものをすべて、輜重(しちょう)によって運ぶ必要があるのです。
ですから、私(わたくし)はまず、バ・メール王国軍と合流し、タウゼント帝国とバ・メール王国、双方からの補給線を確保しようと考えたのでございます」
補給の問題は、ここまでノルトハーフェン公国軍を行軍させてくることに多くの根回しをする必要のあった今のエドゥアルドには、容易に想像できることだった。
タウゼント帝国内では十分な物資の備蓄があり補給に困らなかったが、内戦によって疲弊(ひへい)しているアルエット共和国内では、確かに満足のいくような補給は受けられないだろう。
だが、バ・メール王国軍と合流すれば、帝国とバ・メール王国から2つの補給線を確保できるといっても、別の問題が生じる。
1か所に多くの軍勢が集結してしまうと、必要な補給物資が膨大(ぼうだい)なものとなり、十分な補給物資があっても輸送する経路がパンクしてしまう恐れがあった。
「もう1つは、バ・メール王国軍が国境近くで苦戦し、我が方が敵の首都に進軍しても、すぐには合流できない恐れがあったからでございます」
アントンが、補給についてメリットもあるが、デメリットも大きい方針を考えていたのには、別の理由もあるようだった。
「アルエット共和国は、バ・メール王国の国境近くに、要塞を築いております。
バ・メール王国軍8万に対して国境を守る共和国軍は5万と数では劣りますが、この要塞に籠もって戦えば、長期にわたって戦線を支えることは容易であると考えておりました。
ですので、我が方が素早く合流し、助力することによって、早期に要塞を陥落させ、アルエット共和国中枢への侵攻経路を切り開こうと考えておりました。
もっとも、これは、私(わたくし)の完全な読み間違いでございました。
敵軍は自ら要塞を捨てたため、バ・メール王国軍は簡単に国境地域を突破したようでございます」
「なるほどのぅ。
ま、相手も人間じゃし、そういうこともあるじゃろうて」
ついこの間、大きな読み間違いをして囚(とら)われの身となった経験を持つクラウスは、アントンの自嘲するような様子に共感したのか、なんどもうんうんと大きくうなずいた。
「それで、アントン殿。
3つ目の理由は? 」
「敵将の、性格でございます。
これが、私(わたくし)がもっとも懸念していたことでございます」
エドゥアルドが先をうながすと、アントンは真剣な表情でうなずいた。
「その名前なら、僕も、聞いています。
アレクサンデル・ムナール。
アルエット共和国、革命軍の総司令官にして、同国の内乱において革命軍を勝利へと導いた立役者、でしたね? 」
「はい。左様です、エドゥアルド公爵」
エドゥアルドの確認を肯定すると、アントンは視線をアルエット共和国の方へと向けながら言葉を続ける。
「ムナール将軍は、まだ32歳と若く、私(わたくし)よりも軍歴という点では大きく劣っております。
しかしながら、ムナール将軍の用兵は、私(わたくし)には想像もつかないのです。
そして、その想像もつかないような用兵によって、彼は精強であったはずのアルエット王国軍を打ち破り、革命軍を勝利へと導きました。
相手に戦力で劣る、そんな状況を、ムナール将軍は何度もくつがえして来たのです。
私(わたくし)のような凡百の将校などには思いもよらないような指揮によってです。
私(わたくし)も、できるだけの情報を集めたのですが、未だにムナール将軍がどんなことをしかけて来るのか、予想がつきません。
兵力で優位な状況を作っても、彼に勝利できるという確信を持てなかったのです。
ですから私(わたくし)は、必勝の形勢を築きたかったのです。
軍人として、お恥ずかしいことではありますが、私(わたくし)は、ムナール将軍の、敵の才能と優越とを、認めざるを得ないのです」
(アレクサンデル・ムナール、か……)
その、本心からとしか思えないアントンの言葉に、エドゥアルドはその敵将の名前を強く意識していた。
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