第54話:「カール11世:1」

 ミヒャエル中尉より、カール11世から参上せよという言葉を伝えられたエドゥアルドは、すぐに丘を降りて行った。

 タウゼント帝国の諸侯にとって皇帝の命令は絶対であったし、なにより、今後どのように帝国軍が動くのかを決める、重要な作戦会議が開かれるのだと思ったからだ。


 そうなることを予想してあらかじめ公爵としての正装に着替えていたエドゥアルドは、エドゥアルドの寝所のベッドメイキングをしていたルーシェに遅くなることを告げると、ヴィルヘルムと共に皇帝のテントへと向かった。


 カール11世のテントは、先着していたヴェストヘルゼン公国軍が整地した広い用地に建てられていた。

 ひと際大きく、豪華な装飾の施されたテントで、皇帝がそこに所在していることを示す皇帝の旗と、タウゼント帝国の国旗が周囲にいくつもひるがえっている。


 そしてそのテントの近くには、主要な諸侯や将校を集めて作戦会議を開くための大きなテントも用意されていたが、しかし、不思議なことにまだ誰も集まってはいなかった。


 作戦会議が開かれるのに、他の諸侯が集まるのに遅れてはならないと急いで来たエドゥアルドだったが、まさか自分が一番乗りできるとは思っていなかった。

 用地を他の諸侯に遠慮して野営地を築いた結果、ノルトハーフェン公国軍の野営地は、カール11世のテントから少し離れたところにあるのだ。

 だから、急いだとはいっても、他の諸侯が先に集まっているだろうと思っていた。


 エドゥアルドをさらに驚かせたのは、まだ、作戦会議を行うためのテントが完全には設営され終わっていない、ということだった。

 外形はできあがってはいたが、そこにはまだ作業の兵士たちがおり、地図などを広げるための大きな机や、諸侯や将校たちを座らせるためのイスなどを用意しているところだった。


 早く来すぎてしまったか。

 エドゥアルドはそう思ったが、しかし、皇帝の側近くで仕えている侍従がエドゥアルドを出迎え、カール11世がエドゥアルドを待っていることを伝えてくると、さらに困惑することになってしまった。


 つまり、カール11世は、エドゥアルドだけを先に呼んだのだ。

 しかし、いったい、なんのために?


 エドゥアルドはまだカール11世とは会ったこともなく、2人の間の関係といえば、エドゥアルドがノルトハーフェン公爵として親政を開始することを許可するという書状をやり取りしたことがあるくらいだ。

 そんな希薄な関係でしかないエドゥアルドを、なぜ、これから作戦会議をしなければならないという忙しい時間にわざわざ呼び出したのか。

 エドゥアルドには、少しも見当がつかなかった。


 だが、皇帝が呼んでいるのだから、会わないわけにはいかない。

 エドゥアルドは同行してきていたヴィルヘルムと別れ、侍従に案内されるがまま、カール11世のテントへと向かって行った。


 どうやら、この皇帝との謁見(えっけん)は、内々のことであるらしい。

 普通なら侍従は声でエドゥアルドがやってきたことをカール11世に伝え、テントに入ってよいかどうかを確認するのだが、侍従はそれをせずに静かにテントの中に入っていくと、少ししてまた外に出てきて、エドゥアルドに入るように伝えてきた。


 エドゥアルドは、ゴクリ、と生唾を飲み込み、緊張で身を固くする。


 理由はわからないが、皇帝がエドゥアルドのことを、それも内密に呼んでいる。

 しかも、侍従によれば、カール11世はテントの中にただ1人だけで、エドゥアルドのことを待っている。

 その異様な状況だけではなく、エドゥアルドは自分よりも[偉い]存在に会うのはこれが初めてであり、余計に緊張してしまう。


 エドゥアルドは入室をうながすように頭を垂れている侍従のことをいちべつすると、覚悟を決めて、カール11世が待っているテントへと入って行った。


────────────────────────────────────────


「お初にお目にかかります、我が皇帝陛下。

 ノルトハーフェン公爵、エドゥアルド、お召しにより、ただ今参上いたしました」


 テントの中に入ったエドゥアルドは、入ってすぐの位置でひざまずくと、まずはそう言って作法通りの挨拶をした。


「おもてを、あげよ」


 すると、エドゥアルドの頭上から、そんなしわがれた声が発せられる。


 老成した、男性の声だ。

 侍従によればカール11世は1人だけで待っているということだったので、おそらくは皇帝その人の声なのだろう。


 エドゥアルドは緊張のあまりまた生唾を飲み込んだが、すぐに「はっ! 」と答えて、ゆっくりとした動きで顔をあげた。


 目の前に、老人がいる。

 その長くのばした髪も髭(ひげ)も白く、少し色の悪い肌には多くのしわと染みがあり、どこか憂鬱そうな、物憂げな印象の双眸(そうぼう)を持つ、男性。


 その姿を目にしたエドゥアルドは、一瞬きょとんとしてしまう。


(これが、皇帝陛下、なのか……? )


 目の前にあらわれた、タウゼント帝国という大国を支配する、皇帝という強大な権力者が放つオーラに、圧倒されて。


 というわけでは、なかった。

 むしろ、その、まったくの逆だった。


 エドゥアルドの目の前にいる老人からは、なんの覇気も、鋭気も感じられなかった。

 タウゼント帝国の皇帝だけが被ることのできる冠(かんむり)を被り、上質な素材で作られた贅沢な衣服を身にまとい、臨時ではあっても玉座と呼ぶのにふさわしい豪華な装飾を施されたイスに腰かけているからには、その老人が皇帝で間違いなかった。

 だが、その老人は、それらの付属物を取り払ってしまえば、老齢に達して隠居した、どこにでもいるような農夫だと言われればそう信じてしまいそうな存在だった。


「ふふふ……。

 がっかりしたか?

 タウゼント帝国の皇帝が、このような、凡庸な老いぼれで? 」


 驚き、拍子抜けしたようなエドゥアルドの様子を見て、カール11世は少し寂(さび)しそうに微笑みながらそう言った。


 その言葉を聞くと、エドゥアルドは自分がとんでもないミスを犯してしまったことに気づき、慌ててその場に深々と頭を下げた。


「そ、そのようなこと、滅相もございません! 」

「よい、よい。

 朕が凡庸であること、それは、朕自身が、一番よく知っておる」


 さっそく、不敬罪で首が飛ぶことも覚悟したエドゥアルドだったが、カール11世は少しも怒りを見せず、そう言って笑い飛ばす。


 だが、エドゥアルドはもう、顔をあげることができなかった。

 カール11世に気分を害したような様子は少しもなかったが、冷や汗が止まらない。


「ちこう、よれ。

 顔も、あげよ。

 それでは、話しにくいではないか」


 しかし、恐縮しきりのエドゥアルドに、カール11世はさらにそう命じる。

 それは穏やかな口調ではあったが、断固とした命令であった。

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