第53話:「集結」

 ヘルデン大陸の中央部に位置するタウゼント帝国と、その西方に位置するアルエット共和国とは、1本の河で隔てられている。

 大陸の中央部から大雑把に言って北西方向に向かって流れていくその河、グロースフルスは、その長大さで知られていた。


 いわゆる、国際河川と呼ばれるものだ。

 その流路にはタウゼント帝国、アルエット共和国、バ・メール王国の3か国があり、一部でその国境線を形成する自然地形として機能している。

それだけではなく、流れが穏やかで水量も豊富なことから上流までずっと船でさかのぼっていくことができるという特徴から、古くから重要な交易路として利用されて来た。


 ノルトハーフェン公国にも川はあったが、グロースフルスの流れは、エドゥアルドたちが目にしてきたどんな河よりも雄大なものだった。

 なにしろ、その河幅は数百メートルもあり、広いところではキロメートル単位にもなる。

 そして、それだけの広大さで、滞ることなく水が流れ続けているのだ。


 ノルトハーフェン公国からタウゼント帝国の領内を西へと進み、そのグロースフルスの雄大な流れに突き当たったノルトハーフェン公国軍は、そこから進路を南へ変え、グロースフルスをさかのぼって行った。

 タウゼント帝国の皇帝、カール11世は、諸侯を参集するのにあたって、川幅が広く渡河のしにくいグロースフルスの下流ではなく、幅が狭く渡河のしやすい上流により近い場所を集結地点として指定していたからだ。


 ここまで順調に行軍して来たノルトハーフェン公国軍だったが、グロースフルスまで来ると、その行軍速度を落とすこととなった。

 広大なグロースフルスによって隔てられているとはいえ、河の向こう側は敵国であるアルエット共和国であり、念のために警戒を強める必要があったからだ。


 エドゥアルドは騎兵隊を割いて前方に広く斥候を出して警戒させるのと共に、前装式ライフル銃を装備した軽歩兵部隊を戦列歩兵の隊列の左右に置いて周囲を守らせた。

 グロースフルスを大軍が渡河するためには大きな橋が必要だったが、少数であれば小舟などで簡単に渡ってくることができるため襲撃を受ける可能性は否定できず、こういった備えをとることは必要なことだった。

 そのために、ノルトハーフェン公国軍の行軍速度は、それまで1日に30キロ近くも進めていたにもかかわらず、1日に20キロ程度にまで低下してしまった。


 だが、ここまでの行軍が順調そのものであったために、ノルトハーフェン公国軍がカール11世の指定した集結地点に到着したのはかなり早く、定められた期日まではかなり時間に余裕があった。


 ノルトハーフェン公国はタウゼント帝国の西部の国境地域からは比較的遠い立地であったために、さすがにエドゥアルドたちが一番乗りではなかった。

 すでにグロースフルスの近くに領地を持っていた諸侯を中心として、万を超える軍勢が集結を終え、タウゼント帝国を象徴する黒豹の紋章や、それぞれの家紋の描かれた旗をかかげて野営地を築いていた。


 その中でも大きな集団は、ヴェストヘルゼン公国の軍勢だった。

 元々タウゼント帝国の西方の国境地域にその領地を持ち、周辺の諸侯と共に国境防衛を主任務としていたヴェストヘルゼン公国は、カール11世が招集したタウゼント帝国軍の先鋒となるべき存在であり、また、皇帝とその軍勢を受け入れるための下準備を整えておくことも求められていた。

 距離が近いこともあって先着していたヴェストヘルゼン公国軍は、すでに野営地を築き終え、皇帝を迎え入れるための用地の確保するための作業を進めていた。


 まだ日の高い内に到着したエドゥアルドたちだったが、すぐに野営地の設営を始めることはできなかった。

まず、野営地をどこに設営するか、その敷地のことを十分に検討する必要があったからだ。

 そこにはすでに数万もの軍勢が集まっていたが、その数はこれからさらに増え、必然的に辺り一帯は兵士たちのテントなどで埋まることになる。

 だが、周囲の平らで開けた土地は限られていて、各諸侯はその限られた場所を分け合わなければならなかった。


 単純に、早い者勝ちというわけにはいかない。

 もっともよい場所は皇帝とその親近を守る親衛軍のために残しておかなければならなかったし、それ以外の場所も、先に到着したからと言って広く占有してしまっては、他の諸侯から余計な恨みを受けることにもなりかねないからだ。


 エドゥアルドはつき従って来た測量技師などに命じて簡単に測量をさせた後、他の諸侯に少し遠慮して、最低限の面積だけをノルトハーフェン公国軍の野営地として利用することとした。


 ノルトハーフェン公国はタウゼント帝国の中でも5本の指に入る国家ではあるのだが、その国家元首であるエドゥアルドはまだ若年であり、直接顔を合わせるのは今回が初めて、という相手ばかりだ。

なのでエドゥアルドは、年長者たちに配慮を示すことで、少しでもその覚えを良くしておきたかった。


 エドゥアルドたちが野営地を設営している間にも、集結地点には続々と諸侯の軍勢が集まってくる。


 その陣容は、まず、タウゼント帝国に5つ存在している被選帝侯だけでも、到着した順に、ヴェストヘルゼン公国軍2万2千、ノルトハーフェン公国軍1万5千、アルトクローネ公国軍1万、オストヴィーゼ公国軍1万3千、ズィンゲンガルテン公国軍2万の、計8万人。

 その他の諸侯の軍勢がさらに5万ほども集まってきており、そして、皇帝直属の親衛軍5万も到着した。

 合計、18万にもなる軍勢で、その内訳には直接戦闘には加わらない支援要員も多く含まれてはいるが、十分に大軍と呼べるものだった。


「壮観、だな」


 ノルトハーフェン公国軍の野営地から少し離れた小高い丘の上にのぼり、望遠鏡で集まったタウゼント帝国軍を眺めていたエドゥアルドは、思わずそう呟いていた。


 辺りの森の中にも、平野にも、数えきれないテントが建てられ、夕暮れの赤い光の中で炊事の焚火(たきび)や暗がりを照らすためのかがり火が無数に燃やされ、たくさんの人間がうごめいている。


 エドゥアルドがここまで連れてきたノルトハーフェン公国軍の1万5千名も十分に多い数ではあったが、これだけの人数がいるとそれもかすんで見えてしまう。


「いかがでしょうか、公爵殿下。

 殿下も、これだけの軍勢を動かしてみたいと、そうお思いにはなりませんか? 」


 その時、エドゥアルドの隣で同じように集まった帝国軍の姿を眺めていたヴィルヘルムが、唐突にそう言った。

 その冗談めかした口調に、エドゥアルドは思わず苦笑しながらヴィルヘルムを振り返る。


「いや、僕には、とても。

 まだ、ノルトハーフェン公国軍を無事に率いるだけでも、精一杯だ。


 それより、そういう貴殿は、どうなのだ? 」

「私(わたくし)は、できれば、人生で1度はこれだけの軍勢を采配(さいはい)してみたいと思っております。

 まぁ、あくまで夢、出過ぎた考えではでございますが」


 ヴィルヘルムは口ではそう言ったものの、その柔和な表情からは、本当に夢のような叶わないものと思っているのか、現実にさせたいと願っているのかは、わからない。

 だが、その視線は、なんというか、エドゥアルドを焚(た)きつけようとしているようでもあった。


 エドゥアルドはまだ若年ではあったがノルトハーフェン公爵だった。

 そしてノルトハーフェン公爵家は、被選帝侯の1つ。

 さらに言えば、皇帝、カール11世はすでに老齢の人だった。


 次の皇帝が、エドゥアルドになることは、まったくの絵空事ではないのだ。


「よしてくれ、プロフェート殿。

 僕は、自分の国を豊かで、平和な国にできれば、それで十分だ」


 エドゥアルドは一瞬だけ自分が皇帝についたらということを空想して、その想像を慌てて打ち消した。

 まずは、ノルトハーフェン公国を円満に治めなければ。

 エドゥアルドにとっては皇帝という存在は、まだ会ったことのない、実感のない存在でしかなかったのだ。


 その時、丘の下の方から、ミヒャエル中尉が駆けのぼって来て、エドゥアルドたちに参上せよという、カール11世の言葉が伝えられた。

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