第55話:「カール11世:2」

 エドゥアルドは、おずおずとした動きで、ゆっくりと前へとにじりより、皇帝がもうよいと言うまで近づくと、顔をあげた。


 ノルトハーフェン公爵として、立派に挨拶をし、皇帝からのおぼえを少しでも良くしておきたい。

 そんな風に考えていたのに、エドゥアルドはまだ正直すぎて、ミスを犯してしまった。


 公爵となって政務をとるようになり、自分の思い通りの国づくりを始めたエドゥアルドは、それがうまく進んでいることで、少し自分に自信を持ち始めていた。

 だが、そんなものは、一瞬で吹き飛んでしまった。


 目の前に、皇帝がいる。

 エドゥアルドの運命を、その思いつき一つで簡単に決めてしまうことのできる、圧倒的な力を持った存在が、そこにいるのだ。


「そうだ。

 それで、よい」


 カール11世は、緊張しながらも顔をあげたエドゥアルドの姿を見て、満足そうになずき、微笑んだ。

 それから、じっと、観察するようにエドゥアルドの顔を見つめる。


 なぜ、こんなに、自分の顔を観察しているのか。

 エドゥアルドには、ここに自分1人だけで呼び出された理由もわからず、カール11世が自分の顔を観察している意図もわからなかった。

 だが、皇帝の前で自分からなにかを言葉にするようなこともできずに、ただ、沈黙していることしかできなかった。


「ああ……。

 やはり、似ておるな」


 やがてカール11世は、そう呟くと、視線を上へと向け、なにかを懐かしむように嘆息(たんそく)した。


「先代の、ノルトハーフェン公爵。

 エドゥアルドよ、汝には、確かに、その父親の面影がある」

「……きょ、恐縮で、ございます」


 エドゥアルドは言葉通り恐縮して、軽く頭を下げる。


 すると、突然、そのエドゥアルドの頬を、正面からのびてきた手が包み込んだ。

 しわくちゃで、生暖かい、手の平。


 カール11世はその両手をのばし、エドゥアルドの顔を持ち上げるようにしていた。


「へ、陛下……? 」


 自分のことをじっと見つめてくるカール11世の様子に、エドゥアルドは酷く戸惑っていた。


 皇帝は、本当に、なにを考えているのか。

 ただの気まぐれでエドゥアルドの顔をよく見ようとしているのか、それとも、他になにか意図があるのだろうか。

 なにもかもが、わからない。


「本当に、よく、似ておる。

 先代のノルトハーフェン公爵がまだ若き時、朕がまだ皇帝ではなく、アルトクローネ公爵でしかなかった時に、初めて言葉を交わした時のことを思い出す」


 戸惑いながらも、相手が皇帝なのでなされるがままとなっているエドゥアルドに向かってカール11世は懐かしそうに双眸(そうぼう)を細めながら言うと、すっと静かにエドゥアルドの顔から手を離した。


 そして、驚くべき行動に出る。


「朕が汝をここに呼び出したのは、ほかでもない。

 朕は、汝に、謝罪をせねばならぬのだ。


 朕の出過ぎた望みのために、汝の父親を、奪ったこと。

 誠に、すまなかったと、そう思っておる」


 カール11世はそう言うと、突然、エドゥアルドに向かって頭を下げたのだ。


 ────────────────────────────────────────


 カール11世の治世は、平凡なものとして知られている。

 彼は皇帝となってからも大きな特徴のある政治は行わず、旧態依然とした帝国を旧態依然としたまま引き続き、手を加えることなく統治して来た。


 ただ、政治的な能力がない、暗愚な皇帝だったわけではない。

 カール11世の治世の間、帝国は対外戦争を実施することもなく、内乱もなく、民は穏やかに暮らし、平和で豊かな暮らしを臣民は享受(きょうじゅ)していた。


 危なげなく、だが、歴史に名を残すような目だったこともなく。

 カール11世の治世は平凡に行われ、平凡に終わるはずだった。


 だが、そんなカール11世だったが、その人生でたった1度だけ、自ら戦争を起こしたことがある。


 それは、数年前のこと。

 カール11世は、タウゼント帝国の南東部に存在する強大な国家、サーベト帝国に対して、親征を行うと宣言し、タウゼント帝国の諸侯を集めて侵攻を行ったのだ。


 政治的な意味合いの薄い、目的の曖昧な戦争だった。

 タウゼント帝国とサーベト帝国は数百年来の隣国であり、その人々が信仰する宗教が異なることから、度々戦争をくり返して来た。

 だが、宗教の影響力が絶対であった時代が過ぎ去ると、両国はとりたてて親密にはならなかったが、通商関係を結ぶなど平和的に、つかず離れずの関係を持っていたのだ。


 カール11世が起こした戦争は、帝国にとって差し迫った脅威ではなかった隣国に対して起こされたもので、大義に乏しいものだった。

 タウゼント帝国がサーベト帝国を攻撃したところで、さしたる利益はなかったのだ。

 少なくとも、大勢の人命を損ない、国土を焼損させてでも得たいと人々が願うようなものは、なにもなかった。


 だが、カール11世は軍を起こした。


 皇帝自身が明言したわけではないが、この、平凡な皇帝が起こした戦争の理由には、ある噂がささやかされている。

 いわく、皇帝は、自らの平凡な人生に、後世に書き記すべき目立った事績を加えるために、戦争を起こしたのだ、という噂だった。


 そうして、タウゼント帝国の諸侯も、そこに暮らす人々も、なんのために戦わねばならないのかわからないまま始められた戦争は、痛み分けに終わった。

 当初は大きく国境を広げたものの、サーベト帝国の抵抗によりタウゼント帝国軍は苦戦を強いられ、長期戦の消耗によって自ら後退しなければならなくなった。

 戦争は白紙和平となり、タウゼント帝国もサーベト帝国も、その国力を浪費しただけで終わった。


 そんな、戦争を始めた意味も、その結果得られた成果にも乏しい、カール11世が個人の自己満足のために始めたのだとさえ噂されている戦争。


 そんな戦争で、エドゥアルドの父親は戦死したのだ。

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