第50話:「密航者:1」

 そこは、まだノルトハーフェン公国の国内だった。

 ノルトハーフェン公国の西の国境地域にある街で、人口は数千人ほどの、エドゥアルドに仕える準男爵の内の1人の領地だ。


 いわゆる、宿場町という場所だった。

 ちょうど朝にポリティークシュタットを出て歩き続けると夕方に到着できる距離にあるためか、旅人や商人たちのための宿泊業で発展してきた街だ。


 初日の行軍を終えたノルトハーフェン公国軍の宿泊場所としては、絶好の場所だった。

 元々宿泊施設が多かったために多数の兵士を収容できるだけの設備があり、兵士たちや馬たちの胃袋を満たすための食料も豊富にある。


 エーアリヒの手配によって、街ではノルトハーフェン公国軍の受け入れ準備が整えられていた。

 兵士たちは割り当てられた宿泊所へと案内されていき、エドゥアルドもまた、ヴィルヘルムやペーター、主要な将校たちと共に、この街を治めている準男爵の館へと案内された。


 準男爵はそこで、エドゥアルドたちのために食事を用意してくれていた。

 家臣として仕えている、主人である公爵を宿泊させるのだから、臣下として相応のもてなしを準備してくれたようだった。


 エドゥアルドは食事の準備が整うまでの間、用意された部屋で休息をとることにした。

 行程は順調で、エドゥアルドは馬に乗っていたとはいえ、長い距離を進んで来たのだから、さすがに疲れを感じていたからだ。


 エドゥアルドがソファに腰かけ、準男爵の館の使用人が用意してくれたコーヒーを飲みながらゆっくりと休んでいると、館の使用人たちがエドゥアルドの荷物を部屋にまで運んできてくれた。


 兵士たちは従軍するのに最低限必要な、個人で背負って行けるだけの物しか持ってきてはいないが、エドゥアルドは公爵であるので、いくつか従軍するのに直接は関係しない私物を持ち込んできている。

 それでもその多くはエドゥアルド自身の衣装など、皇帝の御前に参上する際に公爵として必要なものばかりで、他の貴族のように、好みの酒や華美な食器や宝石類などの、本当にまったく必要のないものは一切、持ち込んではいない。


 エドゥアルドは派手な装飾や、豪華な贅沢(ぜいたく)は好まない。

 だから本当に最低限の私物しか持ってきていない。

 そのはずだった。


(変だな……? )


 エドゥアルドがそういぶかしく思ったのは、使用人たちが運んできた荷物が、エドゥアルドの記憶にあるものよりも多かったからだった。


 エドゥアルドは確か、マーリアとシャルロッテに手伝ってもらって荷物をまとめ、1つの大きめのスーツケースにすべてを詰め込んで持ってきているはずだった。

 だが、使用人たちは、同じくらいのサイズのスーツケースを2つ、運んできた。


 しかも、1つはやたらと重そうだった。

 まるで人1人が中に入っているのではないかと思えるほど重そうで、使用人たちは2人がかりでそのスーツケースを持ってきた。


 別の誰かの荷物と間違われたのかともエドゥアルドは思ったが、しかし、2つのスーツケースにはどちらも、ノルトハーフェン公爵家の所有物であることを示す舵輪の紋章が刻印されている。

 両方とも間違いなく、エドゥアルドの物だった。


 エドゥアルドはまず、軽い方のスーツケースを開いた。

 するとその中には、エドゥアルドの記憶にあった通り、エドゥアルドのための衣装がぎっしりと詰め込まれていた。


 必要な物をきちんと持ってくることができていたと確認したエドゥアルドは、ひとまず、準男爵のもてなしを受けるために旅装から着替えることにして、こういったシチュエーションを想定して持ってきていた公爵の正装を身に着けた。


 ゴトン、と、スーツケースから物音が聞こえてきたのは、エドゥアルドがちょうど着替え終わったくらいの時だった。

 やたらと重そうに使用人たちが持って来た方のスーツケースからだった。


 エドゥアルドは咄嗟(とっさ)に、護身用に持ち歩いているサーベルを手に取り、その柄(つか)に手をかけた。

 物音がしたスーツケースは確かに公爵家の物ではあったが、元々エドゥアルドにはそれを持ち込んだ覚えのない、不審なものなのだ。


 シャルロッテがなにか考えがあって用意してくれたものかもしれないと思い、後で中身を確認しようかと思っていたのだが、やはりおかしい。

 シャルロッテがエドゥアルドに黙ってこういったことをするというのは考えにくいことだったし、なにより、エドゥアルドは確かに、謎のスーツケースから物音がしたのを聞いていた。


 スーツケースの中の物がひとりでに動くということは、まずないだろう。

 大きさに比して少しの物しか入っていなければ、なにかのはずみで物が動くことはあり得るだろうが、そういったことが起こって荷物が破損したりしないよう、スーツケースの中身はきちんと固定するか、クッションになるものを一緒に入れて、揺れても動かないようにするはずだからだ。

 少なくともシャルロッテであれば、そういった配慮をしているはずだった。


 しかし、物音がした。

 ということは、中に入っているなにかは、ひとりでに動き出すなにか、ということになる。


 そこまで考えて、エドゥアルドはサーベルの柄(つか)から手を放した。

 なんというか、その謎のスーツケースの中身の想像がついてしまったからだ。


 エドゥアルドはサーベルを置くと、物音がした謎のスーツケースの前に立った。

 そして深呼吸をすると、突然、バン、と強めにスーツケースを叩く。


「ひゃんっ!? 」


 すると、スーツケースの中から一瞬、驚いたような悲鳴が聞こえた。

 聞き覚えのある声だった。


 エドゥアルドは深く息を吸い込むと、大きく、長く、ため息を吐いた。


 このままスーツケースを開かず、放置することもエドゥアルドにはできた。

 正直なところを言うと、エドゥアルドの言いつけを守らず、無理やりついて来てしまうようなダメイドには、それ相応のおしおきが必要なのではないかという気持ちもあった。


 だがこのままずっとスーツケースの中に閉じ込めておくのはやはりかわいそうだと思ったエドゥアルドは、スーツケースを固定していた金具を外し、かぱっとフタを開いていた。


「あっ……! 」


 すると、エドゥアルドの予想通り、スーツケースの中にはドジっ子メイドのルーシェが入っていた。

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