第49話:「出征」
結局、戦場に向かって出征する時が来ても、エドゥアルドとルーシェはケンカをしたままだった。
といっても、2人の関係が険悪になったというわけではなかった。
ルーシェはいつも通りエドゥアルドのためにメイドとして働いてくれていたし、エドゥアルドの方も、ルーシェを遠ざけるようなことはしなかった。
ただ、2人の間にはほとんど会話がなかった。
普段の仕事をこなすのに必要な会話はあったが、いつものように2人で他愛のない雑談をすることはまったくなかった。
エドゥアルドの前に出てくるときは、ルーシェはいつも、不満そうな様子を隠そうとしなかった。
それは公爵家のメイドとしてはあるまじき態度だったが、エドゥアルドにはそれが、ルーシェがエドゥアルドのことを心配しているからだということがよくわかっていたので、特にそのことをとがめるようなことはしなかった。
お互いに、お互いのことが、心配だから。
だからルーシェは公爵家としてのメイドらしくない態度をとってでもエドゥアルドに同行する許可を出させたかったし、だからこそエドゥアルドはその許可を出すことができなかった。
エドゥアルドの決意は固かったが、その決心がぐらりと揺らぐこともあった。
エドゥアルドとルーシェは少し意地の張り合いのようになっていたのだが、いよいよエドゥアルドが出征するという日の前日になって、どうあっても戦場に同行する許可を出してくれないエドゥアルドの態度にとうとう、困り果てたルーシェは泣き出しそうになってしまったからだ。
だが、エドゥアルドはぐっとこらえて、彼女の願いを聞き入れなかった。
それが、ルーシェにとって一番安全で、一番良いことだと思ったからだ。
そうして、エドゥアルドが戦地へと旅立つ日がやってきた。
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エドゥアルドが指揮をして皇帝の下にはせ参じるノルトハーフェン公国軍は、総勢15000名ほどの集団だった。
その内訳は、まず、近衛歩兵連隊1個、第1、第2、第3歩兵連隊の、計4個歩兵連隊、約10000名。
それを、1個騎兵連隊、800名が支援する。
また、口径150ミリの野戦重砲12門、口径100ミリの野戦砲12門、口径75ミリの野戦砲12門を有する砲兵連隊が、これらの部隊に火力を与える。
残りの人数は、軍医や土木技術者などの軍属や、輜重(しちょう)をになう労働者たちや、その警護の兵士たちなどだった。
これを、エドゥアルドが指揮をするのだが、その補佐にヴィルヘルムがつく。
宰相であるエーアリヒは、エドゥアルド不在の間のノルトハーフェン公国を統治するという役割が与えられたため、公国に残留することとなっている。
つい数か月前に公爵としての実権を手にしたばかりなのだから、当然、エドゥアルドにはこれだけの人数を指揮した経験はない。
だが、エドゥアルドはこの時のために研鑽(けんさん)を積み、備えてきたのだ。
幸い、近衛歩兵連隊の連隊長を務めるペーターをはじめ、他の3つの歩兵連隊の連隊長や、騎兵連隊、砲兵連隊の連隊長たちはみな、実戦経験を持っていた。
[人をうまく使いこなすように]というヴィルヘルムからの助言に従い、エドゥアルドはこれらのベテランの将校たちに頼りながら、戦っていくつもりだった。
ノルトハーフェン公国軍は、その首府であるポリティークシュタットの近郊で集結を完了すると、そこで整列し、エドゥアルドの閲兵(えっぺい)を受けた後、事前の段取りに従って戦地へと出発していった。
まず先頭をいくのは、前方警戒と偵察のために分派された騎兵。
その後に歩兵連隊、砲兵連隊、歩兵連隊、エドゥアルドと残りの騎兵、近衛歩兵連隊、歩兵連隊、そして最後尾に軍属や輜重隊(しちょうたい)の馬車の隊列が続く。
砲兵連隊が比較的前方にあるのは、運搬が難しい砲兵が遅れて戦場に到着するようなことがないように、いざとなれば後方の部隊の助力も得て、確実に戦場に到着させるためだ。
軍隊としてはそれほど大きな規模ではなかったが、その隊列は、何キロメートルにもわたって続いていた。
その隊列は、戦地にバラバラに到着するようなことがないよう、決められた一定の速度で、一定の間隔を保って進んでいく。
兵士たちの歩調を整えるために、絶えず、ドラムや笛の音が鳴り響いている。
この時代の兵士たちの軍装は、敵軍を威嚇(いかく)するのと同時に味方を鼓舞するために鮮やかな色づかいがされていてきらびやかであり、奏でられるドラムや笛の音と合わさって、事情を知らない者からすればにぎやかなパレードに見えたことだろう。
だが、軍隊の行軍は、その見かけほどに楽しいものではない。
タウゼント帝国の領内であるからさほど厳重な警戒こそ必要なかったが、彼らは長い距離を歩き続けなければならなかったし、いつでも戦える心構えを維持するために、規律を守って進まなければならない。
そしてなにより、彼らは、場合によっては命を失うかもしれない戦場へと向かっていくのだ。
それに加えて、根本的な問題として、彼らは生きた人間と馬で作られた集団だった。
生きているということは、毎日必要な食事をし、十分な休息をとらなければならない。
つまり、エドゥアルドは兵士たちと一緒に行軍するだけではなく、彼らのために必要な食料や、休む場所を確保しなければならないということだった。
ノルトハーフェン公国の軍隊には、当面の間の活動に必要な物資を運搬するための輜重隊(しちょうたい)が付属していたが、その物資だって徐々に消費されていつかは尽きてしまうし、戦地にまで至れば、消費した物資をノルトハーフェン公国からすべて輸送するのは困難を極めることだった。
こういった事情があるから、タウゼント帝国では、皇帝の命令によって出征する諸侯の軍隊のために、その通過する道の周辺の諸侯に対し、必要な物資を供給することが義務づけられている。
自国から出なければどうしても調達することのできない物資を除いて、現地調達できる分については、現地で補給を得るように制度が整えられているのだ。
だが、ノルトハーフェン公国軍のような、15000名もの人間と、数千頭を超える馬たちのために必要な物資を供給できるほど大きな諸侯というのは、少ない。
たとえそうするだけの物資の余裕があったのだとしても、他の諸侯が先に通過した後であれば、ノルトハーフェン公国軍が後からやってきても十分な物資は提供してもらえないだろう。
だから、どんな経路で行軍するのかも、エドゥアルドにとっては十分に考えなければならないことだった。
実際に戦場で指揮能力を試されるよりも前に、エドゥアルドは、自分の軍隊を十分に戦力として活動できるだけの状態に保ったまま、戦地へと連れて行かなければならないのだ。
ここでも、オストヴィーゼ公国と盟約を結び、事前に周辺諸侯と外交関係を固めておいた恩恵を得ることができていた。
後々、費用をノルトハーフェン公国が補填するという約束ありきのことではあったが、エドゥアルドは皇帝に指定された集結地点の手前までは、通り道となる諸侯から支援を得られる約束を取りつけることができているからだ。
ポリティークシュタットを午前中に出発して、夕陽で空が赤くなり始めたころ、順調に行軍を続けたノルトハーフェン公国軍は、最初の目的地へと到着することができた。
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