第48話:「ケンカ」

「おいおい、ルーシェ。

 無理なことを言い出さないでくれよ」


 エドゥアルドはルーシェがいれてくれたコーヒーの味を楽しんでいたが、自分も戦争についていくというルーシェの言葉に、少し困ったように言った。


「戦場は、ルーシェみたいなメイドが来る場所じゃない。

 ルーシェも知っている通り、人間と人間が、本気で戦う場所なんだ。


 そんな場所に、連れて行くことはできないよ」

「私、マーリアさまから、手当のしかたを習いました! 」


 エドゥアルドはルーシェを説得しようとしたが、しかし、ルーシェの決意は固く、両手でガッツポーズを作りながらエドゥアルドに必死にアピールしてくる。


「シュペルリング・ヴィラで戦いが起こった時も、ルーは、頑張りました!

 兵隊さんたちがケガをしたら、一生懸命手当てをして、看病をします!

 もちろん、エドゥアルドさまに万が一なにかあっても、必ず、ルーがお助けいたします! 」


 ルーシェは、フンス、フンスと鼻息荒く、真剣そのものの様子でそう主張する。


(そう言われてもなぁ……)


 だが、エドゥアルドはどうしても、ルーシェを同行させるつもりにはなれなかった。


 ルーシェの手当ての腕が、イマイチ不安だと思えたからというだけではない。

 戦場では、なにが起こるかわからないからだ。


 エドゥアルドは戦う以上、負けるつもりなどまったくなかった。

 そのためにこそ、エドゥアルドは公国軍を改革し、より効果的な戦い方ができるように兵力を再編してきたのだ。


 だが、必ず勝利できるという保証は、どこにもない。

 たとえ前線に立たなくとも、流れ弾などが飛んできて、エドゥアルド自身も無事では済まないかもしれない。


 それに、戦争では、直接戦いに参加しない人々にも害がおよぶことが常だった。

 規律が乱れた兵士たちは時に略奪を働くこともあったし、戦闘に巻き込まれでもしたらケガでは済まないかもしれない。


 ましてや、まだ幼さの残る少女とはいえ、ルーシェのような存在を戦場に連れて行くことは、危険なことだった。

 その身の安全を確実に保証できる自信は、エドゥアルドにはないのだ。


「ルーシェ。やっぱり、ダメだよ。


 気持ちは、嬉しい。

 だけど、戦場に連れて行くことは、できない」


 だからエドゥアルドは、そう言ってルーシェに断るしかない。


「いやでございます!

 ルーは、おいてきぼりでございますか!? 」


 しかし、ルーシェは強情だった。

 彼女としては、自分はエドゥアルドのメイドであって、その近くで役に立つことがその役割であり、自分が[ここにいてもいい]理由だからだった。


 エドゥアルドが戦争に行って帰って来なかったら、ルーシェにはどうすればいいのかわからない。

 ルーシェはせっかく手に入れた居場所をまた、失ってしまうことになる。


 それに、ルーシェにはもう、エドゥアルドやシャルロッテ、マーリア、ゲオルクたちのいない生活は、考えられないのだ。

 カイやオスカーは今でも大切な家族であり続けてはいるが、ルーシェにとって大切な人々は、以前よりもずっと増えてしまっている。

 それを失ってしまうことなんて、とても、耐えられそうにない。


 ルーシェにだって、エドゥアルドが自分を戦場に連れて行こうとしない理由はわかる。

 しかし、エドゥアルドの帰りを待っている間、ルーシェは毎日、心細くて、寂(ざび)しくて、心配で、不安で。

きっと、押しつぶされてしまう。


 そんな思いをするよりは、戦場がどれほど過酷で危険であっても、エドゥアルドの側にいた方がマシだし、そうしたいと、ルーシェはそう思っていた。


 だが、エドゥアルドとしては、断るしかない。

 ルーシェはエドゥアルドのことを心配していたが、エドゥアルドもルーシェのことが心配だったのだ。


 ルーシェの気持ちが嬉しいというのは本当だったが、だからと言って、彼女の安全を保障できない以上、なにかあったらとエドゥアルドは不安だった。


 ルーシェはいつも、一生懸命に頑張ってくれている。

 その気持ちには少しの打算もなく、そんなルーシェの純粋な気持ちは、公爵として時に後ろ暗い計算や思惑に触れなければならないエドゥアルドにとっての癒(いや)しだった。


 年が近いというだけではない。

 ルーシェと話していると、エドゥアルドはいつも、ほっとしたような気持になるのだ。


 彼女と一緒にいる間だけは、エドゥアルドは[ノルトハーフェン公爵]としてではなく、[エドゥアルド]として存在していることができる。


 だからこそ、絶対に傷つけたくない。

 戦場から帰って来た時にまた、ルーシェには笑顔でエドゥアルドを迎えてもらって、こんなふうにコーヒーをいれてもらえたら、それでエドゥアルドには十分なのだ。


 お互いに、お互いのことが大切で、心配だから。


 だから2人はこの日、初めてケンカをした。


 それはあくまで口論ではあったが、2人は決して互いの意見をゆずらなかった。


 きっと、他の人がその光景を目にしたら、度肝を抜かれたことだろう。

 ノルトハーフェン公爵という大貴族が、ただの1人の使用人と、まったく対等な立場でケンカをしていたからだ。


 普通ならルーシェはどんな罰を受けるかわからなかったし、メイドである彼女が公爵であり主人であるエドゥアルドに逆らうことなどあってはならないことだった。

 だが、2人にとってそれは、違和感のない[自然な]出来事であって、エドゥアルドもルーシェもそのケンカの異様さには、最初から最後までまるで気づかなかった。


 結局、2人は折り合いをつけることはできなかった。


「もぉっ!

 エドゥアルドさま、どうしてわかって下さらないのですかっ!?


 ルーはもう、エドゥアルドさまのことなんて、知りませんから! 」


 とうとうルーシェはそう言い捨てると、「おかわりは、エドゥアルドさまがご自分でいれてくださいまし! 」と、コーヒーポットをテーブルへ叩きつけるようにして、エドゥアルドに背を向けた。


「ご用があれば、鈴を鳴らしくださいまし! 」


 それからルーシェは、明らかに不満そうな、そして今にも泣きだしそうな顔でエドゥアルドの方を振り返ってそう言うと、乱暴な仕草で一礼し、バタン、と扉を勢いよく開いて部屋から出ていき、そしてまたバタンと勢いよく扉を閉める。


「……鈴を鳴らしたら、来てくれるのか」


 部屋に残されたエドゥアルドは、強情なルーシェへの怒りと、ケンカをしてもエドゥアルドの用事は受けつけてくれるルーシェのメイドとしての使命感に、なんだか複雑な気持ちになって、微妙な表情でそう呟いていた。

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