第51話:「密航者:2」

 呆れて、なにも言えない。

 エドゥアルドはまさしく、そんな気持ちだった。


 ルーシェはその身体を精一杯折り曲げて、スーツケースの中にすっぽりと納まっていた。

 まだ幼さの残る、ちんちくりんの少女とはいえ、さすがに窮屈(きゅうくつ)そうだ。


 そんな状態で、何時間もじっとして。

 ルーシェはもう、いろいろと限界が来ている様子だった。


「あ、あのぅ……、エドゥアルドさま……」


 無言のままジト目で見おろしてくるエドゥアルドに対し、ルーシェは、なにかを必死に我慢しているようにカタカタと小刻みに震えながら冷や汗を浮かべ、顔を赤く染めて、恥ずかしさのあまりかその双眸(そうぼう)に涙を浮かべながら、今にも消えてしまいそうな声で言う。


「そのぅ……、お、おトイレに、行かせてはいただけないでしょうか……? 」


 ダメだ。

 エドゥアルドはそう言ってやりたい気持ちだったが、さすがにそれはかわいそうというか、ルーシェの尊厳にかかわることだったので、部屋の外にひかえていた使用人を呼び、ルーシェをトイレへと案内してもらった。


 使用人は、エドゥアルド以外に誰もいないはずの部屋の中にルーシェの姿があることにとても驚いた様子だったが、さすがにプロフェッショナルであまり深く詮索(せんさく)するようなことはなく、ただ「かしこまりました」と言って、ルーシェを案内してくれる。

 その使用人の後を、ルーシェはふらふらと、そして小刻みに震えながらついていった。


 部屋に残ったエドゥアルドは、ソファに腰かけ直し、足を組んで、指先でいらだたしそうにトントンと肘かけの上を叩きながら、ルーシェが戻って来るのを待った。


(洗いざらい、全部、吐かせてやる。

 そして、絶対に帰らせる)


 さすがに今回のことは、わがままが過ぎる。

 ルーシェはヴァイスシュネーに残れというエドゥアルドの言いつけに反し、強引な手段で密航してきたのだ。


 なぜそんなことをしたのか。

 どうやって潜り込んだのか。

 エドゥアルドは洗いざらいルーシェに白状させ、2度とこんなことをしないように厳しく言いつけるつもりだった。


 それが、ルーシェのためなのだ。

 彼女がエドゥアルドを心配してくれる気持ちは嬉しいのだが、戦場は、ルーシェのようなメイドを同行させるにはあまりにも危険過ぎる場所だった。


 やがてルーシェが所用を終えて戻ってくると、エドゥアルドは「そこに座れ」と、有無を言わせぬ強い口調でルーシェに命じる。

 するとルーシェは、さすがに自分がメイドとしてあるまじき、あまりにも出過ぎたマネをしているという自覚があるのか、エドゥアルドが指さしたイスに大人しく腰かけた。


 2人はしばらく、無言で視線をかわした。


 エドゥアルドは、明らかに怒っている表情で、ルーシェを睨みつけている。

 自分が悪いという自覚のあるルーシェは、そんなエドゥアルドのことを直視できないらしく、顔をややうつむけて、上目遣いでチラチラと様子をうかがっていた。


 しばらくして、エドゥアルドは深々とため息を吐くと、事情聴取を開始した。


 どうやらルーシェは、自分だけで考えて準備をし、今回の密航を実行に移したらしい。

 彼女はエドゥアルドの荷物を積み込んだ馬車に空のスーツケースを持ち込み、他の人々が目を離した隙に、その中に隠れた。


 誰にもバレずに、こっそりと。

 そこまではルーシェが立てた作戦の通りに進んだのだが、やはりドジっ子、彼女はトラブルに見舞われた。


 元々ルーシェは、いつでもスーツケースから脱出できるように金具を閉めてはいなかったのだが、エドゥアルドの私物を運ぶ馬車の御者をしていたゲオルクが、金具のきちんと閉じていないスーツケースがあることに気づき、安全のために金具を閉じてしまったのだ。


 そうして、ルーシェはスーツケースの中に閉じ込められてしまった。


「ぅぅ……。

 本当に、こわかったです……」


 ゲオルクには一切、悪気はなく、勝手に潜り込んできたルーシェが全面的に悪いのだが、スーツケースに閉じ込められたことはルーシェにとっては恐怖体験以外のなにものでもなかった。


 このままスーツケースを誰にも開いてもらえなかったら、どうしよう。

 何日も閉じ込められることになったら、ルーシェはそこで干からびて死んでしまうかもしれない。


 最初は自分の作戦がうまくいって密航に成功したことを喜び、得意になっていたルーシェだったのだが、スーツケースの中の暗闇の中でじっと、窮屈(きゅうくつ)に閉じ込められていると、ルーシェはそういうおそろしい想像ばかりをするようになってしまった。


 幸い、エドゥアルドが気づいてスーツケースを開いたからよかったものの、もし誰も気づかなかったら、ルーシェは本当に死んでしまっていたかもしれない。


 最初は勝手について来たルーシェへの怒りの気持ちでいっぱいで、キツイ口調で彼女に事情をたずねていたエドゥアルドだったが、スーツケースの中で深い孤独と恐怖とを味わってすっかりしおらしくなってしまって、半分泣いているようなルーシェの様子を見ているうちに、段々とエドゥアルドの感じていた怒りはしぼんで、どこかに消え去ってしまった。

 頭ごなしに、ヴァイスシュネーへ戻れとは言い出せない雰囲気だった。


「ルーは、やっぱり、エドゥアルドさまのお側にいたいです。

 エドゥアルドさまが戦争に行くことも、危ないってことも、よくわかってます。


 だけど、それでも、エドゥアルドさま帰って来るのをじっと待っているよりは、近くにいて、一緒にいたいって、思います」


 そしてルーシェは、自分のしでかしたことに後悔し、罪悪感を抱きながらも、やはりエドゥアルドに向かってそう訴えかけて来る。


 そんな風にまっすぐに言われてしまうと、エドゥアルドはもう、彼女に帰れとは言えなくなってしまった。


 ここはまだ、ノルトハーフェン公国の国内だ。

 ルーシェにヴァイスシュネーに帰れと言えば、彼女はなんの問題もなく、安全に帰ることができるだろうし、なんならエドゥアルドに宿を貸してくれている準男爵に命じて、護衛と案内の者をつけ、馬車を出してもらってもいい。


 だが、ルーシェは死んでしまうかもしれないという恐怖を体験してもなお、エドゥアルドについて行きたいと言っている。


 エドゥアルドのことが、心配だから。

 もしエドゥアルドになにかあったらと、不安で、心細くて、安全な場所で待っていることなど、とてもできないから。


 そのルーシェの気持ちは純粋(じゅんすい)で、少しの影もなく、まっすぐだった。


 エドゥアルドは、幼くして家族を失ってしまっていた。

 だからこんなふうに、打算のない強い気持ちを向けられることにはなれていない。


 それにエドゥアルドには、そんな風にまっすぐで強いルーシェの気持ちを、否定するようなことはできなかった。

 エドゥアルドもまた若く、純粋な性根の持ち主なのだ。


「わかったよ、ルーシェ。


 ……コーヒーは、やっぱり、ルーシェがいれてくれたのが、僕には一番だから」


 半泣きになりながらもエドゥアルドのことを正面から見つめ、その決意に揺らぎのないことを示してくるルーシェに向かって、エドゥアルドはそんな言い訳をして、同行を許すのだった。

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