・第4章:「春」

第39話:「春」

 ヘルデン大陸の北方、フリーレン海に面した小国であるノルトハーフェン公国に、春が訪れようとしている。


 フリーレン海に漂っていた流氷は遠く消え去り、降り積もった雪は解けて土は黒々とした色を見せ、そしてそこから、様々な草木が芽吹き始めている。


 15歳という年少で公爵としての実権を手にしたエドゥアルドは、短期間の間に次々と政策を実行に移し、その統治の基礎を固めて行った。

 国内では非効率であった諸制度を改めて行政を効率化し、産業を育成して商工業に発展の勢いをつけ、軍事においては新たな編成を取り入れてその実効性を強化した。

 そして国外では、隣国である被選帝侯、オストヴィーゼ公国と盟友となり、通商協定だけではなく攻守の軍事同盟を結んだ。


 その効果は、あらわれつつあった。

 公国ではエドゥアルドによって断行された改革が機能し始め、人々は活気に満ちている。

 そして、オストヴィーゼ公国との同盟をテコとしてエドゥアルドは周辺の諸侯とも外交関係を固めることに成功し、それらの小国とも協力関係を構築することに成功していた。


 ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国が強固な同盟関係になったことを知ると、周辺諸侯はこぞって、エドゥアルドに有利な条件で外交関係を取り結ぼうとしてきた。

 タウゼント帝国の中でも5本の指に入る、元々強力な存在であった公国が、対等な同盟者を得たことでさらに強大となり、その力を周辺の諸侯が恐れたからだった。


 しかし、エドゥアルドはこれらの諸侯に対し、公平な態度で臨んだ。


 やろうと思えば、ノルトハーフェン公国が一方的に、搾取(さくしゅ)同然の条件を周辺諸侯に飲ませることは難しくはなかった。

 タウゼント帝国の皇帝となり得る人物を輩出(はいしゅつ)することのできる被選帝侯であるノルトハーフェン公爵家とオストヴィーゼ公爵家が手を結んだということは、それだけの重みがあり、オブラートに包まずに言うと[脅威]であったのだ。


 今ここで強硬な態度に出て、2つの公爵家を同時に敵に回すことはできない。

 単純な問題としてまず、国家の力関係が違い過ぎる。

 それに加えて、もし、2つの公爵家のどちらからか皇帝が出ようものなら、どんな報復を受けるかもわからない。


 2つの公爵家が盟友関係になったということは、皇帝選挙において、ほぼ確実に2票を獲得できる候補が誕生するということでもあった。

 それは実質的に、皇帝位の最有力候補であるのと同義なのだ。


 諸侯はノルトハーフェン公国を恐れて自らできるだけのものを差し出そうとしたのだが、エドゥアルドはそれを謝絶し、それどころか、相手が十分にその面目を保ち、利を確保できるように配慮した条件を提示し、外交関係を結んでいった。

 係争となっていた領土などは均等かやや相手に有利なように分配してやり、オストヴィーゼ公国に対し認めたのと同じように、関税で優遇措置をとるなどしていった。


 なぜなら、エドゥアルドの目的は周辺諸侯としっかりとした友好関係を結び、安定した通商関係を構築することだったからだ。


 その立地とこれまでの取り組みにより、ノルトハーフェン公国はタウゼント帝国でも有数の工業力を持った国家へと成長していた。

 そして、その工業力によって生み出された商品には、当然、販売先が必要になってくる。

 さらに言えば、商品を生産するために必要な原材料をすべて国内だけでまかなうのは難しいから、その安定的な供給源を確保することも大切だった。


 エドゥアルドは相手に対いてまるで譲歩(じょうほ)したような条件で外交関係を結びつつ、同時に、交易相手国を増やし、自国の経済を活性化させ、育成した産業によって生産される商品の販路を開拓することで、国家を富ませようとしたのだ。


 この政策は、エドゥアルドだけで考えて作り出したものではない。

 宰相であるエーアリヒや、ブレーンであるヴィルヘルム、それ以外にも、ノルトハーフェン公国に仕える貴族たち、そして実際に商業や工業を構成している民間の商人たちなどから意見を広く集めて聞き入れ、形としていったものだった。


 最初の素案は、クラウス公爵を捕虜としている間に急いで意見を集め、方々から人を呼んで議論しながら取り決めたもので荒さが目立ったが、実行に移す段階で徐々に洗練させていき、結果としてノルトハーフェン公国の経済は活性化されていった。


 エドゥアルドが実権を握った当初は、その若さ、経験のなさから、統治がうまくいかないのではないかと不安に思う人々は多くいた。

 しかし、今となっては誰もがエドゥアルドの実力を認め、その将来に大きな期待をよせている。


 ノルトハーフェン公国はまさに、エドゥアルドの下で、飛躍を果たそうとしていた。


────────────────────────────────────────


 エドゥアルド公爵のメイド、ルーシェは、ノルトハーフェン公国がすっかり春を迎えたある日、楽しそうに、お出かけの準備をしていた。

 エドゥアルドが、ノルトハーフェン公国で最大の企業、オズヴァルト準男爵が経営する[ヘルシャフト重工業]のまねきでノルトハーフェンに視察に行くのだが、ルーシェもその視察に同行させてもらえることになっているのだ。


 視察に同行すると言っても、1人のメイドに過ぎないルーシェのやることと言えばエドゥアルドの身の回りのお世話くらいで、出先でやれることなど限られている。

 ルーシェにとっては実質的に、お休みと言ってもいいくらいだった。


 エドゥアルドは少しルーシェには甘いところがあり、こうやって休日も兼ねた外出に誘うことがしばしばあった。

 そこには、なかなか自分から休みをとろうとしない、ワーカホリック気味のルーシェを気づかってという意図も込められている。


 ルーシェとしてはわざわざそんな気を使ってもらうのは恐縮だとは思うのだが、それがエドゥアルドの望みであるのならできるだけ叶えるのが自分の仕事でもあるし、エドゥアルドと外出した時はいつもいい思い出になっているから、誘ってもらうのが少し待ち遠しいと思っている部分もあった。


 しかも、今回はエドゥアルドから、「珍しいものが見られるぞ」と、期待をあおるようなことを言われている。

 エドゥアルドはルーシェが驚く顔を見るのが今から楽しみだといったようなニヤニヤ顔で、ルーシェがどんなにたずねてもその珍しいものとやらのヒントさえくれなかった。


 だがきっと、素敵なものに違いない。


「うふふっ。いったい、なにを見せていただけるんでしょうかね! 」


 ルーシェは期待に胸を膨らませながら、何度も鏡の前で自分の身だしなみを確かめる。


「ねっ、楽しみだね、カイ! 」


 そしてルーシェが心底楽しそうな笑顔で振り返ると、床に伏せていた犬のカイは元気よく尻尾を振りながら、「ワン! 」と楽しそうに吠える。


 今回の外出には、お利口にしているご褒美として、カイにも同行が許可されているのだ。

 自分も連れて行ってもらえるということがわかっているのか、カイはとても嬉しそうだった。


「オスカーも、来ればいいのに! 」


 それからルーシェは、カイとは対照的に、ダルそうにベッドの上で丸くなっている猫のオスカーを軽く睨みつける。


 ヴァイスシュネーに巣くう灰色の齧歯類(げっしるい)をあまた退治したご褒美として、オスカーにも同行することが許されていたのだ。

 しかし、夜間に広々としたヴァイスシュネーを見回っているオスカーは朝になるとすっかりくたびれてしまっていることが多く、外出なんて面倒だ、とめんどくさそうな様子だった。


「まぁ、しかたないよね。

 お休みは大事、だもんね!


 それじゃ、お土産、期待していてね! 」


 いつものメイド服だったが、自分にできるだけのおめかしをして、エドゥアルドにプレゼントしてもらった青いリボンで髪を結ったルーシェは、自分を納得させるようにそう言うと、「行こうね、カイ! 」と言って、カイと一緒にパタパタと元気よく自分の部屋から駆け出していくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る