第37話:「引退:1」

 オストヴィーゼ公爵・クラウスのノルトハーフェン公国における滞在は、2人の間でノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国の盟約が決められてからも、さらに数日もの間続いた。

 盟友となることを大筋で合意はしたものの、その具体的な内容をさらに煮詰めていく必要があったからだ。


 せっかく、両国の国家元首が同じ場所に滞在しているのだ。

 そこで直接話し合ってしまった方が最短時間で様々な決定を下すことができるし、なにかと都合が良かった。


 それに加えて、両国の盟約が周辺諸侯に対して発揮することになる[重み]を、さらに加えるための政治工作をする必要もあった。

 両国がこれからはっきりとした友好関係を結び、経済協力だけではなく具体的な軍事同盟にあることを広く示しておかなければならなかったのだ。


 そのために、クラウスはエドゥアルドの許しを得て、積極的に外出して、人々の前に姿を見せることになった。

 物見遊山(ものみゆさん)と称してノルトハーフェン公国の各地を巡り、ノルトハーフェンの港を見学したり、最新式の工場の設備を見学したりと、なるべく人目につくような行動をし、そして、常に心から楽しんでいるような姿を見せつけた。


 こうして人々に両国が友好関係を結び、盟友となったことを明らかにすることで、エドゥアルドが自国の領土の領有権をゆずってでも得ようとしている利益を確保することにつながるし、クラウスとしても、領土を得られるという利益がすでにある以上、エドゥアルドのためにこのような演出をして見せることは、やぶさかではないのだった。


 そうしている間に、国境地域で対峙していた両国の軍隊もまた、それぞれ配置を解いて帰還することになっていた。

 一時は実際の軍事衝突に至る危機となったが、結局、両国は1人の死傷者も出さずに、それを回避することができたのだ。


 そうして盟約の条件が固まり、両国の友好関係が確かなものとなると、ようやくクラウス公爵は祖国への帰路へとついた。


────────────────────────────────────────


 ノルトハーフェン公国からオストヴィーゼ公国に向かって、クラウスを乗せた馬車が走っていく。

 それは、ノルトハーフェンでの滞在を楽しんだクラウスを迎えるためにさし向けられた馬車で、オストヴィーゼ公爵のために作られた専用の馬車だった。


 その前後には、護衛の騎兵たちがつき従っている。


 舵輪が描かれた旗と、馬の描かれた旗。

 護衛の兵士たちはそれぞれが属する国家の旗をかかげ、親しげに並んで、よく整備された石畳の街道を進んでいく。


 つい先日は軍事衝突の1歩手前にまで至った両国であったが、盟約が成り、今では攻守を共にする同盟国だった。

 あまりにも急激な変わりようだったが、幸い、両国の間で激しい戦闘が行われることがなく、傷ついた者がいなかったために、兵士たちは戸惑いつつもこの状況を受け入れ、むしろほっと安心しているような様子だった。


 兵士は戦うために訓練を受けているが、誰だって、けがをしたり、命を失ったりはしたくないのだ。


 両国が結んだ友好関係を人々に見せつけるように進んだ車列は、やがて新たに確定された国境を超え、オストヴィーゼ公国の領内へと入って行った。


 すると、これまでほとんど揺れなかった馬車が、ガクンと揺れる。

 ノルトハーフェン公国の国内ではきれいに行き届いていた舗装が、オストヴィーゼ公国の領内に入った途端、悪くなったからだった。


「やれやれ、やっと、帰ってこれたわい」


 普通、馬車は揺れない方が乗り心地は良くなるはずだったが、道が悪くなったことを知ったクラウスは、ほっとしたように、そして嬉しそうにそう言った。


 ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国は、盟友となり、攻守同盟を結んだ。

 エドゥアルドにはクラウスに対する害意などなかったし、事実としてクラウスは丁重に歓待され、国賓(こくひん)として十分なもてなしを受けることができた。


 しかし、現実として、クラウスが囚(とら)われの身であったということは変わらない。

 オストヴィーゼ公国の領内に帰ってくることができたということでほっとし、嬉しそうな様子を見せたのは、自分が無事に同盟を成立させることができたというのもあったが、なにより、捕虜という身分から完全に解放されたということが大きかった。


「一時はどうなることかと思ったが、しかし、終わってみれば、なんとも実りのある日々じゃったわい」

「まことに、お見事な手腕でございました」


 床についた杖の上にあごを乗せながら頬を緩めているクラウスに、その対面に腰かけていたユリウスがそう言っていた。


 すべての話がまとまり、迎えを出して欲しいとクラウスからの連絡を受けたユリウスは、本来ならば馬車だけを出して、自分自身は同行する必要などないはずだった。

 ユリウスはクラウスに万が一があった場合にオストヴィーゼ公爵とならなければならない存在であり、エドゥアルドに害意がないとはいえ、もしもを考えて領内から出るべきではなかった。


 しかし、それでもユリウスが自ら馬車に乗ってクラウスを迎えに来たのは、クラウスの安否が心配だったからだった。

 無事で、歓待を受けているという知らせは聞いていても、自分の目で確かめるまでは安心することができなかったのだ。


「なぁに、わしの手腕では、ないさ。

 すべて、あの若造、いや、エドゥアルド公爵の手腕によるものじゃ。


 わしは、最初から最後まで、のせられただけじゃったよ」


 クラウスは謙虚(けんきょ)に事実を認め、そう言って肩をすくめてみせる。


 そしてそれから、ユリウスをしかりつけるように言う。


「しかし、わざわざお前が迎えに来ることなど、なかったのじゃぞ?

 エドゥアルド殿が裏切ることなど万に一つも無かろうが、念には念を入れよ、じゃ」


 しかし、その言葉とは裏腹に、クラウスの表情は嬉しそうだった。

 ユリウスが自分の身を案じてくれていたことがわかっているからだった。


「すみません、父上」


 だからユリウスも、軽く頭を下げて見せるだけだった。


 馬車は、ガラガラ、と揺れながら進んでいく。

 その車内で、クラウスはしばらくの間車窓を流れていく景色を楽しんでいたが、やがて、ポツリと呟くように言う。


「のぉ、ユリウス。


 わしはな、近々、公爵を引退して、隠居しようと思う」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る