第31話:「朝のコーヒー:2」

 ヴィルヘルムはいつものように、本心の知れない仮面のような柔和な笑みを浮かべたまま朝のコーヒーを一口すすると、その視線をルーシェの方へと向ける。


「えっと、あの……、今、で、ございますか? 」


 そのヴィルヘルムの仕草で、ついさっき耳にした言葉が幻聴ではなかったと理解したルーシェは、うかがうような上目づかいでヴィルヘルムのことを見つめ返した。


 ルーシェはスラム街で育ち毎日生き延びるだけでも精一杯だったから、当然、まともな教育など受けたことがない。

 だが、エドゥアルドのメイドとして働くようになってからは、きちんとした勉強をすることができるようになっていた。


 メイドとして必要な知識や一般教養はシャルロッテやマーリアから、文字などはゲオルクから教わり、まだ完全ではないものの一通りの読み書きはできるようになってきた。

 それだけではなくルーシェは、エドゥアルドのために家庭教師として授業を行っていたヴィルヘルムによって、その合間に本格的な授業を受けている。


 きっかけは、ルーシェが[ヴィルヘルムは、エーアリヒが送り込んできたスパイなのではないか]と疑い、エドゥアルドに授業をするところをこっそりとのぞき見して監視していたことだった。

 だが、そうしているうちにルーシェは授業の内容を覚えてしまい、ルーシェがきちんと授業でヴィルヘルムが教えた内容を理解していることを知って驚いたエドゥアルドが、ヴィルヘルムに「ついでにルーシェにも教育をして欲しい」と命じてくれたのだ。


 それからまだそれほど時間はたっていないのだが、ルーシェはメイドとして忙しく働きつつも、時間を作ってヴィルヘルムからの授業を受けている。

 これまでまったくそんな機会はなく、自分には縁遠い世界だと思っていたから、いろいろ学ぶのがルーシェにはとにかく楽しかった。


 その内容を、おさらいする。

 どうして今なのかと、ルーシェは戸惑うしかない。


 エドゥアルドも、けげんそうな視線をヴィルヘルムへと向けている。

 エドゥアルドが1人で考え込んでいてヴィルヘルムのすることがないから、その退屈しのぎでも始めたのかと疑っている様子だった。


「はい。むしろ、今がちょうど良いのです」


 そんなルーシェとエドゥアルドの様子を見てから、ヴィルヘルムは大きくうなずく。


「これからいくつか、ルーシェさんに質問をしましょう。

もしうまく答えることができたら、ご褒美に、キャンディを差し上げます」

「きゃ、キャンディ……」


 ご褒美にキャンディをもらえると聞いて、ルーシェは思わず喉(のど)を鳴らした。


 エドゥアルドのメイドとして働いているルーシェはきちんと給料をもらっているので買おうと思えばキャンディくらい買えるのだが、自分の[自由]に使えるお金を持っているという状況にまだ慣れていない彼女は、そういった嗜好品(しこうひん)のためにお金を使うという発想をなかなかできないし、思い切りがつかない。

 だから彼女にとっては、キャンディというのは貴重で、甘くておいしい、魅惑の食べ物なのだ。


「では、問題です。

 BとCという国に挟まれた、Aという国がありました。

 3か国は特に仲が悪いわけではありませんが、良いというわけでもありません。

 チャンスがあれば、自分にとってもっとも得になる行動をとります。


 あるとき、B国で内乱が起こり、A国はB国から利益を得るチャンスだと思ってB国に出兵し、干渉しようとしました。

 しかし、結局得をしたのはC国だけでした。


 それは、なぜでしょう? 」

「えっと……、ええっと! 」


 ぜひともキャンディが欲しいルーシェは、あごに人差し指を当てながら必死に考える。


「ええっと……。B国の内乱につけこんで軍隊を動かしたA国は、B国のことで手が離せなくなって、きっと守りが手薄になります!

 そこを、C国が攻めたのだと思います!

 そうすればC国は、手薄なA国、続いて弱ったB国と攻めて、簡単に勝ててしまうのです! 」

「正解です。

 B国の混乱に乗じればA国が利益を得られるという可能性はありましたが、背後のC国が動くかもしれないということを考慮しなければ、結局利益はすべてC国に持っていかれてしまうことになりますね」

「やった! 」


 これでキャンディがもらえる、と思って喜ぶルーシェだったが、ヴィルヘルムはすかさず「では、第2問です」と言葉を続ける。


「では、A国はどうすればよかったのでしょうか? 」

「ふへっ!? そっ、それはぁ、えっとぉ……」


 肩透かしを食らった形になったルーシェは戸惑いながらも、やはりキャンディが欲しいのか必死に考え込む。


 そんなルーシェの様子を見て楽しそうにしているヴィルヘルムのことを、エドゥアルドはジト目で見つめていた。

 ヴィルヘルムの魂胆が、わかったからだ。


 ヴィルヘルムはルーシェに問題を出して答えさせることで、間接的に、エドゥアルドにヒントを出そうとしているのだ。


(僕には正しい判断ができないと、そう思ったんじゃないだろうな? )


 自分の力だけで解決しなければならない、そうしたいと考えていたエドゥアルドは、ヴィルヘルムの手助けが不満だった。


「わかりました!

 A国は自分だけ動くのではなく、C国と一緒にB国に要求を出せばよかったのです!


 A国とC国でお互いに利益を分け合うという約束をして背後から攻められないようにしておけば、A国も利益を得ることができたのに違いないのです! 」


 しばらくして、閃いた! という感じで表情を明るくしたルーシェが答えを言うと、ヴィルヘルムは満足そうな顔で大きくうなずいた。


「正解です。……最初からC国に話を通して、互いに納得する形で利益を分配するようにしておけば、A国も利益を得ることができるでしょう。

 また、A国がC国に対して十分な警戒を示していれば、C国も約束を破るようなことはしないでしょう。


 もっと言うなら、B国がもし、A国とC国が手を結んだと知れば、A国とC国が実際に兵力を動かさずとも、自然と両国が求めるものを差し出して、A国とC国は労せず目的を果たすことができるかもしれません」

「世の中、世知辛いのです! 」


 ヴィルヘルムの言葉に、ルーシェはうんうんとうなずいてみせる。

 人生の[過酷さ]について言えば、ルーシェは誰よりも骨身にしみて知っているだろうし、ヴィルヘルムの言葉に納得できることも多いのだろう。


「では、キャンディ―を差し上げましょう」

「わーい! 2つもいただけるんですか!? 」


 エドゥアルドにそれとなく助言するという目的を果たしたのか、ヴィルヘルムが懐(ふところ)からキャンディを取り出して渡すと、ルーシェはぴょんと飛び跳ねて無邪気に喜ぶ。


 こういうとことは、知恵をつけてもまるで変っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る