第32話:「人材」
つまり、ヴィルヘルムとしてはこう言っているのだ。
オストヴィーゼ公国とはやはり、友好関係を結ぶのがいい。
そのためには、相手にもきちんと利益を配分しなければならない、と。
この場合、オストヴィーゼ公国にノルトハーフェン公国の側から分配するべき利益とは、両国の間で係争となっている領土のことだろう。
これを、オストヴィーゼ公国に対して有利なように、分配する。
それだけではなく、ヴィルヘルムは、そうやってノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国が友好関係を結んだことを、大々的に、誰の目にも明らかなにせよと言っている。
そうやって2つの公国が明確な友好関係にあり、協力していると知れば、その他の諸侯は自然とこの2国を尊重し、2国が求めることに、できる範囲で応じようとするようになる。
オストヴィーゼ公国に今はゆずることになっても、後からノルトハーフェン公国が得るものはずっと多く、大きいものになるだろう。
1兵も使うことなく、1弾も使用せずに、目的を果たす。
それこそが外交というものであり、戦争はあくまで、その行き着くところの最終手段であるべきだった。
「ずいぶん、回りくどいことをするんだな? プロフェート殿は」
キャンディを受け取ってルンルン気分のルーシェが、朝食の後片づけのために部屋を出て行ったあと、エドゥアルドはヴィルヘルムのことを軽く睨みつけながらそう言った。
ヴィルヘルムが手助けをしてくれるのはありがたいのだが、回りくどいやり方はあまり気分が良くないし、なにより、[エドゥアルドには無理だ]と思われて、それとなく助け舟を出されたのではないかというのが、エドゥアルドには不満だった。
「殿下が少々、思い違いをなされておられるようでしたので」
そんなエドゥアルドにヴィルヘルムはその柔和な笑みを浮かべた顔を向けると、そう指摘をした。
「僕が、思い違いをしている? 」
そのヴィルヘルムの言葉に、エドゥアルドは眉をひそめる。
ヴィルヘルムのことだからエドゥアルドのために言っているのは間違いないが、思い当たるところがなかったからだ。
「殿下。
古(いにしえ)の名君と呼ばれる方々には、その時々の優れた人材を集め、よく用いた方が多くございます。
それがなぜか、殿下には、おわかりになりますか? 」
「それは、君主ただ1人だけでは、隅々にまで目が行き届かないからだ」
エドゥアルドはヴィルヘルムの言いたいことがわからなかったが、ひとまずはその問いかけに答えてみせる。
「どんな分野にも、その専門家というものはいるものだし、いかに君主が優れていようと、その専門分野においては、その者にかなわない。
また、なにをするにしても、君主がただ1人だけであらゆる物事に目を向けることはできないから、しかるべき者に委(ゆだ)ねて、君主はその方針を指し示し、皆がどの方向へ向かって行けばよいのかを決めることに専念する。
確か、貴殿はそう僕に教えてくれたことがあったな? 」
「左様でございます、殿下」
エドゥアルドの言葉を肯定して、ヴィルヘルムはうなずいてみせる。
それは、エドゥアルドが、紙の上のことではなく、現実のこととして体験もしていることだった。
エドゥアルドは、内政においてはエーアリヒを宰相として任用し、軍事においてはペーターに新しい編成の部隊を任せ、仕事を分担しているが、それでも毎日エドゥアルドが目を通しサインをしなければならない書類はいくつもあって、忙しい。
もし、しかるべき人を見つけて仕事を割り振らなければ、エドゥアルドは日々の仕事に忙殺されて、なにか新しいことを考えるどころではなくなってしまうだろう。
だから、名君と呼ばれる人々は、その時々のすぐれた人材を求め、自らの同志として活用する。
「名君と呼ばれた方々は、みな、そのご本人が優秀であっただけではなく、広く人材を集め、そしてそれをよく[使った]のでございます。
なにも、君主がただ1人だけで、すべてを考え、決めなければならないということはありません。
名君は人材を適材適所に用い、自らの手足、そして頭脳として用いることでその偉業を成し遂げた方々なのです。
だからこそ、今でもその名を私(わたくし)たちが知っているのです。
殿下には、私(わたくし)の見るとこと、名君としての素質がおありです。
それなのに、殿下は今、ただ1人だけで思い悩んでいらっしゃった。
ここに私(わたくし)がおり、また、ルーシェ殿が、殿下のために力になりたいと心から願っていながら、殿下はそのことにまったく気づいていらっしゃらないようでございました。
ですから私(わたくし)は、それが間違いだと、申し上げたかったのです」
「だが、これを、僕の[宿題だ]と言ったのは、貴殿だぞ? 」
エドゥアルドは少しだけムッとして言い返す。
彼が必死に思い悩んでいたのは、ヴィルヘルムの宿題を見事に解決し、自身の実力を示したいと思っていたからなのだ。
「ですから、それが、殿下の間違っておいでのところなのです」
そんなエドゥアルドのことをまっすぐに見つめ返しながら、ヴィルヘルムは言う。
「名君は優れた人材を集め、それを自らの手足として用いるのです。
それこそが、君主の力量というもの。
たとえ1人の天才であろうと、誰1人として臣下をうまく用いることができなければ、国家を導くような大業は成せないでしょう。
ですが、たとえ凡庸な人物であっても、多くの人材を適材適所に用いることができたのなら、どんな大国であろうとも安泰にし、民を安んじて、長く治めることができるでしょう。
殿下だけが思い悩むことは、ないのです。
私(わたくし)も、ルーシェ殿だって、みな、殿下のお力になりたいと願っているのですから」
君主が臣下を頼ることは、なんら恥じるようなことではない。
むしろ、そうやって人材に能力を発揮させることこそが、大切なのだ。
自分たち臣下を、うまく使っていって欲しい。
ヴィルヘルムは、エドゥアルドにそう言っているようだったし、それが、今回の[宿題]で、エドゥアルドに気づいて欲しいことであるようだった。
「なるほど。わかった。
……確かに僕は、視野が狭くなっていたみたいだ」
自分の力だけで、問題を解決する。
それはエドゥアルドなりの責任感のあらわれだったし、プライドもあったし、そうするだけの力を身につけたいという向上心のあらわれでもあった。
だが、そればかりでは結局、最善の解決策は出てこない。
出せたとしても、余計に時間がかかるだけだ。
「よし。
貴殿の言うとおり、オストヴィーゼ公国とは友好関係を結ぼう。
それも、他の諸侯にも伝わるよう、はっきりとわかる形で、大々的に。
具体的にどうやればいいかは、エーアリヒ殿にも意見を聞いて、それから決める。
そうして準備が整ったら、クラウス公と僕自身が直接、話すこととしよう」
「それがよろしゅうございます、殿下」
プレッシャーから抜け出したような晴れやかな表情になってエドゥアルドがそう言うと、ヴィルヘルムはうやうやしく一礼した。
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