第30話:「朝のコーヒー:1」
クラウスを乗せた馬車もエドゥアルドたちも、夜が明け始めたころにはヴァイスシュネーへと到着していた。
その身分の高さから拘束こそされていないものの、捕らわれの身であるクラウスはヴァイスシュネーで最高級の客間へと通され、十分な警備の兵士と熟練の使用人たちによって迎えられた。
そしてエドゥアルドは、ヴィルヘルムを引き連れ、いつも彼が使っている執務室へと向かった。
「おかえりなさいませ!
エドゥアルドさま! プロフェートさま! 」
執務室では、ルーシェが、朝食と、朝のコーヒーの準備を万全に整えて待っていた。
無事に帰って来たエドゥアルドの姿を見てぱっと明るい笑顔になったルーシェは、ルインテールにした髪をぴょんと揺らしながら一礼して、元気よくエドゥアルドとヴィルヘルムのことを出迎えてくれた。
「ああ、ただいま、ルーシェ。」
エドゥアルドもほっとしたような笑顔になりながら、自分の執務机へと向かっていく。
なんというか、ルーシェのいつも通りの明るい笑顔を見ると、[帰って来た]という感じがするのだ。
長く暮らしていたシュペルリング・ヴィラからヴァイスシュネーへと引っ越して来たせいか、部屋の内装を目にするよりも、ルーシェの姿を見ることができる方がよほど落ち着いた気持になる。
エドゥアルドがイスに腰かけ、その向かい側にルーシェが用意したイスにプロフェートが腰かけると、ルーシェはさっそく、机の上に2人分の朝食を広げ始める。
いつも食事は専用の食堂で食べるのだが、今はオストヴィーゼ公国との領土問題で緊張している時、ということで、仕事で使うだけのはずの執務室でお手軽に済ませる。
クラウス公を捕らえることには成功したが、国境地域では今も、ノルトハーフェン公国軍とオストヴィーゼ公国軍が対峙しているのだ。
ノルトハーフェン公国軍が昨夜実施した夜襲はオストヴィーゼ公国軍を混乱させ、ミヒャエルらを侵入させてクラウス公を連れ出すために行ったものだったから、ノルトハーフェン公国軍にもオストヴィーゼ公国軍にも、被害はないはずだ。
報告では、混乱している最中の同士討ちなども発生しなかったようだと聞いている。
オストヴィーゼ公国軍に対してはすでにクラウス公爵をエドゥアルドが捕えているという事実は伝えてあるし、その証拠としてクラウスの杖をユリウスに見せているから、クラウスの安全のために積極的な攻撃をしかけて来ることはないはずだった。
だが、武装した兵士たちが対峙しているという状況はやはり正常なものではなく、一刻でも早く解消するべきことだった。
エドゥアルドはなるべく早く、クラウスとの間でどのような話し合いを行い、ノルトハーフェン、オストヴィーゼ両国の間の領有権問題にどう決着をつけなければならないのかを、決めなければならなかった。
そんなエドゥアルドとそのブレーンのヴィルヘルムのためにルーシェが用意した朝食は、軽めのものだった。
表面はカリッとしていて中はふわふわしている小さめのパンに数種類のジャム、それとスクランブルエッグと薄切りのハムを焼いたもの。
どんな場所でも朝は忙しいもので、さっと用意できてすぐに食べきれるものが多い。
徹夜明けのエドゥアルドにとっては、その素朴な、タウゼント帝国では一般的なものとされる朝食の味が心地よかった。
パンは焼き立てだったし、ジャムの甘さは疲れた体に染みるようで、スクランブルエッグもハムもエドゥアルドの好みにぴったり合わせた焼き加減になっている。
そして、食後のコーヒー。
体調不良から回復したルーシェはまた、エドゥアルドにとって最高のコーヒーを用意してくれるようになっていた。
その朝のコーヒーを楽しみながら、しかし、エドゥアルドは言葉少なだった。
いつもならルーシェと簡単な雑談をしたりするし、今はヴィルヘルムもいるのだから、今後についての相談をしてもいいはずだったが、エドゥアルドはそれを口にしなかった。
ノルトハーフェン公爵として、今後の外交関係を左右するかもしれない問題について、決断を下さなければならない。
オストヴィーゼ公国との領有権問題をどう処理したかということは、これからのオストヴィーゼ公国との関係に関わることではなく、他の諸侯との関係にも関わることだ。
ノルトハーフェン公国と国境を接したり、あるいは関係を持っていたりする諸侯は、エドゥアルドがどんな対応を示したかを、今後の指標として用いるに違いないからだ。
簡単には、結論は下せない。
そのプレッシャーと、なにより、[自分で決断を下さなければならない]という意識が、エドゥアルドを無言にさせていた。
そんなエドゥアルドのことを、ルーシェは、心配そうな表情で見つめている。
エドゥアルドが無事に帰って来たということは、ルーシェにとってなによりも嬉しいことだった。
それは、彼女に居場所を与えてくれた少年公爵が返って来たというだけではなく、ひとまず、国境地帯で直接の武力衝突には至らなかったということだからだ。
もし本当の戦闘が起こってしまったのだとしたら、こんなふうにのんびりとエドゥアルドが朝食をとることなどできはしないだろう。
だが、エドゥアルドはずっと、浮かない顔をしている。
自分1人で抱え込むには大きすぎる問題について真剣に向き合い、その責任の重さに耐えている。
ルーシェは、そんなエドゥアルドのために力になりたかった。
つい数か月前までスラム街で食うや食わずやの生活をしていた少女が、1国の外交問題という事象についてなにか意味のある意見を言えるとは思えない。
だが、話を聞くことくらいはできるし、それによってエドゥアルドの思考を整理し、考えをまとめる、そのお手伝いくらいはできるのではないかと、そう思うのだ。
ルーシェは心配そうに、そして、もどかしそうにエドゥアルドのことを見つめていたが、エドゥアルドはそんなルーシェの様子には、少しも気づかない。
自分のことで手いっぱいで、周りのことが見えなくなっているのだ。
「ルーシェさん。ちょっと、これまでお教えしたことの、おさらいでもいたしましょうか」
そんな2人の様子を見て突然、そう口を開いたのはヴィルヘルムだった。
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