第29話:「宿題」
実を言うと、ここまでのことはすべて、ヴィルヘルムが思い描いたとおりに進んでいた。
領有権問題が存在する係争地を占拠し、その領有を既成事実化して、エドゥアルドに認めさせる。
エドゥアルドが、簒奪(さんだつ)の陰謀を目論んだエーアリヒを罰することもなく、そのまま宰相として任用したことから、[権力基盤の弱体な年少公爵]だとしてクラウスが挑んできた揺さぶりは、一言であらわせばこういうものだった。
そのクラウスの狙いを正確に見抜いたヴィルヘルムは、エドゥアルドに策を授けた。
クラウス公爵のエドゥアルドに対する見方は、決して間違いではなかった。
若く、これまで幽閉同然の暮らしをしてきたエドゥアルドには子飼いの臣下という者がおらず、国を自らの手足のように動かすためにはエーアリヒの力が必要で、エドゥアルド自身の力だけではうまく国を動かしていくことができないからだ。
今は、いい。
エーアリヒは簒奪(さんだつ)を目論んでいたことがウソのように改心し、エドゥアルドの意向を尊重して、宰相として忠実に働いている。
だが、エドゥアルドは若く、これから長く公国を統治していくはずだった。
となれば、エーアリヒはいつか、エドゥアルドよりも先にいなくなるはずだったし、エドゥアルドはいつまでもエーアリヒに頼っているわけにもいかない。
また、エーアリヒに頼った政治を続けていては、エーアリヒにそのつもりがなくとも、エドゥアルドの存在は薄れてかすみ、エーアリヒこそが公国の真の支配者のように人々から思われるようになってしまうだろう。
ヴィルヘルムは、今回のオストヴィーゼ公国との領土問題を利用し、エドゥアルドの権力基盤を固めようとしていた。
エドゥアルドの手腕によって隣国との領土問題にしかるべき決着をつけ、エドゥアルドが公爵として優れた力量を持っていることを示そうというのだ。
エドゥアルドが人々から不安に思われているのは、その若さだった。
エドゥアルドは若く、まだなにごとも成していないために、人々はまだエドゥアルドの実力を知ることができずにいるのだ。
エドゥアルドの力量をはっきりと示せば、エドゥアルドが若くとも、人々は忠実に従うようになるだろう。
そしてむしろ、エドゥアルドの若さを未熟さではなく伸びしろと見て、大いに期待するようになるだろう。
だからエドゥアルドは、クラウス公爵になるべく条件を飲ませやすい状況が必要だった。
実績が必要だったからだ。
ノルトハーフェン公国軍とオストヴィーゼ公国軍が対峙する中で行われた会見で決着をつけられるのなら、それでもよかった。
なんら明確な解決策もなく、曖昧(あいまい)なままで終わるのでも、よかった。
両国の領土問題は、互いに明確な対立関係を作りたくなかった歴代の公爵たちによってうやむやにされてきたものだったから、その[現状維持]ができれば、少なくともエドゥアルドは過去の公爵たちに劣らないということになる。
だが、クラウス公爵は、エドゥアルドの権力基盤が弱いことを見抜き、今回の騒動で決着をつけるつもりだった。
軍隊を動かし、係争地を占拠し、理屈をつけて居座ろうとしたのだ。
もし、クラウス公がそのような態度をとった場合には、その身柄を手中とし、エドゥアルドの思う理想の条件を飲まざるを得ない状況を作る。
ヴィルヘルムはエドゥアルドに、エドゥアルドが置かれている現状と、クラウスが今回のような揺さぶりをかけてきた理由についての分析を示したうえで、エドゥアルドが取るべき策を示した。
オストヴィーゼ公国軍に偽(にせ)の夜襲をしかけ、変装した将兵をその混乱に紛れ込ませてクラウスを拉致しようという作戦。
それは、クラウスとの会見が失敗に終わった場合(おそらく成功しないだろうともヴィルヘルムは見抜いていた)に実行するべきものとしてヴィルヘルムが提案し、ノルトハーフェン公国軍を動かす前にすでに準備を整えていたものだった。
そのために、領民たちにはオストヴィーゼ公国軍の野営地に大量の貢物(みつぎもの)を献上するように命じ、そのために必要な上等な食料や酒などもあからじめ用意し、不足する分は十分な金銭を払ってあった。
ヴィルヘルムは農夫に、クラウスのことを「領主さま」と呼ぶように指示さえ出していた。
そしてクラウスは完全に、ヴィルヘルムの術中にはまった。
すべて、ヴィルヘルムの読み通り。
思い描いたとおりに進んでいる。
だが彼は、エドゥアルドに肝心な部分を教えてはくれなかった。
この騒動に、どんな風な決着をつけるのか。
クラウスを捕らえ、思いのままに要求を飲ませることができるようになって、エドゥアルドはなにを相手に要求し、認めさせるべきなのか。
それは、エドゥアルドの家庭教師としてのヴィルヘルムが出した、[宿題]だった。
彼はエドゥアルドの知恵袋であり、見事に情勢を読み切って、魔術のように策略を用いてエドゥアルドにとって望ましい状況を作りだした。
だが、ヴィルヘルムはあくまでエドゥアルドの臣下、[助言者]であった。
エドゥアルドこそがノルトハーフェン公国の統治者であり、国家元首であり、ヴィルヘルムはその統治を補佐するものでしかないのだ。
だから、肝心なところは、エドゥアルドに考えさせる。
いつか公爵として多くの臣下を召し抱え、ヴィルヘルムやエーアリヒ以外にも頼れる者たちを得た時に、エドゥアルドが自ら考え、最善と思う決断を下していくことができるようにする。
それは、ヴィルヘルムの誠実さであり、最初、エドゥアルドから公爵位を簒奪(さんだつ)しようという一味としてやってきたヴィルヘルムを信頼し、その提案を用いてくれるエドゥアルドに対する、ヴィルヘルムなりの恩返しと、忠誠だった。
オストヴィーゼ公国との国境地域からヴァイスシュネーへと戻る馬上、エドゥアルドはずっと無言のまま、ヴィルヘルムが与えた[宿題]について考えていた。
係争地の領有権をノルトハーフェン公国のものだと認めさせることは、容易だろう。
生殺与奪(せいさつよだつ)を握られている以上、クラウスはどんな条件だって飲むしかないからだ。
だが、過酷な要求を飲ませて恨みをかえば、エドゥアルドが公爵としてノルトハーフェン公国を統治する間ずっと、オストヴィーゼ公国との関係が微妙なものとなってしまうかもしれない。
エドゥアルドは若く、長く公国を統治していくことになるだろうから、「それは、先代のやったことだから」という使いやすい言い訳を用いることができないからだ。
無言のまま、たった1人だけで考え続けているエドゥアルドの姿を、ヴィルヘルムはただ、いつもの柔和なつかみどころのない笑みを浮かべながら、見つめているだけだった。
どうやら本当に、これ以上の助け舟を出すつもりはないらしい。
ヴィルヘルムは、エドゥアルドがどんな答えを導くかを、心から知りたがっている様子だった。
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