第26話:「夜襲:2」

 ファンファーレの音が響き渡ると、夜の闇の向こうから、いくつもドラム、そしてラッパの音が轟(とどろ)き始める。


 その数の多さ。

 それは、オストヴィーゼ公国軍と対峙していたノルトハーフェン公国軍が、その全力をあげて攻撃を開始したことを意味していた。


「バカな!?

 あの若造、戦のやり方をまったく知らんのか!? 」


 会見で直接相対した時、クラウスの目から見て、エドゥアルドは存外、侮れないという印象だった。

 彼はブレーンの助言もあるのだろうがきちんと自らの立場を、論理的に主張することができていた。


 若く、経験が少ないためにクラウスに手玉に取られ、言いくるめられることになりはしたが、将来は、と、クラウスからも一定の評価をできる人物だった。


 だが、いくら数で劣るからと言って、このような夜間に攻撃を開始するなどというのは。

 戦争については、素人だと言わざるを得ない。


 歴史を見れば、夜襲を利用して勝利をつかんだ例などいくらでも見つけることができるが、それらの先例で夜襲が決定的な効果を発揮できたのは、そもそも、夜襲が実行困難な戦法であるからだ。


 夜間は、言うまでもなく光に乏しく、視界が悪い。

 そんな状態で軍を動かせば、兵士たちはそもそも攻撃目標を見失って迷子になり、敵陣にたどり着けたとしてもバラバラになって有効な打撃力とならないかもしれないし、あらぬ方向に向かってしまうかもしれないし、味方を敵と誤認して同士討ちをしてしまうかもしれない。


 もし視界が悪いからと、松明やランプなどで明かりをつけて進もうものなら、「これから夜襲をしかけますよ」と宣伝しながら練り歩く間抜けにしかならない。

 夜の闇にまぎれて行うからこそ夜襲は効果的なのであって、その闇があるために、実行に難しさのあるものなのだ。


 だから基本的に、[夜になれば戦闘は終了]というのが、戦争の基本だ。

 人間が昼間に活動して夜間は休むという生活を基本としているというだけではなく、夜間に軍事作戦を実施するのは、あまりにもリスクが大きく、危険だからだ。


 そういった夜襲がうまくいった例というものは大抵、それをしかける側が戦場となった周辺の土地勘を持っており、夜陰にまぎれても道を見失わずに動くことができたり、兵士たちの統制がとれ、事前に入念な下準備をしており、夜襲を実行に移すだけの用意を整えたりしている。


 しかし、ノルトハーフェン公国軍は、今日、この戦場に到着したばかりだった。

 彼らは野営地を設営してこの地域一帯を占領し、その事実を持って領有権問題の解決を強制しようというオストヴィーゼ公国軍に相対するため、自らも野営地を築かねばならず、明るいうちに行われた両国の会見が不成立に終わると、そこからテントなどを設営し始めていた。


 夜襲を実行に移せるだけの用意ができるはずがない。

 だからこそ、クラウスは兵士たちに飲酒を許し、自身も優雅に過ごしていたのだ。


 ノルトハーフェン公国軍が押し寄せてきていることを示すドラムの音が、あたりにおどろおどろしく鳴り響いている。

 進軍する兵士たちの足音が、夜の闇にまぎれて聞こえてくるようだった。


 オストヴィーゼ公国軍は、もはや立て直しができないほど混乱していた。

 砲撃によって受けた被害の全容も明らかではなく、また、ノルトハーフェン公国軍が前進してきているのはわかるのだが、どのように攻撃して来るかまではわからないためにどう対処してよいのか分からず、下士官や将校までもパニック状態に陥りつつある。


「これでは……、いくらわしが叫んだところで、無駄じゃな」


 天幕を出て状況を確認したクラウスはそう呟くと、悔しそうに奥歯を噛みしめた。


(あの、若造め!

 自ら帝国永久平和令の話をしておきながら、このような攻撃に及ぶなどと!


 ……フン。わしも、耄碌(もうろく)したということかのぅ……)


 クラウスは怒りと後悔を覚えたが、すぐに自嘲するような気持になった。

 エドゥアルドを若年公爵と甘く見ておごっていたのはクラウス自身だったし、結局はそのおごりが、今の取り返しのつかない状況を作ってしまったからだ。


 オストヴィーゼ公国軍が、ノルトハーフェン公国軍の夜襲に対処できないことは明らかだった。

 それは、真っ先に安否を確認しなければならない存在であるクラウス公爵のことを、将兵の誰1人として気にかけることができていないことからも、わかる。


(じゃが、わしのことなど、どうでもよい。

 耄碌(もうろく)したじじいなどより、今は、ユリウスじゃ! )


 コツンと地面に杖を強く突きながら気持ちを切り替えたクラウスは、自らの息子、次期オストヴィーゼ公爵であるユリウスの安否を確認するために、声を張り上げた。


「誰か! 誰か、おらぬか!? 」


 すると、混乱し、右往左往している兵士たちの間をぬって、1人の士官と数名の兵士たちがクラウスに駆けよって来た。


「クラウス公! ご無事でございましたか! 」


 緊急事態であるためクラウスの近くまで進み出てきた士官は挙手の敬礼ですまし、ほっと安心したような表情を見せる。


 きっちりとした身なりをしていた。

 マスケットこそ持ってはいないものの、腰にはきっちりとしたサーベルをさしているし、その士官につき従っている兵士たちも皆、きっちりと制服を着こんで、こちらは全員が銃剣を装着したマスケットを装備している。


 オストヴィーゼ公国軍の将兵はそのほとんどが酒宴(しゅえん)を楽しみ、だらしなく眠りこけていたはずだったが、警戒を怠らない、生真面目な士官と兵士たちもいた様子だった。


「わしのことは、よいのじゃ!

 ユリウスは!?

 息子は、どうなったのじゃ!! 」


 まともに話ができそうな士官と兵士たちがあらわれたことで少し安心したクラウスだったが、彼は急いで息子の安否について確認した。


 クラウスはここで戦死しても、ユリウスさえ生きていれば、オストヴィーゼ公国は存続できるだろう。

 だが、ユリウスがここで失われたら、オストヴィーゼ公国は断絶の危機に直面することとなる。


(万が一を考えて、ユリウスの寝所とわしの寝所を別にしておったのじゃが……、失敗じゃったか! )


 クラウスは気が気ではなかったが、士官はそんなクラウスを安心させるように、力強くうなずいてみせる。


「ご安心ください。

 ユリウス殿下は、すでに他の者が安全な場所にお連れいたしております!

 また、ユリウス殿下のご命令により、全軍、撤退せよとの命令が発せられております!


 私(わたくし)どもはユリウス殿下より、クラウス公をお救いせよと申しつかって参ったのです! 」

「おお、そうか! ユリウスは、無事か!

 それに、すでに撤退命令を出しておるとは、よき判断じゃ! 」


 その金髪に碧眼の士官の言葉で、クラウスはようやく表情をほころばせた。

 そして士官は、そんなクラウスに間髪を入れずに言う。


「さぁ、クラウス公!

 我々がお供いたします。今はとにかく脱出し、再起をはかってくださいませ! 」

「うむ! 」


 士官の言葉にクラウスはうなずくと、その士官と兵士たちに案内されながら、混乱の渦中にあるオストヴィーゼ公国軍の野営地から脱出した。

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