第27話:「夜襲:3」

 オストヴィーゼ公爵・クラウスは、数名の護衛だけを引き連れて野営地を後にした。

 馬に乗っていては目立ち、狙撃される恐れもあるから、徒歩での逃避行だ。


 月のない夜で、あたりは暗く足元もおぼつかなかったが、肥沃な黒土はしっかりとしていて歩きやすく、クラウスは杖を使うこともなく進み続けていた。

 元々彼が愛用している杖は儀仗用という意味合いが強く、ただ歩く分にはまったく必要ないのだ。


 クラウスを救い出してくれた士官の、明るい金髪だけが目印だった。

 位置が判明してしまわないように明かりを使うことができない中、星明りの中でもなんとか見える士官の金髪を頼りに、クラウスは闇の中を泳ぐように歩き続けた。


 だが、しばらくしてクラウスは、奇妙なことに気がついた。

 静か過ぎるのだ。


 いつの間にか、ノルトハーフェン公国軍が進撃していることを知らせるドラムの音はやみ、野営地から離れてきたためか、混乱するオストヴィーゼ公国軍の将兵の喧騒(けんそう)さえも聞こえない。


 ノルトハーフェン公国軍が、夜襲をしかけてきているはずだった。

 ノルトハーフェン公国軍は攻撃に先立ち、オストヴィーゼ公国軍の野営地に対して猛烈な砲撃を実施し、それから、歩兵部隊をくり出して、その全力で攻撃を加えてきているはずだった。


 混乱に陥ったオストヴィーゼ公国軍はそれにまともに対処することができず、クラウスに代わってユリウスが代理で、迅速に撤退命令を発していた。

 だからオストヴィーゼ公国軍はまともに交戦することもなく、野営地を捨てて撤退を開始しているはずだ。


 だが、戦闘の音がまったく聞こえないというのは、おかしい。

 あれだけ混乱していたのだ。

 ユリウスがいかに迅速に、適切に撤退命令を発したのだとしても、命令は行き届かず、野営地から脱出するのが遅れて、攻めかかって来たノルトハーフェン公国軍と交戦状態となった兵士がいなければ、おかしい。


 白兵戦の音が聞こえないというだけならまだしも、ただの1発も銃声が聞こえてこないのだ。


「のぅ、お主どう思う?

 やたらと静か過ぎるとは思わんか? 」

「はっ、そのようで。……しかし今は、一刻もお早く、ユリウス殿下と合流し、殿下を安心させて差し上げませぬと」


 クラウスは先導して暗闇の中を進み続ける士官に向かって問いかけてみるが、士官は振り返りもせずにただ、先を急ごうと急かして来るだけだった。


(……考えてみれば、こやつらも、変じゃ)


 野営地の混乱から抜け出し、静寂(せいじゃく)の中を進んでいるクラウスは冷静さを取り戻していた。

 そして、冷静になって考えてみると、自分を混乱の中から救い出してくれた士官と兵士たちにも、違和感があることに気がついた。


 オストヴィーゼ公国軍は、それはもう、醜態(しゅうたい)をさらけ出していた。

 寝込みを襲われ、混乱し、兵士も下士官も将校も右往左往とするばかりで、軍装は乱れ、武器さえも持っていない者ばかりだった。


 それなのに、この士官と兵士たちは、身なりがきちんとしている。

 それだけではなく、しっかりと武装までしている。

 統率もとれていて、クラウスを守るように、周囲をぐるりと取り囲み、守りを固めている。


 だが、唐突にクラウスは、自分がまるで罪人として連行されているような感覚を覚えた。

 たしかにどの方向からもクラウスを守れるように兵士たちは守りを固めてくれているが、それは同時に、クラウス自身も兵士たちから離れることができないということでもあった。


 唐突に膨れがあって来た不安に、クラウスは思わず、金髪の士官に声をかける。


「のぅ、お主、どこへ向かっておるのじゃ? 」

「ユリウス殿下がおられるはずの場所です。確か、こちらでございます」

「しかし、この暗闇じゃ。

 どの方向へ向かっているのか、わかったものではなかろう? 」

「ご安心くださいませ。私(わたくし)はこの辺りの出身でして、地理には詳しいのです」


 クラウスの問いかけに、金髪の士官は次々と答えていく。


 怪しい、とはっきり断言できるような兆候はない。

 しかしクラウスは、いよいよ疑念を深くせざるを得なかった。


(確かにわが軍にもこの辺り出身の者はおったが……、このような士官、おったかの? )


 クラウスは今回の出兵を行うのにあたって、入念に準備を行っている。

 このあたりの地形も調べているし、地元の出身者たちからも話を聞いている。


 もしもこの辺りの出身で地理に明るい士官などがいれば、クラウスは真っ先にその者から話を聞いていただろう。

 だが、クラウスは自軍にこの辺り出身の士官がいるとは、聞いたことがなかった。


「のぅ、すまんが、少し休憩せぬか? 戦闘の音も聞こえて来んし、この辺りは安全じゃろうと思うのじゃが? 」

「いけません、クラウス公。なんなら、私(わたくし)がお背中をお貸しいたします。

 絶対に、足を止めてはなりませぬ」


 試しにクラウスは疲れたような声を出して見せたが、金髪の士官はきっぱりとした口調でクラウスの要望を却下した。


 状況を考えれば、言っていることは至極当然のことだ。

 だがクラウスは、なんだか、自分が急かされているような気がした。


 そして、どこかに連れ去られようとしているのではないかとも、思う。


 ようやく星明りに目が慣れてきて、クラウスも、周囲の状況がわずかにわかるようになってきた。


「貴様ら!?

 わが軍の兵士では、ないな!? 」


 そしてクラウスは驚愕(きょうがく)しながら、叫び声をあげていた。


 クラウスを取り囲んでいる兵士たちはみな、オストヴィーゼ公国軍の制服に身を包んでいたが、その着こなし方に違和感があったのだ。

 制服に取りつけられている装飾などの取りつけ方が違っているし、それらしいところについていても、微妙にズレている。


「……バレてしまっては、しかたありませんな」


 立ち止まったクラウスの方を振り向くと、金髪の士官はニヤリ、と不敵な笑みを浮かべた。

 その直後、クラウスを守っていたはずの兵士たちは一斉にその銃剣をクラウスへと突きつける。

 チャキチャキ、と銃剣が向けられる乾いた音を、クラウスは冷や汗を流しながら聞いた。


「クラウス公。ご無礼は平にご容赦を。

 私(わたくし)は、ミヒャエルと申す、ノルトハーフェン公国に仕える者です。


 我が主が、首を長くしてクラウス公をお待ちです。

 どうぞ、いましばらくご辛抱くださいませ」


 クラウスの生殺与奪(せいさつよだつ)を完全に掌握(しょうあく)した金髪の士官、ミヒャエルのその言葉に、クラウスはその表情を悔しそうに歪ませ、頬をひくつかせる。


「ぬぅぅぅぅっ! あの、若造め!

 まんまと、わしをたばかりおったわ! 」


 今さら気づいても、後の祭りだった。

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