第25話:「夜襲:1」

 その日、領民たちからの貢物(みつぎもの)を受け取ったオストヴィーゼ公国軍の野営地では、夕方から夜にかけては賑やかたったが、夜が深まるとすっかりと静まり返った。


 領民たちからの貢物はどれも上質なもので、クラウス公爵の意向でご相伴(しょうばん)に預かった兵士たちは夢中になってそれを食べ、そして、酒を飲んだ。

 首都から離れた国境にまで進軍し、もう何日かテント暮らしをしていて、退屈しきりだったから、この貢物は兵士たちから大歓迎された。


 結果として、兵士たちのほとんどはその日の夜になるとぐっすりと眠りこんでしまったのだ。

 起きているのは、未だに酒盛りをしているもの好きたちだけだった。


 軍隊としては危険極まりない状態だったが、クラウス公爵の上機嫌な様子が兵士たちにも伝わり、おそらくノルトハーフェン公国軍との交戦も起きないだろうという楽観的な気分がすっかり広まっていたのだ。


 そしてそれを、クラウス自身、とがめたりはしなかった。

 帝国永久平和令という法律がタウゼント帝国の皇帝自らによって発令されており、その命令がある限り、ノルトハーフェン公国軍が積極的に攻撃をしかけて来るとは考えられなかったからだ。


 相手を攻撃できない、というのはオストヴィーゼ公国軍の側も同じだったが、クラウスの狙いは兵士を駐留させることで係争地となっていた場所を占拠し、そこがオストヴィーゼ公国の領土であることを示してノルトハーフェン公国に認めさせることであるから、自ら軍事行動を起こす動機も意志も持っていなかった。


 ノルトハーフェン公国軍との対峙が始まった時は、クラウスもオストヴィーゼ公国軍も油断などしていなかった。

 いつ攻撃をされてもいいように準備を整えていたし、警戒していた。


 だが、エドゥアルドと直接会見を果たし、若いエドゥアルドがク老獪(ろうかい)なラウスの言葉に強く反論できなかったことで、クラウスは相手のことをなめてかかるようになっていた。


 リーダーがそうなのだから、兵士たちだって、警戒をし続けることは難しい。

 なにより、それまで油断せずに気を張り詰めていたせいで、兵士たちは疲労もしていた。


 そこへ、たくさんの食べ物と、酒。

 これまでの疲れもあり、兵士たちは飲んで食べて満腹すると、すっかり満足して、警戒心もどこかに消え去ってしまっていた。


 そうして、夜襲を実行に移すのに最適な条件が、整った。


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「なっ、なんじゃぁっ!? 」


 自身も豪華な夕食をとり、領民たちから貢物として贈られた酒を満足するまで飲んで、気分よく眠っていたクラウスだったが、突然辺り一帯に鳴り響いた轟音で飛び起きることになった。


 轟音は夜の空気を激しく打ち震わせながら、何度も何度も、重なり合い、響き渡る。


「これは、大砲か!?

 まさか、ノルトハーフェンの奴ら、大砲を持ち込みおったのか!? 」


 長年オストヴィーゼ公爵を務めてきたクラウスは、当然、従軍した経験も豊富だった。

 物を見ずとも、音だけでそれが、大砲による砲撃の音であることはすぐに理解できる。


 途切れることなく続く砲撃の音に、クラウスの天幕の外では、酔って眠りこけていた兵士たちが混乱して、騒然となっている様子だった。


 クラウスはエドゥアルドとの会見で、自身の都合の良いことしか話さなかったが、まったく真実を話さなかったわけでもなかった。

 この場に連れてきている兵士たちには、実際に新兵が多いのだ。


 というのは、クラウス自身が兵を引き連れて首都を離れてしまう以上、オストヴィーゼ公国の防備は手薄になるから、ベテランの兵士はなるべく残し、隣国のオルリック王国などに備えさせておく必要があったからだ。

 他国との国境を守ることは、オストヴィーゼ公爵家が代々、タウゼント帝国の皇帝から任されてきた、必ず果たさなければならない使命なのだ。

 オストヴィーゼ公爵家の存在意義と言いかえてもいいほどだ。


 実戦経験がなく、戦場に出たことさえない兵士が多くいる。

 そんな兵士たちにとって、安眠を突然ぶち壊した大砲の轟音は、恐ろしいものだった。


 その音の大きさが、空気を震わせ、自身の胸を打つように轟(とどろ)くというだけではない。

 轟音(ごうおん)が鳴り響くのと同時に砲弾が発射され、その砲弾が着弾すれば、おそらくは命はない。


 すっかりいい気分になって眠っていたところから突然、命の危険にさらされて、平静でいられる者はまず、いないだろう。


 それに、オストヴィーゼ公国軍には、大砲の用意がなかった。

 クラウスの目的はあくまで領土問題を自国に有利な形で解決することで、大砲のように運搬の難しい重い兵器を動かして、過度にノルトハーフェン公国を刺激したくないという考えだったからだ。


 権力を握ったばかりの脆弱な少年公爵など、簡単に手玉に取れるだろうと思っていた。


 だから、オストヴィーゼ公国軍は、おそらくはノルトハーフェン公国軍から行われている砲撃に、反撃することができない。

 一方的に砲撃されるしかないという状況が、兵士たちの混乱に拍車(はくしゃ)をかけていた。


 クラウスがパジャマ姿のまま天幕から出ると、オストヴィーゼ公国軍の兵士たちは右往左往していた。

 兵士たちは着の身着のまま、武器も持たずにただ走り回り、大砲の轟音(ごうおん)に怯(おび)えて頭を抱えている。


 下士官や将校たちが大声で統制をとりもどそうと叫びあっているが、その声も大砲の音にかき消されてしまって、兵士たちにはほとんど届かないようだった。


「ぬぅぅぅぅっ、なんたるザマだ! 」


 その混乱する野営地の様子に、クラウスはいらだたしそうにそう言葉を吐き捨てると、急いで天幕(てんまく)の中へと戻った。

 この混乱を治めるためにはクラウス公爵自身が身体を張って統率をとる必要があったが、パジャマ姿のままで兵士たちに指図をしても、かっこうがつかないと思ったからだ。


 クラウスは急いで着替えると、そこでふと、砲撃の音が聞こえなくなっていることに気がついた。


「なんじゃ? もう、攻撃は終わったのか? 」


 クラウスは一瞬、拍子抜けしたようになってまばたきをしつつ、外の状況を知るために耳を澄ませる。


 だが、次にクラウスの耳に聞こえてきたのは、歩兵部隊の前進開始を告げる、ファンファーレの音だった。

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