第19話:「オストヴィーゼ公爵」
オストヴィーゼ公爵、クラウス・フォン・オストヴィーゼは、策略家として有名だった。
それは、クラウス公爵が過去に、その2人の息子を謀殺したという噂があるためだ。
クラウス自身が手を下したという証拠は、なにもない。
ただ、その噂はまことしやかにささやかれており、一部では事実だとされている。
クラウスにはかつて、2人の息子がいた。
だが、2人の母親は別々でありながら、生まれた日にちがほぼ一緒であったため、オストヴィーゼ公爵家をどちらが引き継ぐかでもめていた。
その、後継者争いを鎮静化する手段として、クラウスは謀殺を実行した。
1人は、乗馬している最中に馬を暴れさせ、落馬させて。
もう1人は、狩りの最中に銃が暴発するように細工して。
あくまで、証拠はなにもない。
その2件とも[事故]として処理されており、クラウスは人に真実を問われるたびに、そのように答えている。
クラウスが謀殺したというのは、あくまで噂に過ぎなかった。
あとにはただ1人、末の息子である、当時はまだ幼かったユリウスだけが後継者として残り、オストヴィーゼ公国で起ころうとしていた内乱が回避されるという結果が残された。
それが、[事実]のすべてだった。
だが、クラウスが狡猾(こうかつ)な策謀家であることは、自明のこととされている。
元々、息子を謀殺したなどという噂が流れるような下地が、彼にはあった。
クラウスにとって敵対したり、不都合になったりした者で、不慮(ふりょ)の死をとげた者が多いのだ。
たとえば、オストヴィーゼ公国のさらに東の隣国、オルリック王国の臣下で、直接オストヴィーゼ公国と領土を接していた、さる貴族。
その貴族とクラウスとは、お互いに隣接していることもあり、解決しなければならない領有権問題を抱えていた。
そして、両者はその問題について話し合うために会見することとなった。
だが、その数日後に、オルリック王国側の貴族は、不審な死を遂げた。
死因は、心臓発作とも言われているが、激しく嘔吐(おうと)し、血を吐きながら悶(もだ)え死んだという話も伝わっている。
結果、領土問題はクラウス公爵に有利な形で決着した。
相手の貴族の後継者はまだ幼く、クラウスの交渉術を前にまったく太刀打ちできずに、ほとんど一方的に要求を飲まされることとなったのだ。
あまりにも唐突な死に方で、クラウスが一方的に利益を享受したことから、オルリック王国ではクラウスによって毒殺されたのではないかと噂となった。
当然、オルリック王国の国王の耳にもその噂は届き、オルリック王は怒った。
ことはオストヴィーゼ公国とオルリック王国に仕える一領主というレベルの問題から、タウゼント帝国とオルリック王国というレベルにまで拡大しようとしたのだ。
だが、結局は全面的な対立に至ることはなく、クラウスにとって有利な条件のまま、国境線は確定した。
一地方の領有権問題がタウゼント帝国とオルリック王国という2つの大国同士の戦争に発展し、多くの流血が生じる事態を避けたいという思惑が双方に働いたという理由もある。
だが、決定的だったのは、クラウスが謀殺したという[証拠]がやはり、なにもないということだった。
クラウスは堂々としていた。
オルリック王国からかけられている嫌疑はまったくいわれのないものであり、自分は正々堂々、交渉によって領有権問題を解決したのだと、まったく悪びれることなく、むしろ誇らしそうに吹聴して回っていた。
謀殺したという証拠がなにもない以上、クラウスの言い分は[正しい]ものだった。
だから誰も口を出すことはできず、謀殺の噂は闇に消えた。
クラウスの周りで誰かが不審な死をとげると、クラウスが得をする。
この事実が、人々にクラウスの陰険な謀略家としての性格を印象づけ、まことしやかに噂され続けることにつながっている。
その息子のユリウスは、クラウスとは対照的な性格だった。
貴族としてふさわしい教養と知識を持ち、普段は温厚で謙虚に人に接し、弱い者でも見捨てない、慈愛の心を持っている。
だが、必要とあれば先頭に立って敵弾に向かっていくような、戦士としての勇敢さも見せることができる。
彼がまだ19歳という若さで、世の中になんら足跡と呼べるものをあらわしていないから、そのように言われているだけなのかもしれない。
だが、オストヴィーゼ公国の人々はみな、ユリウスのことを清純で愛(いつく)しみの深い、謀略の噂の絶えないクラウスとはまったく異なった性格の君主になるだろうと言い合っている。
ただ、後ろ暗い噂が、ないというわけでもない。
ユリウスには、クラウスの実の息子ではないのではないか、という話がある。
というのは、ユリウスが濃い金髪を持っているのに対し、クラウスは銀髪のカツラを外せばその髪の色は茶色で、遺伝的なつながりがないのではないかというのだ。
もっともこれは根拠のない本当の意味での噂に過ぎず、人々の中でこれを信じている者はほとんどいない。
クラウスがこれまで行ってきた、証拠のない数々の[謀略]が真実であると考える人々の中でも、特に熱心な陰謀論者の間でのみ、信じられていることだ。
エドゥアルドにとって警戒するべきはなによりも、クラウス公爵だった。
彼が実際に謀略を用いたという証拠がないにせよ、そのような陰謀の噂がまことしやかにささやかれるほどの人物なのだから、警戒しないわけにはいかない。
そもそもクラウスは、エドゥアルドが年少の公爵であり、まだノルトハーフェン公国を治め切れていないだろうと踏んで、出兵してきたという人物なのだ。
少なくとも狡猾(こうかつ)であることは間違いなく、エドゥアルドは同じタウゼント帝国に所属する隣国どうしという関係の中で、難しい対応を迫られている。
互いに軍隊を出動させてはいるものの、直接的な軍事衝突に至ることは、可能な限り避けねばならなかった。
というのは、タウゼント帝国では皇帝が存命の間は諸侯の私闘を禁じるという[帝国永久平和令]という取り決めがなされているからだ。
もし、ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国とが軍事衝突に至るとすれば、タウゼント帝国の皇帝に「我が法を破った」と責められることになりかねない。
被選帝侯といえどもあくまで皇帝の臣下であって、皇帝自らが発した命令を破れば、どのような罰を与えられるかわからないのだ。
こういう面でも、クラウスがしかけてきたエドゥアルドへのゆさぶりは、大胆でかつ、危険極まりないものだった。
そしてクラウスは間違いなく、勝算があるからそれを実行に移しているはずだった。
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