第20話:「対話:1」

 国境を侵犯し、自らの正当な領土だと主張している地域を占領して野営を張ったオストヴィーゼ公国軍の前で、急ぎポリティークシュタットから駆けつけてきたエドゥアルド率いるノルトハーフェン公国軍2500名は、まだ日が高い内に布陣を終えた。


 対するオストヴィーゼ公国軍は、4000名。

 仮に戦いになったとしたら、エドゥアルドの軍が不利なのは明らかだった。


 オストヴィーゼク国軍は兵力でエドゥアルドが率いてきた軍隊を上回っているうえに、すでに野営を設営して簡易的な防御陣地を構築している。

 それに、両軍が対峙している周辺の地形は、平坦だ。


 実際の戦場において、地形というのは古来、戦いの勝敗に大きく関わって来た。

 名将としての称賛を受けた軍事指揮官はほぼ必ず、自らがどんな地形を戦場として戦うのかを注意深く観察し、地形を可能な限り活用して勝って来た。


 だが、平坦な場所では、戦術に組み込むことのできる特徴的な地形というのは少なかった。

 だからこういった場所での戦いは、単純な数の差が勝敗に大きく関わりやすい。


 特に、オストヴィーゼ公国軍は、こういった平坦な地形での戦闘に慣れていた。

 長年、同じように平坦な地形を国土として持っているオルリック王国に対する帝国の東の備えとなって来たオストヴィーゼ公国は、平原での戦いに勝つための軍隊とはどんなものなのかを研究し、実際のものとして編成しているからだ。


 特に大きいのが、オストヴィーゼ公国軍の陣中には、騎兵が存在していることだった。


 その数は、ほんの数百といった程度でしかない。

 だが、歩兵に比較して圧倒的に高い機動力を持つ騎兵は、平原のような地形での戦闘ではその機動力を最大限に発揮することができる。


 たとえば、双方の歩兵同士が交戦し、戦線が形成された瞬間を狙って、騎兵が側面から突っ込んで来たら。

 すでに交戦中の部隊は迅速な隊形転換も間に合わず、騎兵突撃によって大きな被害を受けざるを得ないし、仮に騎兵に対応するための隊形を取ることができたとしても、今度は先に交戦中だった敵歩兵との戦闘で不利にならざるを得ない。


 そうして敵の歩兵と騎兵の連携した攻撃に耐え切れずに一翼が崩れれば、その崩壊はなし崩し的に全軍へと広がっていく可能性すらある。

 誰しも命は貴重で惜しいものだから、戦況が不利であると悟れば我先にと逃げ出してしまう可能性はあった。


 ペーター中佐が指揮するエドゥアルドの軍隊がそんなに簡単に崩れるとは思えなかったが、たとえ崩れなかったとしても、騎兵による側面、後方からの攻撃をしかけてくるオストヴィーゼ公国軍に対して大きな被害を出し、やがて敗北に至るだろうということは、誰にも予想できることだった。


 もちろんノルトハーフェン公国にも騎兵というものは存在しているのだが、その数は少なく、質もオストヴィーゼ公国軍と比較するとお粗末なものだった。

 商業と工業を基盤とするノルトハーフェン公国と、農業と畜産を基盤とするオストヴィーゼ公国では、保有している軍馬の数がそもそも違うし、平坦な地形での戦いに特化して来たオストヴィーゼ公国では軍馬の品種改良が長い歴史をかけて行われてきていたから、軍馬の質がノルトハーフェン公国よりもずっと上なのだ。


 だから、オストヴィーゼ公爵であるクラウスは、ノルトハーフェン公国軍が布陣を得ても悠々としていた。

 彼の指揮下には簡易的な野戦築城を終えた、野戦に強い軍隊が臨戦態勢でおり、たとえ交戦に至ったとしても簡単に逆襲して圧勝できるという自信があったからだ。


 油断しているわけではなかった。

 クラウスは配下の兵士たちに、ノルトハーフェン公国軍が先代のノルトハーフェン公爵の時代から精鋭として知られていることを周知し、実際に交戦することとなったら、歩兵は最初、防衛に徹して、騎兵の機動力と打撃力でノルトハーフェン公国軍の攻勢をくじいてから反撃に転じるという方針を徹底させている。


 クラウスは、エドゥアルドは手も足も出せないだろうと考えていた。

 なぜなら、野戦に強いオストヴィーゼ公国軍が、簡易ながらも野戦築城を終えているという有利な条件で、いつでも交戦できるように油断なく備えているからだ。


 こちらよりも劣る数な上に騎兵を持たないエドゥアルドの側からしかけて来るとすれば、それは愚(おろ)かとしか言いようのないことだった。

 もしそれほどにエドゥアルドが愚(おろ)かであるのならひとひねりにひねりつぶすだけだし、血気にはやって攻撃して来ないような賢明さを持ち合わせているのなら、クラウスに対する譲歩を引き出すことができるだろう。


 どちらに転んでも、クラウスの目論見は果たされる。

 そういう仕組みが出来上がっていた。


 そしてエドゥアルドは、どうやら賢明な君主であるようだった。

 彼はクラウスに対し、会見し、対話を行おうと持ちかけてきたのだ。


 クラウスはミヒャエルという名前の、中尉の階級にあるエドゥアルドからの使者に対し、ほとんど即答で会見に応じると約束をした。

 こちらにとって不利なことはなにもないという自信があるからだった。


「フン。若造め。

 思ったよりは、賢いではないか」


 ミヒャエルが去った後、野営地の天幕(てんまく)の中で、クラウスはエドゥアルドのことを少し認めつつも、嬉しそうに笑っていた。

 年少の公爵の慌てふためいている様をこの目で見られるかと思うと、たまらなく愉快な気持ちになって来るのだ。


「せっかくだ。ユリウス、お前も、同行するといい」

「私(わたくし)も、でございますか? 」


 上機嫌な様子のクラウスを、どこか不安そうに見つめていたユリウスは、その誘いの言葉に意外そうに首をかしげていた。


「父上なら、万一のことを考えて、私(わたくし)にはここに残れと、そうおっしゃると思っておりましたが」

「心配性だな、ユリウス。

 相手はノルトハーフェン公爵。

 同じ皇帝、カイザー11世陛下にお仕えしておるのだぞ?


 エドゥアルド公爵の新年と誕生を祝う祝賀会には使者も出さなかったしな、この際だから、ワシと、ワシの後継者のお前、両方の顔を若造めに見せておいてやろうではないか。

 隣国同士、これから長いつき合いになるのだからな」


 クラウスの言葉にも、ユリウスはやはり不安そうな様子だった。


(確かに、父上は油断してはいない。

 つけ入る隙のないくらいの備えをしておいでだ。


 だが、だからと言って、これだけ余裕を見せているのは、慢心なのではないか? )


 ユリウスは、そんな、漠然(ばくぜん)とした[嫌な予感]を抱いていたのだが、クラウスには伝わらないようだった。


「安心せい。……あの若造は、ワシではないのだぞ?

 それに、エーアリヒを断罪できんような、軟弱な性質なのだ。


 ワシやお主が首をそろえて行っても、なにかできるわけがなかろうよ」


 クラウスはそう言って、ユリウスの不安を笑い飛ばすのだった。

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