第18話:「布陣」

 タウゼント帝国被選帝侯、オストヴィーゼ公爵。

 代々ノルトハーフェン公国の東に領地を有し、タウゼント帝国にとっての東側の隣国、オルリック王国との国境を守護して来た家だった。


 その家紋には、馬を用いている。

 これは、ノルトハーフェンの港を利用した交易を中心としたノルトハーフェン公爵家が、船に関係する舵輪を紋章としているように、オストヴィーゼ公爵家は、その経済の基(もとい)が畜産をはじめとする農業であることをあらわしている。


 オストヴィーゼ公国があるタウゼント帝国の東方は、平坦な平原の広がる場所だった。

 そこは耕作に適した肥沃な黒土が広がる土地で、麦などの穀物がよく育ち、また、良好な牧草地が得られることから、古くから畜産が盛んに行われている。

 その主要な産物は、穀物と、それを加工した、良質なことで知られるビール、家畜から得た肉を使ったハムやソーセージ、そして羊毛など。

 隣国であるノルトハーフェン公国とは領有権問題を抱えてはいるものの、羊毛などの商品を海外に輸出するためにノルトハーフェン港を利用しなければならない都合上、基本的には良好な関係を維持してきた国だった。


 そのオストヴィーゼ公国を治めている現公爵は、クラウス・フォン・オストヴィーゼ。

 もう間もなく齢(よわい)60に到達しようかという、老境にさしかかりつつある人物だ。

 貴族がよくしているように、白い髪で作られたいくつものカールのつけられているカツラを被り、公爵らしい豪華な衣装に身を包み、宝石のたくさんついた杖をついている。


「フフフフ……。若造め、慌てふためいて飛び出してきおったわ」


 クラウス公爵はおよそ4000の手勢によってノルトハーフェン公国の領土を占拠して築いた野営地から、望遠鏡を使い、こちらに向かってくるノルトハーフェン公国軍の様子を観察し、エドゥアルドがそこに存在することを示すノルトハーフェン公爵の旗がかかげられているのを目にして、愉快そうに、緑色の碧眼を持つ双眸(そうぼう)を細めていた。


 先行させていた斥候(せっこう)の兵士たちから、向かってくるノルトハーフェン公国軍の兵力がおよそ2000から3000と、この野営地に駐留しているオストヴィーゼ公国軍よりも少ないという報告を受けているからだった。


 ノルトハーフェン公国は、オストヴィーゼ公国よりも豊富な兵力を持っている。

 畜産と農業を主軸とした牧歌的な雰囲気のあるオストヴィーゼ公国と異なり、ノルトハーフェンの港を利用した海外交易によって発達した商業と、近代的な産業機械の導入によって進む工業化によって帝国でも屈指の経済力を持つノルトハーフェン公国は、その豊富な歳入によって多数の兵を養い、武装させることができるからだ。


 それなのに、派遣されて来た兵力は3000にも満たない。

 後から援軍が到着するという可能性もあったが、若き公爵であるエドゥアルドがすぐに動かすことのできる兵力がたったそれだけしかないということは、クラウスにはエドゥアルドの権力がまだ定まっておらず、弱体であることの裏づけであると思えた。


「父上。あまり、ご油断はされないほうが」


 状況はこちらに有利だと確信し、ほくそ笑んでいるクラウス公爵にそう心配するような声をかけたのは、老齢にさしかかったクラウスとは対照的に若い、青年だった。


 ミディアムセンターわけにされた色の濃い金髪に、緑色の碧眼。

 ハンサムで清純な印象を持つ、クラウスの末の息子。

 その名前を、ユリウス・フォン・オストヴィーゼという。


「フン。……細工は流々、あとは仕上げをごろうじろ、じゃわい」


 息子からの忠告を、クラウスは笑い飛ばすと、得意げにそう言った。


 実際、クラウスは軍隊をくり出して、オストヴィーゼ公国が従来から主張して来た領地を占領するという実力行使に出る以前に、入念に下準備を行っている。

 新たに公爵として統治を開始したエドゥアルドの人と成りを調べ、その臣下たちを調べ、そして、彼がまだ十分に国を掌握しきれていないことをきちんとつかんでいるのだ。


 軍隊を動かすという高い緊張状態をもたらすような行為を実行しても、エドゥアルドはなにもできず、こちらの要求を飲むしかない。

 そう判断できたからこそ、クラウスは実際の行動に移ったのだし、この場に、大切な後継者であるユリウスを連れてきているのだ。


「あの若造めは、自分の命を狙っておったエーアリヒを、宰相に任命しおった。


 それは、奴が無力で、公国を治めきれておらん、なによりの証拠であろうよ」


 クラウスがその判断を下した最大の原因は、エドゥアルドがエーアリヒを宰相として用いたことだった。


 世間には公表されておらず、知っているのは一部の者だけである、ノルトハーフェン公国の公爵位を巡る簒奪(さんだつ)の陰謀の詳細を、クラウスはすっかりつかんでいた。

 その陰謀の首魁(しゅかい)がエーアリヒ準伯爵であることも当然、知っている。


 エドゥアルドがその陰謀の首魁(しゅかい)、自らの命を狙った敵であるエーアリヒを断罪せず、宰相に任命したのは、クラウスにはエドゥアルドの足元の脆弱(ぜいじゃく)さと思えた。


 クラウスが様々に探りを入れさせた結果、エドゥアルドには子飼いの臣下と呼べる者たちが存在せず、したがって、公国の実権を掌握(しょうあく)しても、実際に公国を意のままに動かすノウハウを欠いていると判断できた。

 エドゥアルドの力だけでは公国を統治して行くことができず、しかたなく、本来であれば断罪されるべき敵であるはずのエーアリヒと手を結んだのだというのが、クラウスから見たノルトハーフェン公国の状況だった。


 だから、クラウスは、この危険をともなった軍事行動によって、エドゥアルドにこちらの要求を簡単に飲ませることができると確信している。


 親身になって支える臣下は少なく、その質も低く、宰相となったエーアリヒとも、過去のいきさつからまともに協力し合えるはずがない。

 そんなエドゥアルドに、いったい、なにができるというのだろうか。


「しかし、父上。

 エドゥアルド殿はまだ公爵としての実権を手にしたばかりなのですから、国を掌握(しょうあく)できていないのも当然のこと。


 そんな時期に軍を動かし、我が意を押し通すのは、いかがなものかと……」


 ユリウスはクラウスの今回の行動に、賛同しかねている様子だった。

 彼は今、19歳の青年だった。

 そして、そんなユリウスよりもさらに年若い、15歳で公爵としての重責を果たさなければならないエドゥアルドに、少なからず同情心を抱いている様子だった。


「だから、お前は甘いというのだ。

 お前はなんでもよく理解できるし、聡明な人物だとワシも思う。

 しかし、今は亡き2人の兄を、少しは見習って野心を持つのだ。


 我がオストヴィーゼ公爵家のために、取れるものは取れる時に、しっかりと得ていくのだ。

 麦や家畜に、収穫するべき時があるのと同じように。

 みすみす、取れるモノを見逃して、腐らせるわけにもいくまい」


 そんなユリウスに、クラウスはクドクドと説教をしつつ、こちらから十分に距離を取って布陣しようとしているノルトハーフェン公国軍の動きを観察し続ける。


 そしてその中に、ひときわ若い、青鹿毛の馬にまたがった少年公爵の姿を見つけて、クラウスはニヤリと不敵に微笑んで呟いた。


「若造め。……ワシが、お前に教育をつけてやろうぞ。

 せいぜい、ありがたく思うことだな! 」

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