第17話:「ゆさぶり」
ノルトハーフェン公国は、東の隣国、オストヴィーゼ公国と領有権問題を抱えている。
それは両国の間に明確な国境線とできる地形が存在しないためだったが、測量技術が発達して測量によってはっきりと国境線を定めることになった今でも、歴代の公爵は互いに不利益となることを避け、意図して問題を曖昧(あいまい)なままにしてきた。
だが、エドゥアルドが公爵としての実権を手にしてからすぐに、オストヴィーゼ公国はしかけてきた。
年少でかつ、権力を手にしたばかりのエドゥアルドに、ゆさぶりをかけてきているのだ。
エドゥアルドにとって、難しい決断が迫られている。
ここでどんな風に決断を下すかで、ノルトハーフェン公爵家と同格である被選帝侯、オストヴィーゼ公爵家との今後の関係性が決定されるからだ。
もし、エドゥアルドがしくじって、一方的に不利益を得れば、エドゥアルドはこれから帝国の他の諸侯から[なめられる]ことになる。
いいように隣国にあしらわれた間抜けな公爵と陰口を言われ侮(あなど)られるだけではなく、ノルトハーフェン公国と領有権問題を抱えている他の諸侯も、エドゥアルドを[くみしやすい相手]として、積極的に動き出すことになるだろう。
第一報を受けた時点で、エドゥアルドは直ちに、公国の全軍に臨戦態勢に入るように命令を下した。
同じ帝国の諸侯同士、実際に戦闘になることは考えにくいし、できるだけ避けるべき事態だったが、だからと言って反撃する態勢を整えなければ、オストヴィーゼ公国は増長し、エドゥアルドに厳しい条件を突きつけてくることになりかねないからだ。
兵士たちに出動の準備を整えさせ、また、他の隣国がこの状況に合わせてにわかに動き出さないよう警戒させながら、エドゥアルドはエーアリヒとヴィルヘルムを呼び出し、対応について話し合った。
まず、明らかにしなければならないのは、オストヴィーゼ公国の目的だった。
その最終的な目的が、ノルトハーフェン公国に自らの要求を飲ませ、オストヴィーゼ公国にとって有利な形で両国の領有権問題に決着をつけることであることは明らかであったが、その[有利な形]というのを、どこまでオストヴィーゼ公国が思い描いているのかが問題だった。
ただ単に、年少のエドゥアルドを挑発してその反応を見て、その力量を計ろうとしているのか。
それとも、エドゥアルドに対して要求を飲ませるべく、年少であることを侮(あなど)って兵を動かしたのか。
あるいは、本気で武力侵攻を目論んでいるのか。
彼らは、エドゥアルドとの話し合いに応じ、なんらかの結論を対話によってもたらすつもりがあるのか、ないのか。
それらを話し合っている間に、続報がもたらされる。
どうやらオストヴィーゼ公国軍は、彼らが自らの領土だと主張する境界線ギリギリまで進出して、そこに野営地を築き、長期間滞在するかまえを見せているということだった。
「つまり、オストヴィーゼ公国は、旧来からの自らの主張を殿下に押し通そうということでございましょう」
状況をまとめるために年長者としてエーアリヒがそう言った言葉に、エドゥアルドはほんの少しだけ安心しながらうなずいていた。
オストヴィーゼ公国の目的が武力による侵攻ではなく、あくまでエドゥアルドにゆさぶりをかけ、今まで彼らが主張して来た国境線を認めさせることにあるとわかったからだ。
オストヴィーゼ公国は自らの主張する領域を実力で確保し、その事実をエドゥアルドに強制的に認めさせようとしている。
軍事的な衝突に至る高い緊張状態ではあったが、すぐにオストヴィーゼ公国軍が攻撃してくるということはなさそうで、エドゥアルドには少しだけ、考える時間的な余裕があるということだった。
少しだけほっとするのと同時に、エドゥアルドは、段々と腹が立ってきた。
自分が年少であるというだけで、オストヴィーゼ公国はエドゥアルドのことを侮(あなど)って、こんな際どい行為に及んできているのだ。
武力による恫喝(どうかつ)。
脅迫すれば要求を簡単に飲むだろうと、オストヴィーゼ公国はエドゥアルドのことをそうとらえているのだ。
「なんとか、オストヴィーゼ公爵の認識を正してやりたいものだ」
エドゥアルドは不愉快そうに、テーブルの上に広げられた地図を見つめながらそう呟く。
その地図の上には、現状を分かりやすくするために、ノルトハーフェン、オストヴィーゼ双方の軍隊の配置が、駒によって再現されている。
続報によると、自らの主張をエドゥアルドに飲ませるために進出し、野営地を築いているオストヴィーゼ公国軍の数は、およそ4000名。
オストヴィーゼ公国軍のほんの一部ではあるものの、ゆさぶりとしては十分すぎる数だったし、なにより、エドゥアルドが即座に動かすことのできる兵力はそれより少なかった。
他の国境で諸侯の動きを警戒させるための兵力が必要であるというのはもちろん、エドゥアルドがノルトハーフェン公国の実権を手にして日が浅いために、まだ公国軍の全軍を掌握しきれていないためだった。
すぐに動かせるのは、ノルトハーフェン公国の首府、ポリティークシュタット近辺に駐屯していた、ペーター・ツー・フレッサー中佐率いる、エドゥアルドの近衛歩兵連隊のみ。
その兵力は4個大隊で、2500名程度でしかなかった。
エドゥアルドにとって絶対に信頼のおける将校が指揮している部隊というのは、たったそれだけなのだ。
それに加えて、近衛歩兵連隊は再編成されたばかりであり、新しい編成に対応した訓練を完了していない。
元々公国の正規兵だった者たちだから、戦えと命じれば立派に、勇敢に戦ってくれるだろうが、効果的な戦いをできる保証はなかった。
エドゥアルドは隣国との軍事衝突に至るかもしれないという危機を、あまりにも頼りない手駒を指揮して乗り越えなければならなかった。
オストヴィーゼ公国が、すぐに攻撃をしかけて来ることはない。
それが判明して考える猶予(ゆうよ)が生まれたものの、エドゥアルドの思考は焦るばかりで、良い案は浮かんでは来なかった。
「公爵殿下。少々、よろしいでしょうか? 」
その時、ヴィルヘルムがいつもの、とらえどころのない柔和な笑みを浮かべながらそう言った。
彼はまた、エドゥアルドのために策を考えついた様子だった。
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