・第3章:「最初の試練」
第16話:「隣国」
ノルトハーフェン国内についてやらなければならないことは、あらかた、片づけることができた。
後は、エドゥアルドが命じた政策が実行に移され、その効果がどのようにあらわれるのかを注目しながら、不備のある部分を修正していけばいいだけだ。
国内のことについてやることを終えたエドゥアルドは、次に、国外について視線を向けていた。
ノルトハーフェン公国は、タウゼント帝国というより大きな国家に所属する小国ではあったが、古い時代の封建制の気配が残るタウゼント帝国ではそれを構成する各諸侯の領国に、高い自治権を認めている。
帝国に所属する者が守らなければならないやり方やしきたりといったものは存在するが、各諸侯にたくされている裁量は大きく、各領国にそれぞれで国法を定めているほか、兵権でさえ各諸侯が掌握(しょうあく)している。
エドゥアルドは、タウゼント帝国というより大きな枠組みに所属しながらも実質的に1つの独立国家の国家元首として、物事を考えなければならない。
ノルトハーフェン公国と同じように、高度な自治権を持ち、実質的に1つの独立国としてそれぞれの思惑を持ちながら行動する隣国と、どのような関係を結ぶのか。
エドゥアルドはノルトハーフェン公爵として、その判断を下さなければならなかった。
基本的には友好関係を築くということで方針は定まっているものの、対応を誤れば大きな問題に発展する、微妙な対立関係があるのだ。
タウゼント帝国という大きな枠組みによって帝国の諸侯はまとまっているし、表立って対立することなどないのだが、しかし、水面下では様々な軋轢(あつれき)が存在している。
たとえば、土地の領有権をめぐる対立や、どちらが[格上]なのかという対立だ。
土地は言うまでもなく、人間が暮らしていくのにはほとんど必須と言ってよいもので、農業や牧畜などによって食料や産物を入手したり、資源を採掘したり、家や工場を建てたりと、あればあるほどなにかと便利なものだった。
だから帝国の諸侯の間では、自らが正当だと主張する範囲の領土を保有し、維持することになみなみならない熱意を持っている。
また、貴族社会というのは、はっきりとした階級社会だった。
男爵、伯爵、公爵といった段階的な爵位でそれぞれの地位がはっきりと定められているほか、同じ高さの爵位にあっても、その中での序列というものが決まっている。
そしてその序列は、単に、その貴族の家の持つ領地の大きさで決まるわけではない。
そこから産出する産物の多い少ないや、経済力だけではなく、どれだけ長くタウゼント帝国の皇帝に仕えているか、血筋の良さ、過去にその家がどんな功績をあげたのかも考慮されてくる。
貴族にとって序列というのは重要なものだった。
自らがどの位置にいるかで、タウゼント帝国の貴族社会の中でどんな立ち居振る舞いをせねばならないかが決まり、また、侮(あなど)られて序列が危うくなるようでは、貴族が貴族として人々に認められるための権威が損なわれ、家を保つことができなくなるからだ。
このために、帝国の貴族社会では常に階級闘争が行われている。
そういう貴族社会の複雑で時に陰険な関係性に加わらなければならないと思うと、エドゥアルドはたまらなく憂鬱(ゆううつ)な気持ちになる。
幸いなのは、ノルトハーフェン公爵と並び立つ存在は帝国の中でも他に4つしか存在せず、同じ被選帝侯として基本的に[対等]ということになっているので、序列争いに熱をあげる必要が小さいということだった。
だが、実利、すなわち公国が実際にどこからどこまでをその領地として治めるのかという、領有問題に関しては、エドゥアルドも無関係ではいられなかった。
タウゼント帝国の歴史は千年以上もあるとされ、その最初の頃のことはほとんど伝説の域になっているというほどに長い、
その長い歴史の中で、帝国の諸侯は入れ代わり立ち代わり、あらわれたり滅んだりもしており、当然、その領地は様々に変動して来た。
だから、もめる。
誰しもより多くの領地が欲しいから、[過去にそこはこちらの領土だったから]といった理由で今は他国のものとなっている土地の請求権を主張したり、[境界線になっていた川の流路が変化したから]といった理由で、どこを新たな境目とするかで対立したり。
なんだかんだ理由をつけてはいるが、多くの場合、その目的は自分の領土、すなわち自らの家の[力]をより大きくすることだった。
そうなれば、帝国の中で自らの家の序列を押し上げることにもつながり、一族は繁栄し、尊重されることになる。
人は誰しも、欲を持っている。
より豊かになりたい。
より尊重されたい。
自分という存在を、認められたい。
そういった、当たり前に存在する欲によって、貴族たちはタウゼント帝国に所属する者として許される範囲で、争っている。
ノルトハーフェン公国にも、いくつか領有権の問題が存在した。
北をフリーレン海という海に面している公国は他の帝国諸侯と比較すると接している領国の数は少ないはずだったが、南の小国のいくつかと、皇帝から与えられた領土の範囲についての認識の違いや過去の取り決めの曖昧(あいまい)さ、不透明さから、領有権問題を抱えている。
中でも大きいものは、東の隣国、ノルトハーフェン公国と同格の公爵領である、オストヴィーゼ公国との領有権問題だった。
ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国との間には、国境線となるべき明確な地形が存在していない。
そのために、両国の国境線は曖昧(あいまい)になっていて、長年にわたって係争が続いているのだ。
その時々の公爵がそれぞれ妥協し合って互いに平和を維持してきてはいるものの、未だに明確な決着は見ていない。
かつては測量技術も未発達で、明確な地形でもなければはっきりとした国境線を引くことができなかったのだが、現代の技術で測量を行えば、はっきりとした国境線を確定させることもできるはずだった。
だが、それをせずにいるのは、やはり、領土というものは人々の生活基盤となる大切なもので、そして、一度確定してしまえばそう簡単には変更のできないものだからだった。
歴代の公爵たちは、あえてこの問題に決着をつけず、曖昧(あいまい)なままにとどめてきた雰囲気すらある。
話し合いの結果どちらの公爵家にとっても公平とみなせる結論が出せればいいのだが、双方ともに[正当]とみなしている要求をしている以上、互いになんらかの譲歩をしなければならない。
そして譲歩してしまえば、その公爵の権威に傷がつく。
それを避けるために、この領有問題は曖昧(あいまい)なままにとどめ置かれているのだ。
エドゥアルドはそれらの、公国が抱えている領有権問題について、なるべく早く自身の方針を定めておく必要があった。
公国としてどんな主張をしていくかは、隣国との関係性を決めるうえで重要なことだったし、その点をはっきりとさせておかなければ、領有権問題を抱える隣国がそこにつけこんで自らの利益を得ようと画策してくるかもしれない。
エドゥアルドは連日、エーアリヒやヴィルヘルム、それ以外の主要な重臣や役人と協議を続けていたが、しかし、事態は唐突に、大きく動くこととなった。
ノルトハーフェン公国に向かって、隣国のオストヴィーゼ公国の軍隊が突如として進軍を開始したという報告がもたらされたのだ。
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