第15話:「ルーシェ、ケーキを焼かれる」

 しばらくの間、部屋には立ち入り禁止。

 ただし、殿方、男性限定で。


 エドゥアルドには、どうしてシャルロッテがそんなことを言い始めたのか、まったく理解できなかった。


 だが、エドゥアルドは言われた通り、部屋の外で待った。

 シャルロッテは長年、エドゥアルドが実権なき公爵として、[すずめ公爵]と嘲(あざけ)り嗤(わら)われていたころから仕えてくれているメイドだった。

 家族と呼んでもいいような相手なのだ。


 そのシャルロッテが言うことなのだから、きっと、なにか重大な事情があるのだろう。

 エドゥアルドはシャルロッテのことを信じ、だがルーシェのことが心配なのでそわそわとした様子で、2人が部屋から出て来るか、また自分の入室が許可されることを待った。


 部屋の中は、静かだった。

 だが、唐突に、ルーシェが驚く「ぇえーっ!!? 」っという声が聞こえてきて、エドゥアルドはなにごとかと不安になる。

 しかし、それきり部屋の中はまた、静かになって、様子がわからなくなってしまった。


「これは、公爵殿下。なぜ、このような場所におられるのですか? 」

「おはようございます、公爵殿下。しかし、いったいどうされたのでしょうか? 」


 そこへ、かつての仇敵でありながら、今はエドゥアルドの宰相(さいしょう)として国家運営に協力しているエーアリヒ準伯爵と、エドゥアルドの知恵袋として活躍しているヴィルヘルムの2人が並んでやってくる。


「エーアリヒ殿に、プロフェート殿。貴殿たちこそ、こんな朝早くから、どうされたのだ? 」

「いえ、少々、公爵殿下となるべく早くお話をさせていただきたいことが、いくつかできてしまいましてな」

「厄介ごとか? 」

「そこまでではございません。ただ、なるべく早くお耳に入れておいた方が良いという程度の案件でございます」


 ノルトハーフェン公国の国政に深くかかわる2人が朝食も済んでいないような時間にやって来たということでエドゥアルドは表情を険しくしたが、エーアリヒもヴィルヘルムも落ち着き払っているから、どうやら緊急事態ではないようだった。


「では、朝のコーヒーでもいただきながらお話いたしませんか? 廊下で立ち話では、いくらなんでも寒いですし」


 そしてヴィルヘルムはそう言うと、エドゥアルドが入室を禁じられた部屋の扉を押し開こうとする。


「あ、待て、プロフェート殿! そこは今……っ! 」


 そこが男性立ち入り禁止の場所にされていることを思い出したエドゥアルドが止めようとしたが、少し遅かった。

 ヴィルヘルムはなにも知らずに、扉を薄く、数センチほど開く。


 すると、ヒュン、と風を切る音がして、たーん、と、なにかが壁に突き刺さる音がした。


 エドゥアルドたち男性3人が音のした方向を見ると、そこには、シャルロッテがいつも愛用し、肌身離さずに携帯している投げナイフが1本、壁に突き刺さっていた。


「すまないが、どういうわけか、今、この部屋は男性立ち入り禁止なんだ」


 いつもの柔和な笑みは崩さなかったものの、素早い動作で扉を閉じたプロフェートと、いきなり投げナイフが飛んできたことに驚いているエーアリヒに、エドゥアルドはようやく事情を伝えることができた。


「ルーシェ殿が、体調不良? それで今、シャルロッテ殿が、部屋の中で様子を診ていると? 」

「ああ、しかし、どうして男性立ち入り禁止なのか、僕にはさっぱり……」


 エーアリヒもエドゥアルドも、心配と困惑の入り混じった表情だったが、ヴィルヘルムだけはいつもの柔和な笑みを浮かべながら、彼だけはなにが起こっているのかを察している様子で落ち着き払っていた。


 ルーシェのことが心配でその場を離れたくなかったエドゥアルドと、用のある公爵がいるからその場から動けないエーアリヒとヴィルヘルムが、なにかをすることもできずに待ち続けていると、やがて、部屋の扉が開いた。

 すると、いつものように凛とすました様子のシャルロッテと、なんだか顔をうつむけて、どういうわけか顔を赤くしている様子のルーシェが、2人連れ立って姿をあらわした。


「シャルロッテ。ルーシェは、大丈夫なのか? 」


 ルーシェはさっきまでより落ち着いている様子で、エドゥアルドは少し安心できたが、やはり彼女の病状が気になる。

 心配そうにエドゥアルドがそうたずねると、シャルロッテは「はい、大丈夫です」と保証し、ルーシェはなぜかさらに顔をうつむけ、エドゥアルドからなるべく自身の顔が見えないようにした。


「なにも、ご心配にはおよびません。

 世に、女性として生を受けた者なら、誰しもが通る道でございますので」


 シャルロッテはいつもの淡々とした口調でそう言うのだが、エドゥアルドにはやはりルーシェがどういう状況なのかがわからず、若き少年公爵は怪訝そうに首をかしげるだけだった。


「おお、なるほど! それは、なによりなことでございますな! 」


 だが、エーアリヒにはシャルロッテの言った言葉の意味が理解できたらしい。

 彼は心底嬉しそうな口調でそう言うと、まるで父親が娘の成長を喜ぶような暖かな視線をルーシェの方へと向けた。


 そしてヴィルヘルムは、なにもわかっていないエドゥアルドの方を見つめながら、必死に笑いをこらえている。

 いつもの柔和な笑みは崩れてはいなかったが、あまりにおもしろかったのかその強固な仮面も彼の感情をすべて隠しきることができなくなったようだった。


「皆様、どうか、お静かに」


 きょとんとしているエドゥアルドと、嬉しそうなエーアリヒ、おかしそうなヴィルヘルムを、シャルロッテはじろりと睨みつけて黙らせると、そのまま「私(わたくし)は、ルーシェを部屋についれていきます」と言い残し、うつむいたまま恥ずかしそうにしているルーシェを連れ立って歩き去って行った。


「……さて、公爵殿下。さっそく、ご相談させていただきたいのですが」

「あ、ああ。そうだったな……」


 エドゥアルドは、自分だけなにもわかっていないという状況に納得がいかなかったが、エーアリヒにそううながされてうなずくと、とにかく公爵として公国の国政を担うべく、おそらくは大事な話を聞くために、男性立ち入り禁止が解除された部屋の中へ入って行った。


 その日。

 ヴァイスシュネーの厨房(ちゅうぼう)では、メイド長を務めるマーリア・ヴァ―ル自らが腕を振るい、特製の大きな大きなケーキが焼かれ、あのまま仕事を休んで寝込んでいたルーシェのために特別にデコレーションされた数ピースが出されたほか、エドゥアルドの食卓にも提供されることになった。

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