第14話:「ルーシェ、体調不良になる」
翌朝、いつものようにエドゥアルドに朝食後のコーヒーを給仕するためにあらわれたルーシェの姿を見て、エドゥアルドはぎょっとした。
「お前、どうしたんだ? その顔。真っ青じゃないか! 」
ルーシェの表情は、見るからに体調が悪そうだった。
血の気が引いたように顔色が悪く、その表情にも、いつもの元気の良さがまったく感じられない。
まるで、死者の国から蘇って来たかのようだった。
「……ふへっ?
あっ、えっと、えへへっ……。
大丈夫、ルーは、大丈夫ですよぅ、エドゥアルドさまぁ……」
驚いた顔でルーシェの顔を見つめているエドゥアルドに気づき、ルーシェはコーヒーポットを手に持ちながら、ぐっとガッツポーズをして笑顔を浮かべて見せる。
しかし、その動きは緩慢で、明らかに無理をしているのがわかった。
そもそも、エドゥアルドがかけた声に対する反応も遅れがちで、集中力もまったくない様子だった。
というか、エドゥアルドに向かってくる足取りも、ふらふらとしている。
「いや、どう考えても、大丈夫には見えないんだが……」
エドゥアルドが今日これから行わなければならない職務ことも忘れるくらい心配になって問いかけても、ルーシェは「大丈夫、らいじょうぶ……ですっ」と、無理に笑って見せるだけだ。
だが、ろれつがもう、怪しい。
そして、ふらふらとした足取りでエドゥアルドのところへとやって来たルーシェは、エドゥアルドのコーヒーカップにポットからコーヒーつぐ。
「さ、さぁ、エドゥアルドさま、お、お召し上がりください、ませっ」
ルーシェは足取りと同じくふらふらとした手つきで危なっかしくコーヒーをつぎ終えると、笑顔でそうすすめて来る。
その鬼気迫るものを感じさせる笑顔に気圧されて、エドゥアルドは思わず、ルーシェが給仕してくれたコーヒーを口に運んでいた。
(なんだこれ? まっず! )
そしてエドゥアルドは、愕然(がくぜん)とする。
昨日ルーシェに給仕してもらった時には、エドゥアルドの好みを完全に把握した完璧に素敵なコーヒーを飲ませてもらえたのに、今朝のコーヒーはエドゥアルドの好みから大きく外れたものだった。
心地よい苦みではなく不愉快な感じの苦みばかり強く、香りも貧相で、温度もぬるい。
飲めないわけではないが、決して、お代わりしたいとは思えない出来栄えだった。
同時に、エドゥアルドはルーシェの体調不良を確信した。
コーヒーのいれ方を習い始めたばかりのころだったらルーシェがこんなコーヒーを持ってくるのはあり得たが、彼女はすでに最適なコーヒーのいれ方をマスターしている。
今さら失敗したとしか思えないコーヒーを持ってくるなど、体調不良でもなければあり得ない。
そう確信したエドゥアルドはテーブルの上に置いてあった呼び鈴を手に取って鳴らし、外にひかえている他のメイドを呼び寄せた。
「すまないが、シャルロッテを呼んできてくれないか? 」
部屋に入って来た年配のメイドにエドゥアルドがそう言うと、メイドはかしこまった様子で一礼し、すぐにシャルロッテを呼びに行く。
シャルロッテこと、シャルロッテ・フォン・クライス、親しい者にはシャーリーと呼ばれている、赤毛の凛とした印象のルーシェの先輩メイドは、すぐに姿をあらわした。
そして、再三、仕事を中断してとにかくイスに座って休むようにとエドゥアルドに言われているにもかかわらず、頑なに仕事を中断しようとせず、ふらふらとした足取りで立ったまま、ぎゅっとコーヒーポットを握りしめて離そうとしないルーシェの様子を目にすると、シャルロッテはすっと、その双眸(そうぼう)を細めた。
「ルーシェ。体調が悪いのなら、今すぐにお仕事をお休みしなさい」
そして公爵家のメイドとして問題のない範囲で、できるだけの早歩きでルーシェの隣にまでやって来ると、シャルロッテはルーシェが逃げ出したり倒れたりしないようにその肩をつかみながら、無理やり視線を合わせさせながらそう有無を言わさない口調で言った。
「あれ? シャーリー、お姉さま?
あの、えっと、ルーは、えっと、私は、大丈夫です、から」
どうやらエドゥアルドがシャルロッテを呼んだということも理解できていなかったほど集中力のない様子のルーシェは、しかし、頑なに仕事を続けようとする。
「ルーシェ。……今、どこの具合が悪いのか、正直に答えなさい」
そんなルーシェの様子に、よほど体調が悪いのだと理解したシャルロッテは、ルーシェの自覚症状について問いただした。
「えっと、えっと、ルーは、別に、どこも……」
「そんなウソ、誰が信じるものですか。……ルーシェ。お説教半日コースと、今ここで正直にすべて白状するの、どちらがいいですか? 」
「ひっ、ひぇっ! 」
それでもルーシェは頑なに、自分は体調不良ではないと言い張ろうとしたが、シャルロッテに睨まれると、あからさまにおびえたようになった。
よほどシャルロッテのお説教が恐いらしい。
しばらくすると、ルーシェはうつむいて涙目になりながら、白状した。
「あのぅ……、そのぅ……、昨日の夜中から、その……、お腹が……」
その言葉を聞いて、エドゥアルドは少し安心する。
ルーシェの体調があまりにも悪そうで心配だったのだが、お腹が痛いくらいなら、しばらく休めばすぐに良くなるだろうと思えたからだ。
なんなら、公爵の権限で、街から医者を呼んで診てもらってもいい。
ルーシェは、そうするべきだと思えるほど、エドゥアルドのために頑張ってくれている。
「それで、その……、血が……。その……、止まらなくて、ですね……」
だが、ルーシェが今にも消えそうな、なんとも不安で心細そうな声で言ったその言葉で、エドゥアルドは血相を変えた。
「シャーリー! すぐに、マーリアを! 街の軍病院にも連絡して、医師を呼ぼう! 」
血が止まらないなんて、大ごとなのではないか。
ルーシェの顔色は血の気が引いたようだったが、それは出血のために貧血を起こしているということだったのではないか。
そう直感したエドゥアルドは急いで医療知識のある人を呼ぼうとしたが、しかし、シャルロッテは落ち着き払った様子だった。
「いえ、その必要はございません。……私(わたくし)、心当たりがございますので」
「ほ、本当ですかっ、シャーリーお姉さまっ」
「そ、そうかっ、よかったっ……」
そのシャルロッテの言葉に、ルーシェもエドゥアルドも、ほっとしたような明るい表情を見せる。
それからのシャルロッテの行動は、素早かった。
ルーシェからコーヒーポットを奪い取って彼女をイスに座らせると、エドゥアルドを部屋から追い出し、「殿下、大変恐縮ではございますが、しばらくの間このお部屋に殿方は立ち入り禁止とさせていただきます」と、淡々と、だが断固とした口調で宣言して、ぴしゃりと扉を閉めて完全にエドゥアルドを部屋から閉め出してしまったのだ。
「えっ? 」
あまりのも素早い行動に、部屋から追い出されたエドゥアルドはまだよく状況がのみ込めないまま、半ば呆然としながら呟くしかなかった。
「僕、なんで追い出されたんだ? 」
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