第12話:「親政:3」

 新年の祝賀と、エドゥアルドの誕生日を祝う合同行事を終えた翌日、15歳になったエドゥアルドは久しぶりに休暇をとってのんびりとしていた。


 まだエドゥアルドが公国の実権を掌握(しょうあく)してから日が浅く、実際に彼の改革が実を結んだ例はまだない。

 しかし、エドゥアルドの意向を受けて実際に公国の変革を実行に移すのは彼の臣下たちの役割であり、あらかた指示を出し終えてしまった後には、エドゥアルドのやることはもうないのだ。


 それに、祝賀行事を終えたエドゥアルドは、少し疲れてもいた。

 簡素化して行われたとはいえ、エドゥアルドが公爵として行わなければならない公務であって、祝賀行事は決して楽しいものではない。

 エドゥアルドは来訪者に挨拶したり話を聞いたりで、のんびりと料理を味わったりしていることもできないほどに忙しかったのだ。


 特に、年少であり、政治の世界にその姿をあらわすことは初めてであるエドゥアルドは、来訪者たちに自分の[顔を売る]必要があった。

 臣下や領民たちには、エドゥアルドがどんな存在なのかを認知してもらわなければならなかったし、周辺諸国からの使者たちには、今後の友好関係を築くために、エドゥアルドに良い印象を持って帰ってもらわなければならない。


 単純におべっかを使えばいいというわけではない。

 うわべだけとりつくろって見せても、卑屈(ひくつ)で不誠実な人物ととらえられかねないし、かといってまったく気を使わないのも印象が悪い。


 祝賀会の間、エドゥアルドはずっと、自分の表情や顔色、声の調子、立ち居振る舞いに気をつけ続けねばならず、神経がすり減るような心地がした。


 だが、今のエドゥアルドは、充実して、満ち足りたような気分だった。

 確かに忙しくて、マーリアがせっかく用意してくれた料理の数々を味わうこともできなかったが、こんな風に忙しく、心も体も疲労しているのは、エドゥアルドが[ノルトハーフェン公爵]であるからだった。


 ついしばらく前までは、エドゥアルドは暗殺の危険を常に警戒しなければならない、追い詰められた状況にあった。

 エドゥアルドは公爵であっても実権はなく、名ばかりの存在に過ぎなかった。


 そんな状況を抜け出して、今、エドゥアルドは、思うように一国を統治しているのだ。

 これほど気分が良くなることなど、他にはそうそう、ないだろう。


「なんだか、嬉しそうでございますね。エドゥアルドさま」


 公爵専用のイスに深々と腰かけ、半分眠るようにリラックスしていたエドゥアルドの様子を眺めながら、かえのコーヒーを持って来たルーシェが明るい声で言った。


「ああ、そりゃ、嬉しくてしかたがないさ」


 エドゥアルドは、ルーシェがカップにコーヒーを注ぐコポコポ、という小気味の良い音を耳にしながら、上機嫌で答える。


「僕はようやく、なれたんだ。


 ノルトハーフェン公爵に。

 この国の、統治者に」


 その実感のこもった言葉を発するエドゥアルドの満足げな様子を、ルーシェは給仕の仕事を続けながら、じっと見つめている。

 なにが嬉しいのか、ルーシェはにこにことしていて、上機嫌な様子だった。


「さ、エドゥアルドさま。暖かい内に、どうぞお召し上がりくださいませ」

「ああ、もらうよ」


 ルーシェのすすめに従って身体を起こしたエドゥアルドは、コーヒーを一口すすると、少し驚いたような顔をする。


「うまいな……。ルーシェ、お前、ずいぶん上達したんだな」

「それは、毎日、エドゥアルドさまにコーヒーをお注ぎしておりますからね」


 ルーシェは口ではそう言って謙遜(けんそん)したが、まんざらでもない様子で、少しくすぐったそうに笑みを浮かべる。


「最初は、泥水みたいだったのにな」

「あっ、それはひどいですよぅ、エドゥアルドさま! 」


 だが、エドゥアルドがからかってみせると、ルーシェは不満そうに頬をふくらませながらエドゥアルドのことをねめつけた。


 エドゥアルドはルーシェの不満顔に肩をすくめながら、2口、3口と、コーヒーを飲んでいく。


 それは、エドゥアルドのためだけにいれられたコーヒーだった。

 コーヒー豆の焙煎(ばいせん)のしかたも、ひき具合も、いれ方も、温度も、砂糖とミルクの量も、すべてがエドゥアルドの好みに合わせたものだ。


(本当に、おいしい……)


 エドゥアルドはルーシェの上達具合をしみじみと噛みしめながら、彼女に対する感謝の気持ちを抱く。


 ルーシェは、エドゥアルドとは対照的な育ちだった。

 彼女は唯一の肉親である母親を失い、ノルトハーフェンのスラム街で貧しい、ギリギリの生活を送り、必死に生きてきた。

 それとは反対に、簒奪(さんだつ)の陰謀に脅(おびや)かされていたとはいえ、ノルトハーフェン公爵であるエドゥアルドは、少なくとも衣食住に関しては何不自由なく過ごして来た。


 貴族で、その中でも高位に位置するエドゥアルドと、平民、その中でも最下層に位置したルーシェ。

 まるで違う出自の2人だ。


 だが、エドゥアルドにとっては、ルーシェといる時が一番、気安い。

 彼女は[公爵]を[偉い人]とは認識してくれてはいるものの、エドゥアルドの周囲にいる人々のような厳格な線引きを持っておらず、エドゥアルドを[エドゥアルド]という存在として見てくれている。


 それが、ルーシェの出自の貧しさからくる無知によるものであるのだとしても、エドゥアルドにとっては心地よい距離感だった。

 年の近い、気兼ねなく話すことのできる唯一の存在が、ルーシェなのだ。


 そんなルーシェは、本当に、エドゥアルドのためによく頑張ってくれている。

 ルーシェを雇い入れてきちんとした衣食住を与えてくれたことに彼女なりに恩を感じているからという理由からだったが、そのルーシェの気持ちはまっすぐなもので、なんの混じりけもない。


 ルーシェはエドゥアルドのためにと必死に考えを巡らせ、エドゥアルドが簒奪(さんだつ)の陰謀の危機を乗り越えるきっかけを作ってくれたし、エドゥアルドのために自分にできることをと、常に一生懸命だ。

 そして彼女は、エドゥアルドが喜んでくれるのなら、と、エドゥアルドの好みのコーヒーのいれ方も、完璧に覚えてくれた。


「ルーシェ。……ありがとう。

 お前には、いくら感謝しても、しきれないくらいだ」


 エドゥアルドの口から、自然とそんな言葉が漏(も)れてくる。


 ガッシャーン、と、なにかが盛大に床の上に散らばる音が響いたのは、その直後だった。


「ぅぅっ……、痛いですぅ……っ! 」


 驚いたエドゥアルドが視線を向けると、そこには、持っていた空のコーヒーカップなどが乗っていたお盆を床にぶちまけ、自分自身も転んでしまった様子の、涙目のルーシェの姿があった。

 どうやらまた、なにもないところで転んでしまったらしい。

 しかも、お盆を持っていたせいで手をつくこともできず、鼻をもろにぶつけてしまった様子で、赤くなっている。


「お前……、ドジなのだけは、本当に変わらないなぁ! 」


 そんなルーシェの姿を見て、エドゥアルドは心配するよりも先に、思わず笑ってしまっていた。

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