・第2章:「親政」

第10話:「親政:1」

 ノルトハーフェン公爵、エドゥアルド・フォン・ノルトハーフェン。

 若き少年公爵による親政は、事情を知る者たちからすれば、驚くべき形で始まった。


 これまで摂政であったエーアリヒ準伯爵が、そのまま公国の宰相に就任することになったからだ。


 エーアリヒは、エドゥアルドを亡き者とし、公国の実権を完全に掌握(しょうあく)しようと、簒奪(さんだつ)の陰謀を企んだ大罪人だった。

 その経緯を知っている者からすれば、エーアリヒを宰相という地位につけ、重く用いるエドゥアルドの決定は、到底、信じられるようなものではない。


 だが、それは正式に発表されたもので、エドゥアルドとエーアリヒが会談を行ってから数日もしないうちに、正式にエーアリヒを宰相に任命する式典も行われた。

 そしてその際には、エドゥアルド自身が、彼の直筆のサインの入った公式の書類を発行し、エーアリヒに手渡したのだ。


 事情を知っている人々からすれば、この両者の和解は青天の霹靂(へきれき)であったが、しかし、なにも知らない一般の民衆からしたら、[当然のこと]として受け止められた。

 なぜなら、一般の民衆は公爵位を巡る陰謀が進められていたことを知らなかったし、摂政として政務を代行していたエーアリヒの政治的な手腕は高く、人々はその統治を好意的に評価して受け入れていたからだ。


 エドゥアルドは、若い。

 実権を持たなかったエドゥアルドは人目につきにくいシュペルリング・ヴィラで暮らしていたから、ほとんどの人々はその姿さえ知らず、エドゥアルドが自ら親政を行うと宣言しても、きっと不安に思うだけだっただろう。

 だが、表向きには良き統治者であり、実績のあるエーアリヒが宰相につくのなら、と、人々は安心し、公国はその政治体制の変化を、ごく平穏な形で迎えることができた。


 もちろん、宰相にエーアリヒをつけたとはいっても、公国の統治を主導するのはエドゥアルドの方だった。

 エドゥアルドはヴィルヘルムというブレーンを得て、彼の力を頼りながら様々な判断を下し、エーアリヒは常にその意向に沿った形で国政がうまく進むように取りまとめる。

 ノルトハーフェン公国で始まったエドゥアルドによる親政は、そういう形でスタートすることとなった。


 実際のところ、エドゥアルドの公爵位を簒奪(さんだつ)しようとする陰謀を目論むことをやめたエーアリヒとエドゥアルドの考え方には、近いところがあった。

 エーアリヒが摂政として行って来た統治は合理的なもので、旧来からの慣習や伝統を過度に破壊せず、しかしながら現在の状況に合わない部分は適切に修正していくというもので、決して急激ではないが人々に受け入れられやすい形での改革と言っていい政治だった。


 エドゥアルド自身、エーアリヒが行った政策の内で、自分が公爵としての実権を取り戻しても継続したり、さらに発展させたりしたいと思っていたものは、数多い。


 エドゥアルドの最終目的は、公国を豊かで強くし、民に平穏で不足のない暮らしを約束し、そして、タウゼント帝国の中で十二分に尊重されうる強兵を養うことだ。

 そのためには、エーアリヒが行って来た政治を引き継ぎ、発展させていくことがもっとも効果的な方法だった。

 エドゥアルドが参考にしたいと思っていたことを実際に行っていた人物がエーアリヒであって、彼こそが、その政策にもっとも精通した第一人者なのだ。


 幸いなことに、この、にわかに起こったエドゥアルドとエーアリヒの和解に、不満をいだく者はいなかった。

 なぜなら、実権のないエドゥアルドにとって[子飼いの臣下]といったものは存在せず、特に政治の部分では、実質的な論功行賞となる地位の配分をめぐって対立するような人物が誰もいなかったからだ。


 フェヒター準男爵がエドゥアルドに対して私兵を率いた時に戦った、ペーター、アーベル、ミヒャエルといった、主要な士官たちには当然昇進があったが、彼らはあくまで公国の軍人であって、政治に関わろうという意思はそもそもなかった。

 強いて言うなら、エドゥアルドに的確な助言をもたらして来たヴィルヘルムがいるが、彼は「黒幕でいる方が好きなんです」と表舞台には立とうとはせず、あくまでエドゥアルドに対する助言者としての地位を欲していた。


 表立ってエドゥアルドに向かって反発を示したのは、メイドのルーシェただ1人だけであった。

 だが、エドゥアルドとエーアリヒが和解した様子を目にしてあれだけ怒っていたルーシェも、エーアリヒと言葉を交わしてからはやけに大人しくなって、理由はわからないがエーアリヒのことをすっかり許してしまった様子だった。


 エーアリヒが罰せられずにそのまま引き立てられたことで、密かに陰謀に加担していた者たちも連坐(れんざ)して罪に問われずに済み、公国の統治機能はなんらその機能を損なうことなく動き続けることができた。

 結果として、エーアリヒと手を結んだことにより、エドゥアルドは円滑に、彼の行いたいと思っていた公国の改革を進めることができるようになったのだ。


 多くの点でエーアリヒの行って来た統治に共感するところがあったとはいえ、エドゥアルドはただエーアリヒの政策を踏襲(とうしゅう)するだけではなく、微修正を加えたり、さらに速い速度で改革を進められたりするよう、公爵としての権威を振るった。

 そうして、エーアリヒの力だけでは進展させることのできなかった分野にまで改革の手がおよび、ノルトハーフェン公国は大きく変わろうとしている。


 旧来から使い続けられてきた、現代にそぐわない法律の類はすべて現代に合わせて改良され、意味が不明瞭なままその時の都合がいいように様々に解釈されて使われて来た曖昧(あいまい)な慣習法を明文化して、誰にもはっきりと意味がわかるように整備した。

 また、煩雑(はんざつ)であった行政の手続きなども簡略化して、より運用しやすい体制に変えていった。


 そうして、公国の内政は以前より効率的に、わかりやすくなり、行政の効率化は公国の経済を活気づけることになった。

 最初は若すぎるエドゥアルドの統治を心配していた人々も、徐々に、その統治を歓迎するようになっていった。


 エドゥアルドの改革は、公国軍にも及んだ。

 古くからのタウゼント帝国の軍制に従って編成されていた公国軍を、現代の戦術に合わせて再編成しようとしたのだ。


 これはヴィルヘルムの提案によって行われたもので、これまで、主にマスケット銃と銃剣を使用して隊列を組んで戦う戦列歩兵、特に体格に優れ勇敢な兵士を選抜して編成される精鋭部隊である擲弾兵(てきだんへい)、前装式ライフル銃を装備して散兵戦を戦う軽歩兵という兵科がそれぞれ独立した部隊を編成していたのを、それらを混成させた部隊として再編成しようというものだった。


 この編成はタウゼント帝国の西の隣国であるアルエット王国で使われている編成を参考としたもので、1個大隊を、4つの戦列歩兵中隊を基幹として編成し、1つの軽歩兵中隊で支援し、攻防な重要な局面で投入できる精兵として1個の擲弾兵(てきだんへい)中隊を置く、というものだった。

 これによって、各歩兵大隊が単独で戦況に応じて戦うことができるようになり、従来のように各歩兵の兵科を分離して編成された歩兵大隊よりも、柔軟な運用が可能になるはずだった。


 ただ、この新しい編成の運用に習熟した士官は公国にはまだ存在しないため、エドゥアルドは公国の首府であるポリティークシュタット周辺に存在した兵力をまずこの形に再編成して将兵に新しい戦い方を学ばせ、研究させ、機を見て公国軍全体に拡大することとした。


 このために、大尉からすでに少佐に昇進していた、エドゥアルドのためにフェヒターの私兵たちと戦ったペーター・ツー・フレッサー少佐を、さらに中佐へと昇進させて指揮官とし、ポリティークシュタット周辺に駐留していた兵力を再編成して、4個歩兵大隊から成る1個連隊をエドゥアルド公爵直属の[近衛歩兵連隊]として再編成することとなった。


 こうして、エドゥアルドの親政は、政治、軍事の両方から、ノルトハーフェン公国を変革しつつあった。

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