第9話:「再会:3」
エーアリヒは、エドゥアルドがなにかを言うよりも早く行動した。
彼はすっと前に出て、自然な動作でルーシェの近くにまでやって来る。
「ひっ……」
ルーシェは、かつて経験した怖い気持ちを思い出し、表情を引きつらせて後ずさろうとしたが、コツン、と自分が置いたカバンに足が当たって、それ以上は後退することができなかった。
すると、これまで大人しくことの成り行きを見守っていたカイとオスカーが、ルーシェとエーアリヒとの間に割って入って来る。
そして2匹は、[ルーシェが嫌がっているから、それ以上は近づかせないよ]と言いたそうにルーシェとエーアリヒの間で座り込んだ。
穏やかな物腰ではあったが、2匹とも、1歩も引き下がらないつもりであるようだった。
「大丈夫。私は、その子になにもひどいことはしないよ」
そんな2匹に、エーアリヒはそう優しい口調で言いながら、そっと、ゆっくりとした動きで片膝をついて、視線を低くしてみせる。
エーアリヒは、声だけでなく、表情も優しそうに笑っていた。
その柔らかな笑みはかつてルーシェが目撃した策謀家としての表情とはあまりにもかけ離れたもので、ルーシェは、以前とはエーアリヒの様子が明らかに異なっていることに気づいて、きょとんとした顔になる。
「確か、君は、ルーシェと言ったね」
そんなルーシェに、エーアリヒは穏やかな口調で話しかけて来る。
「は、はい。私は、ルーシェでございますが」
その、自分の中で作り上げられた、悪の権化のようなイメージとはあまりにもかけ離れたエーアリヒの様子に戸惑いながら、ルーシェはこくんとうなずいてみせる。
「確か、君は、ペンダントを持っていたね?
今でも、それは持っているかい? 」
「は、はい。いつも、肌身離さずに」
さっきまで怒っていたルーシェだったが、エーアリヒの様子に戸惑い、すっかりその怒りの気持ちを忘れてしまっていた。
ペンダントを持っているかと問われたルーシェが、自身の首に下げているペンダントを少しだけ持ち上げて服の中からのぞかせると、エーアリヒはなぜか、懐(なつ)かしそうに双眸(そうぼう)を細めてうなずいた。
「あの……、お母さんの形見のペンダントが、なにか? 」
そんなエーアリヒにルーシェがいぶかしむような顔を向けると、「ああ、いや、大したことではないんだ」と、エーアリヒは少し慌てた様子で首を左右に振る。
「これを、君に差し上げたいと思ってね」
そして、そう言いながらルーシェに向かって差し出されたエーアリヒの手には、ルーシェが首から下げているのとよく似た見た目のペンダントがあった。
エーアリヒがルーシェに向かって手を突き出して来たのを警戒して、カイがエーアリヒの手に鼻を近づける。
カイはその自慢の嗅覚を使って不審なものがないかを確かめようとしたのだが、しかし、スンスンと数回エーアリヒの手のにおいをかぐと、不思議そうな顔をして引き下がった。
人間の言葉を話せないカイがいったいなにを不思議に思ったのかはわからなかったが、ルーシェは、少なくとも安全ではあるのだろうと思い、恐る恐る、エーアリヒの手の平の上にあるペンダントに手をのばす。
それはやはり、ルーシェが持っているペンダントと、よく似ていた。
というよりも、まったく、同じものに思えた。
ルーシェが持っているものは、誰かが、おそらくはその以前の持ち主であったルーシェの母親であるウェンディがつけたのであろう、そこに掘ってあったなにかを削り取ったような傷がついていたが、エーアリヒが差し出して来たそれには、そんなような傷はない。
ただ、加工はされているようで、ルーシェのペンダントと同じ場所、元々はなにかが掘りこんであった場所が削られ、目立たないようにきれいにしあげられた状態になっていた。
(お母さんのペンダントと、そっくり……)
ルーシェはそのエーアリヒのペンダント観察し、そんな感想を抱いたが、ふとあることに気づいてエーアリヒのことを睨みつけた。
「まさか! あなた、物でルーを懐柔(かいじゅう)しようと!? 」
私は絶対になびいたりなんかしないぞという強い意志をこめたルーシェの言葉だったが、エーアリヒは少しも動じたりはしなかった。
「いいや、そんなつもりは、ないよ。
ただ、昔手に入れたそれが、君が持っていたペンダントと、あまりにもそっくりだったから、私よりも君が持っている方がふさわしいと思ったんだ。
私にはもう、必要のないものだからね。
ただ、それだけだよ」
どうやら本当にそう思っているらしいということはわかったものの、やはり、ルーシェはエーアリヒから物をもらうということに抵抗があった。
エドゥアルドの命を狙っていたことが許せなかったし、そのエドゥアルドが、エーアリヒと手を結ぶことも、納得ができない。
「私は、心を入れ替えることにしたんだ」
そんなルーシェのことを、エーアリヒは真摯(しんし)な視線で見つめている。
「確かに私は、公爵殿下に害をなそうとした。
君が怒るのも、信用できないのも、当然のことだ。
だが、私は、この国を大切に思っていないわけではないんだ。
だから、今度は公爵殿下の臣下として、この国を豊かに、人々が安心して暮らしていけるような政治をするために、働きたいんだ」
そんなことを言われても、と、ルーシェは戸惑ったような顔をする。
「だから、事情があるんだ。……お前にも、後でゆっくりと、説明するさ」
ルーシェがチラリと視線を向けると、エドゥアルドはそう言ってうなずいてみせる。
少なくとも、ルーシェにはエーアリヒがウソをついているようには思えなかった。
ルーシェの記憶の中にある、冷酷な策謀家としてのエーアリヒの姿と、今のエーアリヒの姿は、あまりにもかけ離れてもいる。
だからルーシェは、もう、怒る気持ちにはなれなかった。
「わかりました。……けれど、ルーは、いつもあなたを見張っていますからね! 」
少し間を置くと、ルーシェはそう言って、エーアリヒのことをひとまずは許すことにした。
すると、ほっとしたような顔をしたエドゥアルドがエーアリヒに「これからのことで、貴殿と相談したいことがあるのだ」と声をかけ、片膝をついていたエーアリヒの手を取って立ち上がらせ、歩きながら話し始める。
その姿をルーシェは少し不満そうに、不安そうに見送っていたが、ふと、本当にエーアリヒからもらったペンダントが自分のペンダントと同じものなのかどうかが気になって、カシャン、と、その中を開く。
「……えっ!? 」
そして、そのペンダントの中身を目にして、ルーシェは驚きに双眸(そうぼう)を見開いた。
そこには、1人の女性を模した肖像画が飾られていたからだ。
その女性は、ルーシェの母、すでに亡くなってしまったウェンディに、よく似ていた。
とても、よく似ていた。
まるで、同じ人物を描いたのではないかと思えるほどに。
ただ、少し若い気もする。
だが、ルーシェは小さな予感に突き動かされて、自分が母の形見として持っていたペンダントを取り出し、中を開いて、エーアリヒから渡されたものと比べてみる。
ルーシェのペンダントには、肖像画はなかった。
だが、エーアリヒのペンダントと同じように、肖像画を飾るために作られている。
やはり、ルーシェのペンダントと、エーアリヒのペンダントは、同じ構造のものだった。
だとすれば、ルーシェが持っていた母のペンダントにも、元々は誰かの肖像画が飾られていたのに違いない。
そう思える。
それが、たくさん作られて市販されていたものでないとしたら。
少なくともルーシェは、他にこのペンダントと同じものを見かけたことはないし、量産品にしてはこのペンダントに施された細工は精緻(せいち)なもので、職人が丹念に時間をかけて仕上げをしたもの、オーダーメイドで作られたものとしか思えない。
そのルーシェの考えが、正しいのだとしたら。
なぜ、エーアリヒはこれを、ルーシェの母親と同一人物としか思えない女性の肖像画が飾られたペンダントを、持っていたのか。
ルーシェは慌ててエーアリヒの行方を探したが、そこにはもう、エーアリヒはいなかった。
代わりに、ひどく怒った顔をした先輩メイド、シャルロッテが立っている。
「あっ、シャーリーお姉さま! あの、エーアリヒ準伯爵、さま、は……? 」
ルーシェは思わずシャルロッテにエーアリヒの行方を確かめようとしたが、シャルロッテにジロリと睨みつけられて押し黙る。
「ルーシェ。……あなたという子はっ! 」
そして、シャルロッテによる、勝手な行動をして行方をくらまし、シャルロッテたちにルーシェを探すという余計な仕事を増やしてしまったことに対する、お説教が始まるのであった。
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