第40話 ウェルス王都シーザリオン、陥落

 本来攻め込まれるはずのない背面からの攻撃に、ウェルス王城シーザリオンは震撼する。戦場において敵が一番安全だと思っている個所、ありえない方向からの攻撃、それが破られた時、破られた側の心理的動揺はすさまじいものになる。広い城内とはいえど有限な空間であり、この動揺は間を置くことなくシーザリオン全体に波及した。


 この機、逃すべからず。ガラハドが突撃を敢行し、オスマンも負けじと吶喊する。それまで聖女たちの加護を信じて意気盛んだったウェルス兵たちは今や動揺に揺れ、まともに戦う能力を発揮できない。そこをガラハドとオスマンが突っ切り、さらに明染焔、戚凌雲の部隊がダメ押しをかける。鎧袖一触、石で紙を裂くような猛撃にウェルス兵は太刀打ちできず道を開き、戦意喪失して立ち尽くす彼らを後方から入城したエーリカの部隊が捕縛した。


「さて……こっから本丸に切り込むか」

 3万でシーザリオン後背の川と嶮山を乗り越え、侵入を果たした新羅辰馬は遠く城のバルコニーを見遣る。そこに立つのは皇帝・法王ルクレツィアと、聖女ラケシス。女神グロリア・ファル・イーリスの代行者であり、今回の戦の元凶。この二人を倒さない限り、この戦争が終わることはない。


辰馬の視界の中で、ラケシスがニヤリと笑む。記憶の中のラケシスとはずいぶんと違う、禍々しい笑顔はその精神が女神イーリスに蚕食されていることをなにより雄弁に語っていた。


そして腕を振る。声の聞こえる距離ではないが、身振りでわかる。ラケシスがもっとも得意とする神聖魔術、七天熾天使。大気を裂いて飛び迫る神力の弾丸を、辰馬は雑に魔力を放って打ち消す。


「この程度で……ッ!?」

 初撃を打ち消した、その次の瞬間、押し込むように追撃してくる二撃目、さらにそれを消したところに打ち込まれる三撃目。すべて相殺する辰馬も辰馬だが、そこに連撃を上乗せしてくるラケシスの技前もすさまじい。神力と魔力、ふたりの力のぶつかり合いで、怯えるように城地が揺れた。


「瑞穂は大輔、シンタ、出水と3万を率いて城内を掃討。晦日はおれについてこい、ここでエセ聖女を倒して、この戦争を終わらせる!」

「ごしゅじん、さま……?」

「瑞穂にゃ悪いが、こっから本城まで最速で突っ切る運動能力がお前にはないからな。城内戦の戦況を確定させてくれ」

「……わかりました、命に代えても!」

「命に代えるなって。おまえに死なれたらおれも死ぬわ」

「っはぁ~、辰馬サン、最近そーいうセリフ平気で言えるよーになったっスよねぇ~……」

「そりゃーな。今更恥ずかしいとか言ってられん。……お前らも死ぬなよ?」

「トーゼンっスよ。こんなとこで死ねませんて」

「ま、赤ザルは心配かもしれませんが。俺がついてますので」

「赤ザルもダルマも拙者が守ってやるでゴザルよ、主様からもらった盈力の使い時!」


 そして、辰馬は美咲を伴い、場内深奥へと突き進む。


「あれで、よかったのですか、陛下?」

 走りながら、美咲が聞く。牢城雫に匹敵する運動能力を誇る美咲は十分に辰馬の速度についてこれている。瑞穂を伴ってはこの速力は実現できないだろうが、美咲が聞くのはそういうことではない。

「……」

「心配なら心配だと、そうおっしゃればよろしいのに……」

 ルクレツィアやラケシスという得体のしれない相手……女神イーリスの依り代相手に、もと女神ホノアカの依り代であった瑞穂を近づけたくない。それが辰馬が瑞穂をあえて最終決戦前に遠ざけた本当の理由であった。多少の移動速度の低下などはどうでもいい。


「晦日っていつもよく見てるよな」

「それは、陛下の妻ですから」

「そーだよなぁ……娘もいるし」


………………

 ルクレツィアは城内に入った辰馬たちの姿を見失ったラケシスに軽くねぎらいの言葉をかけると、今度は自分が前に出る。はるか古代の呪文を紡ぎ、右手をひら、と翻す。効果の表れは緩慢であり、最初はわからなかった。ルクレツィアがバルコニーから舞わせた光の粒子、それはウェルスの民や兵の体内に入り、組成を変える。ヒトから人ならざる者、天使へと。


 ルクレツィアが民をこの城にとどめたまま、疎開させずに残しておいた理由がこれであった。神術によりウェルスという国への愛国心が強い人間を神兵に代え、城内の異分子=敵を鏖殺する。問題はいちど天使化した人間を元に戻すすべがないということだったが、そんなことはルクレツィアの知ったことではなかった。



………………

 七万の兵とそれに数倍する民、それが少しずつ天使化していくのを前に、神楽坂瑞穂は自分の中に残された神力の残滓をすべて使い切る覚悟を決める。


「朝比奈さん、出水さん、上杉さん! しばらく時間を稼いでください! この城全体を覆う邪悪な神力を晴らします!」

「りょーかい!」

「承った!」

「合点承知でゴザル!」


 シンタ達の返事には一切の疑念がない。彼らはただ辰馬を信じ、辰馬が愛する瑞穂を信じるのみだ。3万の兵を指揮して瑞穂を護りつつ、陣内に飛び込んできて瑞穂を狙う天使を殴り飛ばし、あるいは狙撃し、あるいは盈術で切り刻む。


 兵士が民が、最初からは比較にならないペースで天使化していく。その戦闘力は人間であった当時のそれとは比較にならず、ガラハドやオスマン、焔や戚といった超一流の指揮官が戦線を支えきれなくなるほど。エーリカと長船に至っては完全に劣勢を強いられ、こちらサイドの大輔、出水、シンタもエーリカたちとほぼ同等の将才ゆえに圧倒される。この場を逆転しうるとすれば神楽坂瑞穂の起こす奇跡によるしかない。はたしてルクレツィアの起こす女神の奇跡に、対抗しえるか否か。


 瑞穂はかつてないほどに深く、精神を研ぎ澄ます。身振りも詠唱もいらない。必要なのは純然たる「力」、自分の中に内在する「潜力」を引き出す作業のみ。こちらはほとんど残りカスのような神力で、向こうの女神の加護十分な神力に対抗しなければならないというのがかなり厳しいところではあるが、自分のために力を振り絞るのならともかく、人々のため、そして辰馬のためと思えばいくらでも力が湧く。それは女神の計算の埒外。


「皆さんの、あるがままを!」


 瑞穂の叫び。沸き起こる赤き炎のような、光の奔流。齋姫とよばれた少女が起こす最後の奇跡。それは天使になりかけた人々を救うのみならず、完全に天使化してしまった人間すらもヒトにもどす。ヒトとしての意識を取り戻した人々は涙を流して瑞穂に跪き、そして皇帝にして法王たるルクレツィアに怒りの感情を向けた。


「あとは……ご主人さまに任せます……」


 瑞穂を真なる聖女と讃える礼拝の祈りを前に、神力の残り一滴までをも使い果たしたもと齋姫は膝をつく。戦場はかくて終息、残るはルクレツィアとラケシスの二人を倒すか、それとも新羅辰馬と晦日美咲が敗れるか。


………………

「たのもー!」

 ドアを蹴り開けて、辰馬はようやくバルコニーにたどり着く。そこには対面で椅子に腰かける法王ルクレツィアと聖女ラケシス、そしてラケシスの背に7人の天使。


「ようこそ、魔王継嗣」

「今回は逃げなかったな、ルクレツィア」

「逃げるだけの力が残っていませんので。城内数十万の民を天使化してすべてを殲滅できるはずが、もと齋姫猊下……彼女の力が予想外でした」


 ルクレツィアは軽く肩をすくめる。人を操り天使化して使役する、もっとも厄介な能力は当面打ち止めということらしい。それでもなお、見せる余裕はなにに依拠するのか、というところではある。少なくともまだ油断はできない。


「ですが、あなた方の相手はこの聖女ラケシスがします。あなたがたを始末するに十分な力と、わたしは信じていますよ?」


 その言葉を受けて、キィ、小さく音を立てて椅子を引き、ラケシスが立ち上がる。薄笑い。右手を払う。すでに詠唱は完成済み。


「原形世界(オーラム・アツィルト)!」


 力ある言葉とともに放たれる、神力のオーロラ。7人の熾天使の像がゆがみ、極光の中に溶けて威力を増し、それを7回繰り返すことで発揮される威力は絶無。辰馬は美咲の「加護」の力で増幅した盈力を輪転聖王で放ち辛うじて受けたが、史上最強の威力を誇るはずの輪転聖王が、あまりの威力に圧される。梵(ブラフマシラス)を乗せていないとはいえ、原形世界の威力が凄まじいことは間違いなかった。


「なかなか、やる……」

 いつもならこれは辰馬のセリフ。そのお株を奪うラケシス。


 美咲が動く。これは決闘ではなく帝国の行く末を決める戦争の一端、であれば一騎打ちなどという形式にとらわれるべきではない。


 滑り込み、鋼糸の間合い。斬撃を繰り出す。しかしオーロラに溶けた熾天使はまたもとどおりラケシスの守護天使の座に戻り、7人がかりで防御、あっさりと美咲を跳ね飛ばす。


「っく!?」


 呻く美咲。しかしその反対から新羅辰馬。並大抵の威力では障壁となる天使を貫けない、ならばこちらも全力! 矢のように踏み込み、内在するプラ・クリティを解放。打撃の八勁にこの威力を乗せる。


「輪転聖王・梵!」

 烈震とともに、天衝く金銀黒白の光の柱。しかしこれすらもラケシスの7人の守護天使は防いでのける。7人が4人に減るも、なおラケシスは無傷、そして天使は時間さえ置けば回復してしまう。


 それなら……連続でブチ込むまでだ!


 一撃必殺であり連発など想定したこともなかった輪転聖王の連発、それがどれだけ心身に負担になるかは考えるだに恐ろしいが、ここで負けてやるわけにはいかない。辰馬は気力を漲らせ、両足に力を籠めるともう一撃をたたき込むべく踏み込んだ。


 ラケシスは薄笑いを浮かべたまま、辰馬の攻撃を受け、捌き、いなし、カウンターを繰り出し、バックステップで引き込むなど、ありとあらゆる体術の技巧を駆使して辰馬を迎え撃つ。技術レベルなら辰馬の方が上だが、ラケシスには7人の守護天使による総合力の底上げがついている。辰馬にも美咲の「加護」が働いてはいるが、すでに存在しない先代のホノアカによる加護よりこの場にいる7天使の加護の方が、威力は大きい。


 それでも、かろうじて勝るのは辰馬の側。まず2発目の輪転聖王・梵の一撃で4体に減った天使を2体まで減らす。そのタイミングで最初の1撃にやられた1体が回復、3体になるが、辰馬はお構いなしでもう一撃、3発目の輪転聖王を放つ。すでにこの時点で喉と目はからからに乾き、前進の血液がタールに変わったように重く感じ、全身の神経ははちきれそうなほどの痛みを訴え、首のうしろと頭のてっぺん、脊髄と脳髄がぐしゃぐしゃになりそうな激痛を感じるが、それを推して4撃目。これで完全に天使が排除され…、


「輪転聖王・梵!」

 5発目。ついにまともに決まった必殺の一撃が、ラケシスを吹っ飛ばす。ギリギリで手加減を加えたものの、相当なダメージを与えたであろうことは間違いない。まず立ち上がれないはずだ。


 にも、かかわらず。


 ラケシスはふらふらしながら、立ち上がる。その表情は先ほどまでの冷笑的な薄笑いではなく、蒼月館時代によく見知った同級生、ラケシス・フィーネ・ロザリンドのものだ。辰馬は思わず駆け寄り、ラケシスを抱きかかえた。


「たつまくん、ごめんなさい……、女神さまに、操られて……」

 そう、呟くラケシスの右腕が、不自然な動きをすることに辰馬は気づかない。ラケシスもまた気づいていない。最初に気づいたのは美咲だったが、距離的に間に合わない。


 ルクレツィアがナイフを手にして、虚空を薙ぐ。


 刹那、ラケシスがナイフを抜いて、辰馬の胸を裂いた。


「霊峰にいまします女神グロリア・ファル・イーリス様、ご照覧あれ。帝国の鋭鋒を止めることは叶いませんでしたが、魔王継嗣ノイシュ・ウシュナハの命、ここに奪ってごらんに入れました!」

 狂的な哄笑。美咲が取り押さえた時、すでにウェルス青竜帝国皇帝、法王ルクレツィアの意識はすでにない。瑞穂の力により同盟軍の兵を殲滅するという手が潰えた時点で、彼女はここで赤竜帝・新羅辰馬を殺すことだけを考え、それを実行したのだった。


 こうして、ウェルス王都シーザリオンは陥落、戦争は赤竜帝国ひいては大陸大同盟軍の勝利に終わったが、歓呼の声を上げるものは少なかった。赤竜帝・新羅辰馬と青竜帝ルクレツィアはともに意識不明の重篤となって病院に運ばれ、とくに辰馬はボロボロの精神状態に大量の出血で集中治療室送りとなった。

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