第39話 神奏・原形世界(オーラム・アツィルト)

ウェルスの聖女アトロファ、そして軍師将軍レンナート・バーネルを説得、仲間に加え、新羅辰馬と赤龍帝国……大陸大同盟軍はウェルスに入る。前線の都市ヴェニア、コルディニアには守備兵は置かれておらず、そして民は狂気の聖女・法王ルクレツィアに対して好意的ではなかった。むしろルクレツィアの支配を破壊してくれるかもしれない同盟軍に対して期待と好意を向けてくる。


「まー任せろ。ルクレツィアは正気に戻す。……けどこれは持って帰ってな」

 二つの都市の都市長が持ち寄った礼物は受け取ることをせず、その場で返還。辰馬はもともと強欲ではないものの「貰えるもんは貰っとく」程度の性格だったが、それも私人だったころの話。公人、それも皇帝ともなるとうかつにものを受け取れない。あとあと贈収賄だのなんだのと言われかねないので、身内以外の贈り物関係は不愛想な人間と思われてもすべて突き返すように、磐座穣からきつく「教育」されている。最初は家族からのプレゼントも断るよう言われたのだが、さすがにそれは辰馬が拒否した。


 二都市の長は袖の下を受け取らない辰馬にさらなる好感を持ったようで、駐屯地としての都市の提供、娯楽の提供などを申し入れる。下級兵士に解放される娯楽と言えば賭場と娼館と相場が決まっており、辰馬はそれらに対していい感情を持っていないが兵士たちのリフレッシュは必要である。すでに遠征開始から1月以上を経過して兵士たちのストレスは高まっており、適度にガスを抜いてやるのは皇帝としての責務でもある。


 なので賭場と娼館の解放は受け入れることになるが、娼婦に関しては瑞穂と、帝国本国から随行の参謀団に銘じてその素性を徹底的に洗わせた。本人が望まず、家族の借金やむにやまれない事情で娼婦となったものは帝国が……というより辰馬個人が足抜けの費用と当座の生活費を負担し、娼婦をやめさせた。瑞穂たちが調査した5000人ばかりの娼婦のうち、自ら望んで娼婦をやっているのは実にわずか700人前後、残る4300人に対して辰馬は自分の身銭を切り、彼女らを解放したことになる。娼婦の足抜け費用といったら相当な金額なわけで、皇帝と言えども相当な負担ではあったが、辰馬は「迷惑をかける以上、このくらいは当然の必要経費だ」として考えを改めることがなかった。このことで辰馬はまた真にして聖なる王、の名声を高め、兵たちからももと娼婦の女性たちからもおおいに感謝されるが、そんなことより。


 9月15日、帝国本国からの電話がコルディニア政庁につながった。食料買い付け中で行軍を停止させている辰馬は臨時総裁として帝国を仕切る磐座穣との電話口で、三河前久および先帝永安帝こと暁政國の身柄を覇城瀬名がようやく捕獲した、と聞く。


「おー、よくやった」

「それで、どうします? あの老害たち。愚見を申し上げるなら、陛下の帰還を待つまでもなく処断するのが一番かと思いますが」

「いや、殺さん。ジジイたちも追い詰められて仕方なく、やろーしな。とはいえ始末はつけないと世間が納得せんやろーから……ここはおれが悪者になろう」

「どうします?」

「世間的にはおれの名前で三河も永安帝も処刑したことにして、実際には殺さずに田舎で捨扶持を与える。また同じよーなことせんよーに、監視はつける必要があると思うが」

「北嶺院宰と同じように、ですか……新羅は本当にバカですね」

「あ?」

「かれらは決して感謝などしませんよ。反省も。彼らにとって新羅は自分たちの特権を奪った悪鬼であり、温情を与えても当然のこととしか思いません。……と、いっても新羅が翻意するはずがないのはわかっていますが」

「わかってんならいい。じゃ、よろしく頼む。磐座」

「やるからには徹底的にやります。帝国の親先帝派からは強く恨まれること、覚悟しておいてくださいね」

「あいよ」

 帝国本国ではその日のうちに永安帝と三河前久の処刑が執り行われることになった。先日の大火で火傷ではなくガス中毒で死んだ男の肢体を2体用意、これに化粧を施し高貴な袍をまとわせ、城門に晒す。まさしく生きるがごとしの化粧を離れたところから見て見破れる民はまずいない。そして広場に引き据えて首を落とす、このとき数歩だけ死体を歩かせて膝をつき、項垂れる姿勢を取らせなくてはならないわけだが、この任には牢城雫と、穣の兄磐座遷があたった。達人・雫と遷にかかっては触れている死体を生きているように歩かせ、座らせるくらいのことは造作もない。処刑は滞りなく行われ、そして本当の三河はラース・イラ国境、永安帝は桃華帝国国境付近の片田舎に、わずか数人の従僕で流罪、ということになった。老人に今後の生活は大変だろうが、そこは頑張ってもらうほかない。


 そういう下ごしらえを踏まえて。


 赤龍帝国皇帝・新羅辰馬は兵糧の買い付けと戦車用冷却氷の補給を済ませると、ふたたび軍を動かす。29万を4手に分ける。オスマンの10万、ガラハドに10万、戚6万、そして辰馬の本陣が3万。オスマンとガラハドに王都シーザリオンを直撃させ、戚は側面突撃を狙い脇に構え、辰馬は腹心の将軍たちとともに敵の後背を衝くべく、王都の後ろに大きく迂回行動をとる。


 王都シーザリオンの城郭、尖塔から同盟軍の動きを見ていたルクレツィアは軍事の専門家ではない。よって戚の遊撃や辰馬の迂回に対する警戒をとることはなかったが、まず敵の主力20万、これを邀撃し、圧倒することで戦況を優位にすべしと考えた。まずその考えは的外れではなく、しかしそれを成す兵力は少ない。さきの第1次テ・デウム河の戦い、あの一戦でウェルスの正規兵はごっそり抜け落ち、現在ウェルスの兵力は国軍と騎士団の兵員を合わせて7万に満たない。いち早く戦線離脱してこの王都に戻ったルクレツィアは強制的徴収で募兵していちおうは10万の兵を手に入れたが、実のところこの10万はろくな訓練も受けていない烏合の衆であり、足手まといにしかならないことが練兵の際、明らかとなった。ルクレツィアが主力以外の兵力を天使に頼ったのは彼女の趣味嗜好によるのではなく、使える手ごまがそれだけ少なかったからに過ぎない。


 なのだが。


 ルクレツィアは平然と、城郭に迫るガラハド隊、オスマン隊を見遣る。


 バルコニーにはラケシスがいて、優雅に午後の紅茶を楽しんでいた。少女の周囲には7体の天使が浮かび、一服の宗教画のような雰囲気を醸す。ティーカップをソーサーに置き、軽くハンカチで口を拭いたラケシスは、やおら立ち上がると彼女らしからぬ凄絶獰猛な笑みを浮かべ、右腕を差し上げた。


「書、宝輪、角笛、杖、盾、天秤、炎の剣! 顕現して神敵を討つべし、神の使徒たる七位の天使! 神奏・七天熾天使(セプティムス・セーラーフィーム)!」

 バルコニーから、まだ敵陣まで十キロ以上の距離があるにもかかわらずの大規模魔法。その勢いはすさまじく、威力は圧倒的。光の怒濤は一瞬で目標に着弾、「不浄なる魔王の眷属」たちを次から次となぎ倒す!


 神術使いのラケシスと無能力者集団である同盟軍、この一撃は一方的な攻撃となるはずだったが、ラケシスの目は思いのほかに刈り取ることのできた命が多くないことを見て取る。それもそのはず、新羅辰馬はあらかじめオスマンとガラハドに抗神術結界を施した軍旗を貸与しており、これが七天熾天使の威力を半分以下に抑える。それでもやはり前衛の数千人は犠牲になったが、この際贅沢は言えない。


「なるほど、たつまくんの……たつま、くん? っ、く、今のは……?」

 ラケシスは自分のつぶやきに頭痛を覚え、たつまという名前に引っ掛かりを感じるが、すぐに戦いに集中した。


 ガラハドとオスマンが、行軍速度を速めた。第2波が放たれる前に城の胸壁にとりつく、そう考えての強行。

 ラケシスは一瞬、逡巡する。すぐに二発目の七天熾天使で追撃をかけるか、それとも、創世女神イーリスから授かった奥の手を使うか。奥の手を使うには少々、使ってしまった神力を回復する時間がかかる。おそらく胸壁を突破され、城内で乱戦となっているところに味方の背後からぶっ放すことになるが……やむなし。ラケシスはそう断ずる。この判断のおかげで同盟軍は七天熾天使の連発を免れ、約30時間で10キロ以上を踏破、王都シーザリオンの胸壁にとりつく。


 とりついた、とはいえ王都シーザリオンは四方を水と堀に包まれた水城。出入口は北門と東門のふたつのみであり、跳ね橋を下ろさなければ城に突入することもできない。


「ガラハド卿、余の配下と卿の配下、どちらが跳ね橋を下ろすか競うとしようか?」

「いいでしょう、武威の皇帝。セタンタ、パルジファル、両名に命ずる! 潜入して跳ね橋を下ろせ!」

「「承知!」」

 ガラハドの号令一下、セタンタ・フィアンとパルジファルの二人が単身、城内へと忍び込む。オスマンも麾下の将に命じて潜入させた。


 待つ間、堀に下って城に到達する方策を試すもやはりそれは無理。城内からは火矢と石弾が撃ち込まれ、こちらも応戦の矢を打ち込むが、こちらが低地にあり敵を目視できないというのもあって効果的な反撃ができない。


 が、そんな状態も10分ほどだった。まずセタンタとパルジファルが東門の門衛を倒して跳ね橋を下ろし、さらに遅れること5分ほどでオスマンの放った密偵が北門の門衛を撃破、こちらも解放。ガラハド隊は東門を、オスマンはわずかに移動して北門から橋を渡り、猛然と押し込まれた王都の兵はたまらず圧倒される。兵の練度と士気は断然に同盟軍優位であり、いちど城内にくさびを穿って兵力は約3倍。まず負ける気づかいはない、そう思われたが。


「ケテル、コクマー、ビナー、ケセド、ゲプラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクト! 王冠から王国に至る径、叡智の心理! セフィロトを護る7天使、わたしに勝利の栄光を! 神奏・原形世界(オーラム・アツィルト)!」


 力を回復したラケシス・フィーネ・ロザリンドの、味方殺しを畏れない必殺の一撃。それは城内前方の敵味方を、抗神力結界の有無にかかわらずぐしゃぐしゃのミンチに代えた。ガラハドと、ガラハドにかばわれた形のセアラは無事だが前衛に出たセタンタとパルジファルは一撃で戦闘不能。北門に移動していたことでオスマンの被害はガラハド隊より抑えられはしたが、あまりに強力、凄絶、暴圧的な光のオーロラを前に旺盛だった士気は一気に下がる。そこに窮鼠となったウェルス兵が躍りかかり……壊乱、そうなるはずのところを救ったのは、側翼から勢いよく突っ込んだ戚凌雲の6万。これがウェルス兵の反撃を威嚇し、状態を互角に戻し、


そして。


 ようやく。


 王城シーザリオンの後背、本来なら峻険な山岳と川に囲まれ、回り込むことを許されないこの場所を、赤龍帝新羅辰馬は3万の寡兵に晦日美咲の強化魔法を自分の盈力で強化、登攀して後方からの襲撃に成功する!

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