第38話 淫蕩なる命の聖女の本領
京師にとって返した雫は火災に見舞われる太宰の町を見て、まずは家族たちを探した。艾川にほど近い新羅邸、牢城低にはひとの姿がなく、避難していく人の流れに乗っていくと避難所で無事な家族たちと、そして京城を目指すも戦闘力の不足で城との連絡を絶たれている磐座穣、北嶺院文の両名と再会する。
「そーいうことならあたしにお任せだよ! そんじゃママ、お義父さんお義母さんおねーちゃん、またあとでねっ!」
雫は実母と義父母一家の無事を確認、彼らにこの場を任せると京城柱天までの道を切り開く。佩刀の一閃が炎を裂き、二閃、今度は炎に紛れて襲い来る刺客を断つ。穣と文が進めなかった道を雫が先頭に立つことでいともたやすく切り開き、たちまち京城に迫った。
「皇妃様がた、ご無事で!」
京城のそばまで来ると月護孔雀、覇城瀬名の両名が迎えに出た。彼らも無能ではないがだからこそ迂闊にうごけず、いままで京城の防備だけに専心していたのだがここでようやく、反撃の体制が整う。
「月護は自警団と連携して消火活動の指揮、覇城は三河前久と先帝の身柄を抑えてください! 三河と先帝には決して逃れられないように!」
「は!」
「了解しました!」
穣の言葉に、月護、覇城の二人は敬礼を返すとすぐさま城内へとって返した。そして兵をまとめると、矢のように城から飛び出す。三人が城内に入ると事務番の兵士から、ヒノミヤのサティアが無事、刺客を撃退という電話連絡を報告してきた。赤竜帝国創業最初の苦難、太宰の大火災はようやく鎮定されようとしていた。
「ふー……、疲れたぁ……」
「お疲れさまです、牢城先生。それにしても、やっぱり先生は凄いですね。わたしたちだけではとても、あの炎の中を突破できませんでした……」
「まあ、あたしそーゆーのが取り柄だから♪ 最後に指示出したみのりんもかっこよかったよ?」
雫が屈託なくそう言うと、穣もふふ、と小さく笑った。
「わたしも、そういうのが取り柄ですからね」
「じゃ、わたしも得意をやるとしましょう。事後処理と警察手続きはわたしがやっておきます」
文がそう言って、三人娘は煤まみれになった笑顔を交わし合った。
………………
「やあ、新羅皇帝。我らが背腹を突くまでもなく敵を殲滅、なによりだ」
ヘスティア皇帝オスマンは褐色の美貌に笑みを浮かべると、辰馬の前に膝をつく。彼に扈従する精鋭イェニ・チェリ兵、そして重装騎士たちもそれに倣って膝をつき、ヘスティアの10万の兵がずらりと辰馬の前に頭を垂れた。
「あー、そーいうのやめれ……って、うげえぇ~っ!!」
「へ、陛下!」
手で制してオスマンらに立つよう促した辰馬が、突然うげぇと苦しんで吐瀉物を吐き出す。クル・セステラ平野での戦後。もろもろの事後処理を手配し終え、無事にオスマンと戚のヘスティア・桃華帝国連合軍と合流した辰馬は、安心すると同時に自分が戦中にやった殺戮を思い出し、痙攣しながら吐瀉を続ける。狂信者を相手に、鏖殺の殲滅戦が最善手だったとはいえ、そんな理由で自分を許せるなら最初から苦労はしていない。駆け寄った瑞穂がさしだしたエチケット袋にえろろ~、とオーロラ色を垂れ流す辰馬だった。
「あ゛ー……キツい……」
「ご主人さまは優しすぎますから……」
「いや、おれ別に優しくとかねーし」
「貴君もなかなか、難儀な身体だな。とはいえ自分の優しさまで否定することはあるまい。公共福祉の開拓に貧民・難民対策、物価高騰の抑制、水道、ガス、電気などインフラの確保。皇妃の言葉を待つまでもなく、民に優しい国作りは貴君の優しさを証明するに十分だろう」
気づかわしげな顔で瑞穂が言い、オスマンが横からそれを補足する。辰馬はいやいやと身振りでその言葉を否定して、かぶりを振った。
「……ホントに優しいこたぁねーんだけどな、もうとっくに戦場で何十万とか何百万とか、命を奪ってきてるわけだし。殺してこんなふーになるのも結局、心が弱いだけの話だし。そもそも優しい人間は皇帝だの為政者だのにならんし、戦争もせんわ、最初から」
「とはいえ、貴君がいなければ死んでいた民も、確実に存在したのだ。そこは胸を張ってもいいのではないか?」
「ん~……、確かに多少は人助けもできたかもしれんが、おれが皇帝になったのって結局状況に流された結果だぜ? あんまし胸張れたもんじゃねーわ」
「そんなことは……!」
虚無感から少々自虐的になっている辰馬だが、辰馬自身の言葉であっても、辰馬のことを貶めるのは我慢ならない。瑞穂がそう反駁しようと息を呑んだそこに、偵察に出ていた晦日美咲が割って入る。
「陛下、神楽坂さん。オスマン皇帝も、よろしいでしょうか?」
「あー」
「余も構わんよ、皇妃」
「………………」
「瑞穂?」
「はい、晦日さんの話を聞きます……」
美咲の言葉に鷹揚に応える辰馬とオスマン。瑞穂はまだ辰馬に言いたいことがありそうだったが、そこを堪えて目を伏せる。美咲は辰馬と瑞穂の間のわずかな間隙を見て取ったが、ひとまずそれを無視した。報告を優先する。
「本来のわが軍の交戦予定地点……「荒野」を抜けてウェルス国境、テ・デウム川を背にする形で、白地に十字と蒼竜の旗が布陣。ウェルス大公ユリウス家の紋、おそらく聖女アトロファ。兵数は7000、それに同数の女性です」
「7000……と、同数の女性?」
7000というのは妙に少ない。敵の総兵力の過半はクル・セステラでほぼ全滅させた。ウェルス側が無尽蔵の兵力を擁するわけではなく、王都シーザリオンの守りをおろそかにもできない以上、あとの西進を阻むだけの兵力はほとんど残されていないはずだが、それにしても少なすぎる。こちらがオスマン、戚と合流して29万の大兵力となっているのを見れば向こうも増援の兵力を派遣するか、あるいは兵力に余裕がないならこの7000は王都まで下げても良さそうな物だが。そもそも兵法の常道なら、川を背にするという布陣が一種変わっている。背水の陣は本来愚策の中の愚策と言われるものだ。死中に活を見いだす、死にものぐるいの力を引き出すために有効な局面もあるが、やはり危険のほうが大きい。
………………
「はぁ……ぅ、くっ……ふぅ。もっと、もっと激しく動きなさい!」
テ・デウム川を背にしたウェルス軍の幕舎。聖女アトロファは兵士の腹上で腰をうねらせていた。兵士のほうは苦しそうな、しかし幸福そうな、悦楽と苦痛の相半ばする表情でアトロファのいいように搾り取られ、アトロファはその兵士がもう出せないとなるとまた別の兵士に跨がっていく。
ウェルス軍の各所で似たような光景が繰り返されていた。違うのはアトロファが自ら主導的に男を貪っているのに対して、多くの兵士と引き据えられた少女たちの場合は男が女を押し倒し、乱暴に腰を打ち付けいたぶるように犯しているという点。なんにせよウェルス兵たちの士気は一人につき一人の少女をあてがわれ、自由に彼女らを使っていいといわれたことで非常に高かった。
「っ……、この戦い方を、王都でやるわけにも、いきませんからね……っく……」
聖女アトロファは舌なめずりをして、また新しく入れ替わった男を貪る。その表情は生きていることを余すことなく謳歌しており、すくなくとも彼女が玉砕覚悟の悲壮な決意でここにいるわけではないことを如実に示していた。
………………
そして、翌日。
辰馬はテ・デウム川の前、アトロファ軍の前方指呼の間に迫る。兵の半数は浮き橋を用意し、戦闘には参加させず渡河作戦。残る半数がアトロファ軍を相手にする。本来アトロファを相手にする必要はないと大きくこれを迂回する案も出たが、こちらが29万の大所帯になっており軍隊機動が鈍っていることから、回避は不可能という判断をせざるを得なかった。それに、渡河作戦中に側面や背面から打撃を喰らっては思わぬ大打撃を受ける恐れがある。全長2キロの大河とアトロファ、この2者と赤竜帝国軍は箕角の勢をなしており、アトロファを放置は出来ない。
そして。
陣前にアトロファが姿を現した。
「お久しゅうございます、魔王陛下。先日はろくに挨拶も出来ず、申し訳ございません。そのぶん、今日は存分におもてなしさせていただきますわ」
「アトロファ……、お前、いくら無尽蔵の神力手に入れたつっても、この兵力差じゃ勝てねーぞ? 降参しろ」
「あら? 陛下はかつてこの程度の兵力差、何度も覆してきたではないですか。自分に出来ることが、わたしには出来ないと?」
……? どっから来るんだ、この自信……?
「そう言うなら、ひともみに叩きつぶすのみだ。とりあえず殺さんよーにするが、保証は出来ねーぞ!」
かくて辰馬は指揮杖かわりの天楼をかかげ、振り下ろす。一斉に掛かる赤竜帝国勢、実に30倍の兵力を前にアトロファは艶然と笑み。
力を振るった。
発現する。それは突然。赤竜帝国軍の将兵たちが唐突にうずくまり、痴呆の表情を晒す。最強の淫魔から技を尽くした愛撫を受けたかのように、30万の兵士、そのほとんどがなすすべもなく、止まらない射精に苦悶、最初こそ興奮と陶酔に蕩けた男たちの顔色は終わることのない無限の快楽地獄にたちまち恐怖と絶望の色に変わった。
淫蕩なる命の聖女、の面目躍如。アトロファは限界まで男と交わることで高めた淫気を女神の神気と掛け合わせて赤竜帝国軍に放ち、彼らをやむことのない射精地獄に突き落とした。その上、7000の手勢も犯すだけ女を犯させて本能むき出しの状態にさせ、力を通りやすくし、こちらには気力体力増幅のバフをかける。一度欲の満たされた彼らはもう一度それを味わいたい、死にたくない一心になり、背水の陣はこの状態で最も効果を発揮、猛然と赤竜帝国へと襲いかかる。
「ち……これは……」
前衛をたちまち切り崩されて、辰馬も顔に焦りを浮かべる。いくら辰馬の統率力が桁外れであろうと、射精中の兵士を十分な力で戦わせるという能力はない。自分自身なら度外れた精神力で淫気を逸らすことは可能だが、それを全軍に浸透させる能力もない。敵の攻撃は真っ向からの突撃一本槍だが、それだけに小手先の技で覆すのは困難だった。ここを勲の建て時とばかり猛然と突進してくるウェルス兵に、赤竜帝国の将兵は一人二人と首を取られる。
これはまずい……そう思った赤竜帝国軍絶体絶命のなか、馬主をめぐらし前に立ったのはオスマンと麾下のイェニ・チェリ隊。オスマンも多少は精神的にきついところがあるようだが、なお酷薄な笑みを浮かべる余裕を忘れない。そして麾下のイェニ・チェリ隊は、尽く能面のように無表情を貫く。
「ここは任せてもらおうか。見せ場が欲しいと思っていたところなのでな。……西方の姦婦、余の精鋭をその手管で惑わすことは出来んよ」
自信満々、そう言って、オスマンはイェニ・チェリに号令を発す。それは10万のヘスティア兵のうち2割に満たないが、彼らは結婚や子宝という物に望みがなく、縁がないもの、すなわち武闘宦官兵であり、睾丸を切除しているために淫気に惑わされることがなかった。精強無比の宦官たちに対してウェルス兵はならず者の寄せ集めであり、数の上でもヘスティア兵が圧倒している。いっときはウェルス側に傾いた戦いの天秤は、再びヘスティア、赤竜帝国、ひいては大陸大同盟側に傾く。
「ち……宦官。そんな摂理に背いた連中を……」
アトロファは計画の破綻に舌打ちし、戦線離脱を図る。転移魔術を使って逃れようとするが、その直前、騎馬の一気駆けで駆け寄った武将が網を投げてこれを絡め取る。かけてきた武将は戚凌雲であり、投げられた投網は封神符を織り込んだもの。それはアトロファから神力を奪い、過剰な神力を剥奪されたアトロファは女神の精神干渉から解放され、正気に戻った。
………………
「大変、申し訳ありませんでした……」
戦後、戚凌雲に捕らえられたアトロファは、驚くほど素直に頭を下げた。彼女にとって淫蕩な欲を満たすことは大事ながら、それで世間に騒乱を撒くのは本意ではない。女神の干渉から脱してしまえば、アトロファという女性は基本的に善良だった。
「あとの二人。ルクレツィアとフィーも、これで正気に戻せると思うか?」
「おそらくは。女神さまがどうあっても聖女に固執するならともかく、イーリス様はそこまでわたしたちを必要とはしていないでしょう。依り代としては【霊峰の守護者】イシュハラさまひとりいれば事足ります」
「女神にとっての人間の存在価値って、どう思う?」
「暇つぶしの玩具、それに尽きます。壊れても換えがきくと。わたしの精神も、今回のことでかなり破壊されました」
「だよな……。今回は封印が精一杯かも知れんが、女神イーリス、なにがあっても倒さにゃならんな……」
こうして、第2次テ・デウム川攻防戦は赤竜帝国側の勝利。新羅辰馬はいよいよ2度目のウェルス攻略に挑む。
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