第37話 混迷

「京師太宰で火災! 火の手は止まず京城を焼く勢い!」

 いざ西進の直前、後方からの声。永安帝復辟派、三河前久の仕掛けた謀略と聞き、赤竜帝国の陣は揺らぐ。帰るべき家が燃やされているというのだから無理もなく、辰馬もここはいったん退くべきかと頭の中に班師の二文字をよぎらせるが、しかしウェルスとの対決、勝機をつかむのであればいまをおいてほかにない。このまま後手後手に回っては結局、女神イーリスの加護を受けたウェルスは際限なく巨大化し、辰馬の将器才覚をもってしても太刀打ちできなくなるだろう。


「狼狽えんな。このまま前進する」

「たぁくん!? 太宰にはママとか師匠もいるんだよ!?」

「そこんところは磐座と会長に任せる。今! ウェルスを、女神の走狗を伐たずして次の機会はない!」

 雫が駆け寄って再考を促すが、いくら妻たちに甘い辰馬と言ってもここで班師はできない。天桜といまひとつ、混元聖母に授かった短刀・紅羿を両手に、それを天にかざして宣言する。


「悪逆暴戻の女神、グロリア・ファル・イーリス! そして女神の代行者ルクレツィア・アウレリオス・スキピオ! 人が人らしく、自由に生きる世界のために! 赤竜帝の名においてかの両名を伐つ! 下がりたいものは下がってよし、おれは単騎でもウェルスを攻める! ついてきたいやつだけついてこい!」

 言うなり、辰馬は馬腹を蹴って走り出した。卓絶した馬術の技量はあっという間に後続を突き放し、置き去りにされたと気づいた兵士たちは泡を食って皇帝を追いかける。このとき神楽坂瑞穂と牢城雫は視線を交錯させ、そして二人違う道を選ぶ。


「雫ちゃん先生は太宰に戻ります。やっぱママたちのこと心配だからさー。たぁくんのこと、頼むよ? みずほちゃん」

「牢城先生がいないのはつらいですが……。やむなしです。磐座さんと北嶺院会長だけでは京師の動乱を鎮められないでしょうから」

「んじゃ、いってくるよー!」

「ご無事で!」


 単騎突出した辰馬は道中慈教寺院に立ち寄り休憩、祈りをささげる。慈教の教えは「神は天にいるのではなく、人それぞれの心の中にいる」というものであり、自己責任と自助努力の大切さを説く。人間がどうあっても神魔に支配されているというアルティミシアの思想から脱却した思想は辰馬の思想にも合致する。もともとナガル・ジーナが興した慈教というものが新羅辰馬の体現した思想を敷衍したものなのだから肌に合うのは当然だが。

 数分遅れで、軍勢があとに続く。戦いと故郷とのはざまで迷いながらも脱落者はほとんどおらず、この、すさまじい将器と戦闘力をもちながらどこか危なっかしい皇帝を、ほとんどの兵士は見捨てることができないという事実を証明した。そんななかで皇妃・牢城雫の離脱は辰馬を少しだけ沈ませたが、「……そうか」とだけ呟いてすぐに気を取り直す。


「晦日、敵の様子を探ってきてくれ。こんなところで手間食ってらんねぇし、兵力も消耗するわけにいかねー。マウリッツは弱点見つけて一撃で叩き潰す」

「はい! しばらくお待ちください、皇帝陛下!」


 この、ほぼ同じころ。


 クーベルシュルトを制覇したレンナート・バーネルはヴェスローディア国境に戍兵を置いて今度は旧ラース・イラ領に入った。ルクレツィアとその軍勢に圧倒されたとはいえ、曲がりなりにも大陸最強の騎士の国。騎士のプライドにかけての抵抗は根強く、ルクレツィアがウェルスに戻ると彼らは一気に形勢を覆さんと動く。地方の太守アンガスらもその一人だったが、そこにレンナートが20万の兵で襲い掛かって一網打尽にし、自慢げにメガネの底の瞳を光らせた。しかし。


「ちょうどいい的だ。一矢射てみるか」

 勝ち誇るレンナートの太り肉を、約700メートル離れた小高い丘から遠望するのはヘスティア皇帝、オスマン。右手に携える豪奢な弓はただの儀礼用ではなく、剛力の弓手にも耐える実用の品。オスマンはもろ肌脱ぎになると鏑矢をつがえ、無造作にひょうと射る。通常の弓の射程は400~500メートルだが、オスマンの逞しい腕から放たれた矢はレンナートが勝ち誇って傾ける盃を、ピンポイントで見事に射貫いた。


「突撃!」

「皇帝は偉大なり!!」

 武毅の皇帝が突撃命令を下し、イェニ・チェリ隊が雪崩のように丘から発つ。オスマンのあいさつに完璧に周章狼狽したレンナート、泡を喰いながらもウェルス神聖騎士団を押し立てて防衛陣地を形成するが、ヘスティアが誇る精鋭イェニ・チェリ隊は止まらない。イェニ・チェリは妻帯・飲酒その他の欲を禁ぜられた禁欲部隊であり、戦場での出世以外に願いを持たない。それがラース・イラ騎士団が相手ならともかく、ウェルスの生ぬるい聖騎士団に当たり負けするはずがなかった。夏場で戦力が低下しているとはいえ、なおその突撃力は周を圧する。


 天空の天使たちにも、猛然と矢嵐が射かけられる。彼らの矢にはフィーリア・牢城秘伝の「霊格殺し」の秘薬が塗りこめられており、威力は十分に天使を殺しうる。天使の空中殺法や聖騎士団の神聖魔術が炸裂すれば戦況は容易に覆えされるところだが、オスマンは十分に地形を考えて攻撃を仕掛けていた。あたり一帯の森林地帯は天使が降りてきづらく、そして聖騎士団の神聖魔法は詠唱の隙を与える前にイェニ・チェリ隊の猛攻が仕留めていく。それでも通ってくる魔術に多少の損害はあれど、間違いなくヘスティア側が戦況を圧倒していた。


 開戦から30分とかけずに戦況はほぼ確定。将軍レンナート・パーネルは単騎馬首をひるがえし、味方を捨てて逃亡を図った。重装のヘスティア兵は軽騎兵であるレンナートに追いつけず、追いかけている暇もない。レンナートが戦場離脱を確信して山間の崖で一息ついたところに、重い鉄網が投げかけられた。


「ぐぶぬぅ!?」

「レンナートどの、久しいな」


 崖から下りてきたのは戚凌雲。戚はこの会戦がオスマンの圧勝で終わることを予知し、6万の兵を各所に伏せて敗兵を拿捕すべく待っていた。戚本人の部署にレンナートが逃げ込んできたのはまさしく偶然だが、かつて学生兵法大会で戚に土をつけられたレンナートとしては、またしてもこの男にしてやられたという感が大きい。


「これ以上の戦いは無益。投降されよ」

「……やむなし。まあ、ウェルスにも法王にも義理があるわけでなし、これだけ戦えれば十分か……」

 悄然と呟いたレンナートを武装解除、捕虜に取り、そして戚はオスマンと合流、このままウェルスを直撃するか南下していったん、辰馬と合流するかを相談し合い、両名一致で辰馬との合流を選ぶ。


そして再び辰馬陣営。


「ウェルス勢はこの先、クル・セステラの平原に陣を敷いています。その数20万、空には天使が2万」

 晦日美咲の報告にうなずきつつ、辰馬は戦術頭脳をフル回転させる。広大な平地、敵の多くは騎兵でその突撃力を遮るものはない。こちらはワゴン歩兵3万、歩兵6万(うちライフル兵2万、砲兵5千)、騎兵3万に戦車50両。そしてガラハド率いる旧ラース・イラの騎兵が1万5千。歩兵の数が多く、平地では騎兵に主導権を握られがちだが、負けるわけにもいかないし勝つにしても損害を受けてはいけない。あくまでこれは前哨戦であり、ウェルス本国まで牙を届ける必要があるのだ。


 結果。

 泰然と構えるウェルス陣営に、辰馬は自ら領する騎兵1万とエーリカの戦車隊で猛突撃をかけた。辰馬が敵前衛を崩し、エーリカが対空砲撃で天使を薙ぎ払う。敵はこれを受け、いったん守勢に回ったがやはり数が違う。たちまちに盛り返す。押し返してくるウェルス神聖騎士団および強化人間兵団を瑞穂のワゴンブルクが止めるが、数の差で完全には止められない。そこで調子に乗って不用意に前に突出してきた敵兵をシンタと彼が領するライフル隊の斉射がなぎ倒し、ほころびができたところに大輔の歩兵と長船の騎兵が突撃して戦果を広げる。この間に明染焔と出水は側面にまわり、焔の麾下にいる竜種の姫二人が必殺の竜炎「ウルクリムミ」で側翼を崩しにかかる。マウリッツはこれだけの攻勢を繰り出してくる辰馬に驚嘆の溜息と称賛の微笑を同時に浮かべながら、しかし崩れない。もし、マウリッツが攻勢にあって辰馬を崩さねばならないなら焦るところだが、防勢にあってただ敵の疲弊を待つだけでいいのなら十分に持ちこたえられる。兵力で2倍の差があるのだから、焦る必要もなかった。


 だが。


「ガラハド!」

「承知! 女神よ、わが報復の剣を見よ!」

 マウリッツの唯一の誤算は辰馬がここまで温存して秘匿したガラハド以下のラース・イラ勢と、彼らが胸に抱える亡国の憤怒。それは国というものに固執することがない、根無し草の将軍には理解しえないものだった。若き将軍パルジファルが、先任の団長セタンタが、副官セアラがそれぞれわが身を顧みずに道を開き、信頼と敬愛を捧げる騎士団長のために道をつなげる。マウリッツは次に来る突撃を危険視して軍を下げるべく機動しようとするが、そこを辰馬の騎兵が阻んだ。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 馬上剣を振りかざし、猛然と突撃するガラハド。マウリッツは全力で防御を全軍に下知し、ここで完全に赤竜帝国側が優勢をもぎ取る。ガラハドは数千の寡兵で縦横に敵陣を駆け巡り、駆ければ敵が割れ、そこに辰馬やエーリカやシンタや大輔や出水や焔や長船が躍りかかる。


「あまりこのようなものに頼りたくはないが……」

 マウリッツは神鏡を懐から取り出して天にかざす。神々しくも不穏な光が鏡に集まり、打ち放たれようというその刹那、神鏡は飛来した弓矢に射貫かれて弾き飛ばされる。歩卒として従軍していたクールマ・ガルバのサーティヤキ、ブラフマーストラを放つだけの力は残っていないが、それでもなお卓絶した武芸の技は赤竜帝国全軍を救うことになった。


 そして。


「マウリッツーーーーーーーーーーッ!!」

 湾曲した長剣を手にしたクールマ・ガルバ王ドリシタデュムナが、全身全霊でマウリッツへと吶喊する。兵にこれを阻む余裕はなく、将軍・軍師としての才覚はともかく武人としての力量には欠けるマウリッツがこの一撃を回避もできず、まともに喰らって額を断ち割られ、馬から落ちた。


 しかし。指揮官を失ってなお、狂信に支えられたウェルス勢は止まらない。このままではどちらかが全滅するまで戦うほかはなく、そうなればウェルス本国まで突撃するという壮途は途絶えることになる。敵のしぶとさに辰馬も苦い顔をしたそのとき。轟く北方からの馬蹄。


「ヘスティア軍と桃華帝国軍です! この形勢、ちょうど敵の背後に!」

「オスマン、戚……助かる! 全軍、気合入れろ! 目の前の敵を殲滅する!」

 殲滅、という言葉を新羅辰馬が使ったのはおそらく、これが人生で初。これまで決して無理に敵を殺すことをしなかった辰馬だが、狂信者を相手にしてそのポリシーも曲げざるを得ない。天桜と紅羿を両手にふるって、陣頭で敵兵の首を刎ね飛ばす。


 そして二時間後。


 赤竜帝国、ヘスティア帝国、桃華帝国の連合軍は、20万のウェルス勢を文字通りに鏖殺した。人間も強化兵も天使も、ひとしく殺し、クル・セステラの平野は血臭が満ちた。辰馬はさきに立ち寄った寺院の僧に死骸の火葬と供養を依頼し、近隣の人々に対して戦乱に巻き込んでしまったことへの迷惑料を支払うと、全軍を率いてそのままウェルスを目指す。

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