第36話 京師太宰大火災

三河前久の陰謀、その確証となる連判状も手に入れた穣と文だが、相手も座して処断されるのを待ってはいない。北嶺院家に潜入させていた細作は速やかに三河のもとに走り、注進、これを受けて三河は周到な計画を破綻させても事を起こすことを優先し、国家転覆計画を暴発させる。大量に雇い入れたリストラ武人たちを先導して京城柱天に突撃させ、そして至高の創世神を殺すという絶対悪をなさんとするサティア・エル・ファリスを殺さんと腕利きを選抜した別動隊を派遣する。


これに対応するのは京城留守(りゅうしゅ)の月護孔雀、覇城瀬名だが、この二人は能力的には申し分ないものの性格的に相性が悪く、お互い反発しあって能力を殺し合ってしまう。端的に言って目的のためならなにをやってもいいと考える月護と人として守るべき矜持を重んじる瀬名の間の齟齬が、敵に乗じる間隙を与えた。永安帝復辟を掲げる三河派の蜂起に対処が遅れ、一度イニシアチブを取られるとその後も後手後手にまわることになる。旧帝の御代復活を求めるリストラ武人たちは実に6万、彼らは城下に火を放ち、略奪と虐殺を繰り返しながら京城を陥とさんと迫る。


 ヒノミヤの女神サティアは京城の月護、覇城のような醜態は晒していなかった。教主にして斎姫である鷺宮蒼依に話を通したサティアは主神としてヒノミヤ守護を宣言、地下の【シドゥリの媚毒】錬成場防衛を最優先とし、自ら陣頭指揮を執って刺客たちを迎え撃つ。こちらに向かった刺客は腕利きとはいえ数十人であり、いかにサティアが女神としての神力・権能を返上しているとはいえまず敗北の気遣いはなかった。問題は帝都太宰の京城周辺であり、月護と瀬名が場当たり的に対応しているとはいえ、ここに収拾をつけるためにはやはり穣と文の帰還を待つほかない。


大慌てで京師まで取って返した穣たちが見たのは燃える太宰の町であり、口先で王政復古を求める反徒たちが実際のところ国や民のことをまったく考えることをしていない証拠ではあるが、それを突き付けるためにはまず事態に収拾をつけなければどうにもならない。逃げ惑う町人たちの人波とごうごうと燃え盛る炎に行く手を阻まれ、いったん京城まで直行することはあきらめざるを得なかった。まずは民の避難指示を完了させ火の手を消さなくては、被害と混乱がどこまでも大きくなるばかりだ。



「はぁ、ひぃ……、月護と覇城は、なにを……しているんですかっ! 降格ものの失態ですよ!?」

「磐座さん、先の人事より、今を乗り越えることを考えないと。責任追及はあとでいくらでもできるわ」

「……そうですね。皆さん、わたしたちは帝国皇妃磐座穣と北嶺院文! 安全な場所まで誘導します! わたしたちについてきてください!」

 ここで名前を出すことは賭けだった。火の手に紛れて皇妃を狙う刺客が襲ってくることも考えられたが、民を安心させるためにはこれが最適解だと穣は判断する。そして数百人の集団が二人に迫ったが、彼らは片膝をついて跪き、二人の皇妃に拝跪した。


「自警団のものです。皇妃殿下、われらの命、存分にお使いくだされ!」

「あなたたちの忠節に感謝を。では、半数は先行して安全な場所の探索、半数は我々の警護をお願いします」

「詰所まで走れば軍の兵隊さんが力を貸してくれるかもしれませんが……」

「いえ、この火事は元老・三河前久の謀略。兵士たちの中にも三河の調略の手が伸びているやもしれません、うかつに手を借りるべきではないでしょう」

 かくて穣と文は100人の自警団と万単位の民衆とともにひとまずの安息地を求める。意志と知性はずば抜けているが体力と運動神経に関しては「鈍くさい」の一言である穣は火事の狂騒の中でこけそうになりぶつかりそうになりたちまち体力を消耗し、文に肩を借りる羽目になった。


「す、すみません、北嶺院先輩……」

「いいのよ、適材適所。……それにしても、こうしてみると磐座さんって美少女よねえ……?」

「え……?」

 ぞわりと、薄ら寒いものを感じる穣の頬と顎を、文の繊手が嬲るようになぞる。


「ホント、綺麗。ラース・イラの血が入っているせいかしら、肌もこんなに白くって。こんな身近にこんな美少女がいて気づかなかったなんて、失態だわ。久しぶりにこちらの気が出てしまうわね」

「あ、あの……」

「あ、ごめんなさい。今のは忘れて?」

 文は何事もなかったかのように手を離すが、穣の中で北嶺院文に対する言いようのない恐怖が植え付けられたのは間違いがない。穣は文がもとレズビアンであるということをしらずにここまで来たから、突然艶気を浴びせられて震えあがった。


 太宰の町は計画都市として、火災に対する対策が考えられている。広小路、火除地、防火堤。住宅の多くは木造だが、ほとんどの家には燃えにくい土塀が使われている。火消しのための組織もしっかり整備され、太宰の町全体を32番の火消隊がまわり、火の手が上がればすぐ出動する。アカツキ先代宰相本田馨綋の残した遺産だが、今回の、突発的だが十分に計画を練られた犯行には追い付かなかった。新羅辰馬は新しく数十カ所の貯水所を設置して火事に備えたが、今回火消し隊の動きが総じて鈍い。火事発生からの時間経過からして、今頃延焼を抑えるための家屋破壊が行われていていいはずだが、それも行われる様子がない。


「消防組織も押えられていますか……けれど」

 穣は呟く。この火事が計画を十分に練り上げた物であるならば、人為的な物にはパターンがあるはず。そこを手繰っていけば逆王手も不可能ではない。とはいえまずは、民を安全な場所に逃がすのが先決ではあるが。


 同じ頃。クールマ・ガルパ宮廷では新王ドリシタデュムナが激昂していた。背後から銃で脅されただけでも屈辱、その後指揮権を委譲させられて敬愛する新羅辰馬の赤竜帝国軍と戦わずに済んだことは僥倖だったが、残された兵を天使たちが喰らったという報告を受けてドリシタデュムナの怒りは限界に達する。廷臣たちの中には強大なウェルスに刃向かうべきではないという声、さらにはウェルスの守護神グロリア・ファル・イーリスはこの世界の創世神であり逆らうべきではないことなどを言い立てる輩もいたが、若き王は止まらない。人質の兵ももはや失われた今、ウェルスに臣従する必要なしと断じて矛先を赤竜帝国から反転させる。


「貴公等はもう戦場に出る必要なし、そう言ったはずですが?」

 ウェルスのクールマ・ガルパ方面司令官、マウリッツ公は冷淡に言う。神力満ちるクールマ・ガルパ人の血肉を存分に喰らって力を増した天使兵を擁す彼にとって、クールマ・ガルパ兵の反撃など恐れるに足らない。むしろなにを無駄死にしにきたかと不可解げですらある。


「黙れ! 我らが誇りと誇りを穢されて死んでいった英霊たちのために、貴様はなんとしてもここで斃す!」

 ドリシタデュムナが吼えて、梵天極光陣(ブラフマーストラ)の詠唱。ビーシュマ、ドローナ、サーティヤキもまた同時に詠唱を開始する。マウリッツは懐に手を差し入れたまま、とくに妨害もしない。詠唱が完成、岩をも融かす数万度の火箭は4本連なって曳光を引き、そしてここでマウリッツが懐からなにやら取り出す。ブラフマーストラの極光がウェルス陣を飲み込んだ、と思われた次の瞬間、燃え焦げて倒れるのはクールマ・ガルパ軍。ドリシタデュムナもまた無事ではなく、咄嗟にビーシュマが庇わなければ即死だった。極光2発ぶんのダメージを直撃されたビーシュマは即死であり、しかし王であり甥である少年を救ってその死に顔は満足げではあった。


「あああああああああああああああああああああああああああーっ!!」

 ドリシタデュムナは再び吼える。今度の咆哮は必勝を期したものではなく、絶対の敗勢でただひたすらマウリッツだけは差し違えてでも、という悲痛の慟哭。


「今のがブラフマーストラ。確かに大した威力ではありますが、この神鏡の前には無力でしたな」

 マウリッツが懐から取り出したのは、円形の鏡だった。さして大きくもないこの鏡が、ブラフマーストラという絶無の超威力、それも4連発をことごとく打ち返してのけたのだった。


「王、ここは退きますぞ! 兵の損耗を考えても、この場で戦い続けても利はなし! サーティヤキ、王をお連れしろ!」

「承知! 失礼します、王!」

 激昂する若き王にドローナが声をかけ、それも聞かれないとなるやサーティヤキに命じて無理矢理にドリシタデュムナを戦場から離脱させる。ドリシタデュムナは自分を抱え上げて走り出すサーティヤキを殴り、ののしり、戻るよう命じたが、忠良なる武人サーティヤキは聞かなかった。


 そのころ新羅辰馬。


「威力は十分だけど、速度が予想よりかでねーなー……」

 馬上そう呟く辰馬の視線の先、行軍の妨げになっているのはエーリカ率いる戦車隊。石油を燃料として動いているわけだが石油は貴重品。普段は使わずに手動運転に切り替え、ペダルをキコキコ漕いでの運転となる。数トンの巨体を自転車のように軽快に動かすことは不可能であり、戦闘中のような運動性は望むべくもなかった。


「石油の精錬度が上がればもっと燃費もよくなるんでしょうが……、このままでは戦機を逸しかねません。どうします、ご主人さま?」

「そーだなぁ……、帰りのこと考えずに往路だけ突っ走って……、いけるか?」

「行けないことはないと思います。戦闘回数にもよりますが、それほど回数はないはず」

「じゃ、そーするか。エーリカー、エンジン入れていーぞ。全速前進!」

「え? いーの? よーっし、全力全開!!」


 そうして前進を再開した赤竜帝国軍がしばらく進むと、人影がひとつ。いや、正確には一人の肩に担がれて、もう一人。


「報告―! 辰馬サン、クールマ・ガルパの王サマと武芸師範っス! あと、この先20㎞でクールマ・ガルパ軍壊滅! 天使どもが死体食ってるっス……うぷ」

 晦日美咲と共に偵察に出ていたシンタが、そう報告する。シンタはいかにも気分悪げに吐き気を訴え、美咲の顔色も悪い。人を喰らう天使の凄惨というのはそれほどの物だった。


「クールマ・ガルパはウェルスについて我が国を攻める側のはずですが……?」

「なんかあったんだろ。どっちにしてもほったらかしにして行くわけにも行かん。対天使戦の場所が予定の【荒野】より手前になるが……まあ仕方ねー。秘密兵器もあるしな、な、エーリカ?」

「まかしときなさいよ、ぶちかましてあげるから!」

「んじゃ、とりあえず王様と武芸師範を接収。話を聞こう」

 そうして新羅辰馬はクールマ・ガルパ王ドリシタデュムナと武芸師範サーティヤキを接収。彼らからウェルス軍司令官マウリッツの背信を聞く。


「赤竜帝、かくなるうえは私を貴方の軍の末席に! あのマウリッツに一太刀だけでも浴びせねば、死んでいった英霊たちに顔向け出来ません!」

「その身体で、だいじょーぶか?」

「この程度、英霊たちの無念に比べれば!」

「……わかった。従軍を許可する。けど、無理せんよーにな。そのへんは、サーティヤキだっけ? アンタに任せる」

「は!」

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