第32話 存在意義
王都シーザリオンに戻った法王ルクレツィアは自分の行動に掣肘を加えようとしてくる元老院の主要メンバーを虐殺、国王アルブレヒト・リスティ・マルケッススを脅してウェルスの大元帥印璽を手に入れる。そして新羅辰馬と赤竜帝国が一時撤退の動きを見せるや、すかさず反撃に打って出た。新たに召喚した上位天使を前に押し立て、テ・デウム側を超えてクーベルシュルト、ラース・イラ、クールマ・ガルパの国境付近までを削り取り、そして占領地の民を洗脳、帝国と新羅辰馬への憎悪をあおってウェルスとルクレツィアの忠実な兵士に変えた。
「今はどーしようもねぇ。とにかくまずはアカツキ領まで戻ろう」
全身包帯でぐるぐる巻きの辰馬は、たんかの上でそう言って目を伏せる。その傍らには神楽坂瑞穗と、磐座穣。10年前なら今の辰馬の重症もたやすく癒やしてのけることができたはずの二人は、いまかろうじて神力を流し込み、辰馬の命脈をつなぐことしかできない。瑞穂は沈鬱な表情で辰馬の手を握り、ふだんなら辰馬に憎まれ口ばかりを叩く穣も自分の無力に天を仰いで、涙を堪えるほかなかった。
「まあ、あの二人はそばにいれるだけいーわよね。アタシたちはそーもいかないし……」
「エーリカちゃんもあたしも、治癒魔術とか使えないもんねぇ……」
馬車の外ではエーリカと雫が歩哨警戒。取り乱して泣き喚きたい気分ながら、ここでそれをしては全軍の士気にかかわる。士気の落ちた殿軍を猛襲されて全滅する、なんてことを避けるためには、彼女らは気丈に振る舞う必要があった。
殿軍の指揮を執るのは文。美咲を後方偵察に派遣しつつ軍を進ませる姿は一見、冷静なように見えて冷静ではあり得ない。糒がわりの炒り豆袋に手を突っ込み、何度も炒り豆を口に放り込んではときおり、呆然とした瞳で虚空を見遣る。
殿軍後方で追撃への備えを任される三バカも緊張状態にあった。限りなく「無窮」に近いとは言え彼らの力と自信の根源は新羅辰馬の存在があってこそ。太陽が沈み翳りはじめたいま、三バカの心にも影が落ちる。
対するウェルス陣営は前進しつつ占領地を植民地化しつつ、しかし行軍速度は速くない。新羅辰馬の首を取れば勝ちであるのに、それよりも今更な地歩固めに終始している感があった。これは明らかなルクレツィアの戦略ミスであり、速やかに辰馬を殺す以上にウェルスという国の版図と国力の拡充を重視したゆえに、赤竜帝国殿軍、新羅辰馬以下の仲間たちは命をつなぐことが可能となった。これらルクレツィアの方針を持ち帰ったのはもちろん、晦日美咲である。
……………
撤退から3週間、2月24日。ラース・イラ国土中腹の草原地帯。
「ここに戻ってくるまでにクーベルシュルトは降伏、ラース・イラとクールマ・ガルパは国土の半分を奪われた、か……。晦日、水差し取って」
「あまり水を飲み過ぎるとよくありませんよ。胃と消化力が弱っているのですから」
「けどさー、喉渇くんだよ……」
「……のどを湿らせるだけですよ?」
「ん」
ラース・イラ経由で北嶺平原まで帰還を果たした辰馬は、だいぶ顔色も回復はした。土気色だった肌は今度は青ざめてはいるが、一日の殆どを眠って過ごす状態は脱し、妻たちの、交代でのかいがいしい世話が実を結んだといえる。それでも予断を許せる状況ではなく、ときおり喀血する辰馬に介護する側が青ざめることもしばしばではあるが。
「穣―、交代するわよ」
代わって入ってきたのはエーリカ。穣は椅子から腰を浮かし、馬車の幌から立ち去る。
「……はい。では、陛下」
「おー」
「……なーんか、アタシより穣のほーがよかったって顔ねぇ?」
「そんなこたぁねーんだが。おれは6人全員好きだし、全員に感謝してる」
「ならいーんだけど。もし……もしよ? たつまが途中で死んだら、帝国って誰の物になるの?」
「……んなこたぁ考えてなかったが。そーだなぁ、こんなことがあると考えてねーといかんか……。瑞穂は無理だな、能力から言うと一番適任だが、性格がまったく皇帝向きじゃない。しず姉も性格的に無理だなー、自由人だから責任を負うとか、やってられんだろ。会長は……将軍としての軍略はともかく、政治家の質じゃないし、磐座も瑞穂と同じ、能力はあるが性格が向いてない。晦日は皇帝っつーより皇帝を補佐する宰相向きか……まあ、瑞穂と磐座は補佐役にちゃんとした人間をつければなんとかなりそーだが、皇帝として政治家として一番適任なのはエーリカ、お前ってことになるかな……」
「うん、うん。そーよねっ! じゃ、帝国後継者としてあたしの名前を公布……」
「考えとくよ。いまそれ言われると早く死ね、って言われてる気になる」
「ぁ……ごめん」
「まぁいーんだが。さきざきの帝国のことを考えてくれたわけだろ。そーいう視野を持った人間、ウチにはなかなかいねーし」
……………・
それからさらに1月ほどを要して、3月14日。新羅辰馬はようやく、京城柱天に帰還した。すぐにヒノミヤから百人からの巫女が招集されて皇帝回復を祈祷する神楽舞がなされ、同時に数十人の典医が呼ばれて改めて執刀に当たる。神聖魔術による生命力の賦活以外、応急処置しかできていなかった辰馬の身体はかなり消耗しており、とくにアミリエルの隕石雨を止め続けた精神消耗とガブリエルから左胸に受けた神剣の一撃、このふたつがきわめて大きい。四肢を切断することなく処置を終えることが出来たのは奇跡的僥倖だった。
この間、ウェルスの軍権を握ったルクレツィアはクーベルシュルトにいったん、兵を集中、そこから自分は東征してラース・イラ東部に入り、別働隊を北伐させてヴェスローディアになだれ込ませる。ウェルスの鋭鋒当たりがたしとみたラース・イラ宰相ハジルは騎士団長ガラハド・ガラドリエル・ガラティーン、副団長セタンタ・フィアン、正騎士パルジファル、準騎士セアラ・コナハトに女王エレアノーラ、および義娘イシュクル・ハジル・カナーンを托して赤竜帝国に落ち延びさせ、自らはテンゲリ滅亡後、亡国の王子たる自分を拾い上げてくれたラース・イラへの恩義に報いるため一戦に及んだが、とにかく狂信的信仰心と実際に聖女たちから受ける強化魔術の二本柱で強化されたウェルス軍を前に支えきれずあえなく玉砕、54才の生涯を終える。
ヴェスローディア方面は女王エーリカも将軍ハゲネも軍師ソールもすべて赤竜帝国=旧アカツキに引き抜かれて国防力の大幅に減衰しているところに、ウェルス軍が突撃してきたのだからたまったものではなかった。指揮系統もまともに存在しない中を縦横に蹂躙され、国土敗滅と思われたところに東方から援軍。エッダのインガエウ・フリスキャルヴは雷神ホラガレス、怪力ホズ、韋駄天シァルフィの三将を率いてウェルス軍の側面を強襲、一気にこれを蹴散らし、ヴェスローディア政庁に入ると正式に同盟軍としてヴェスローディアを守ると宣言、かつて自分がエッダから逐ったヴェスローディア宰相オクセンシェルナと握手を交わした。
「……というのが、現在の9大国の状況です」
記念病院最上階、国賓用病室の辰馬にそう言って、晦日美咲は言葉を切る。
「たいへんだねぇ~。はい、たぁくん、あーん♡」
「しず姉、おれあんまし食えねーから。……つーても大変なのは間違いないな、おれらが必死こいて統一した世界のバランスが、また神族主導のウェルスに塗り替えられつつある」
「もうたぁくんは戦わなくていいんじゃないかな? これ以上たぁくんが傷ついてくの見るの、おねーちゃんつらいよ?」
「しず姉には悪いが、戦わんわけにいかん。この世から神魔ってモンの干渉をなくす、それはおれの存在意義だからな」
「……………」
「けどまあ、無理の利く身体でもなくなってきたしなぁ、ある程度周りに任せるほかねーが……とにかくルクレツィアを倒す、もしくはルクレツィアの洗脳を解く。そこまではやらんと」
「たぁくんホントは戦いとか、血を見るの大の苦手なのに……そんなに頑張らなくていーんだよ?」
「そんな頑張ってねーよ、大丈夫。晦日、引き続き情報収集頼む」
「はい!」
……………
それから3月、6月18日。見てくれだけはもとどおりに回復した辰馬はラース・イラからの亡命将軍ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンを引見していた。今回のガラハドは同盟者ではなく、亡命を求める敗残者。セタンタ、パルジファル、セアラともどもに臣下の礼を取り、膝をついて辰馬の言葉を待つ。
「女王エレアノーラ・オルトリンデの亡命を受け入れ、終南女公に封ずる。その騎士たちにも行動の自由いっさいを保障する」
「は、有り難き幸せ! エレアノーラ終南女公に代わり、御礼申し上げます!」
叩頭し、床に頭をこすりつけるガラハドとその麾下の騎士3人。やがて彼らが退出する前に、辰馬はガラハドを呼んだ。
「ガラハド、ちょい」
「? なんでしょう、皇帝陛下」
「アンタに陛下とかいわれるとなんか調子狂うが……とにかく、女王エレアノーラと結ばれることが出来ないと」
「あぁ……あの話ですか……」
「おれが治すよ。ゲッサをなかったことにする。「世界最強の騎士」はいなくなることになるだろーが……」
「! それは、なりません!」
「?」
「今このときは、ウェルスとの最終決戦を目の前に控えたまさに危急存亡の秋。私の戦闘力は皇帝陛下の御為になりこそすれ邪魔にはならないはず!」
「けどさぁ、結婚したいだろ? やっぱ、幸せだもんよ、結婚できると」
「それは……」
「じゃあ、あれだ。ウェルス戦が終わったらおれがゲッサを消す。それでいーな?」
「……は。陛下のご厚情には、感謝しかありません……!」
翌日6月19日、辰馬は京城柱天の城楼に姿を現した。皇帝の象徴たる竜袍は着ていない。体力の回復が追いつかず、重たい重ね着の竜袍を着て出歩くことができないほどに今の辰馬は虚弱だが、これ以上ルクレツィア、ひいてはその後ろの女神イーリスをのさばらせる訳にはいかない。神魔の跳梁を許しては、世界に悲劇の種が蒔かれる。
「本日6月19日、赤竜帝国は神國ウェルスに、改めて宣戦を布告する!」
6月19日。それは奇しくも1816年、新羅辰馬が神楽坂瑞穗に出会った、同じ日であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます