第31話 御前天使

 アトロファの「命を奪う」力が無効化されたところで、ようやく赤龍帝国軍に優位な状況が生まれつつある。それでも兵勢はウェルス側にあるが、指揮官各位の指揮統率力で赤龍帝国側は大きく優位にあった。辰馬が威風堂々、陣を前進させると、ウェルス勢はおびえたように一歩二歩と下がった。


「下がることは許しません」

 法王ルクレツィアは冷徹に呟くと、配下の天使「御前天使」に命を下す。光の翼を広げて舞い上がった天使たちは空中で弓をつがえ投げ槍を構え、味方のウェルス兵ごと赤龍帝国軍を貫いた。


「!?」

 友軍に背後から貫かれて絶命する敵兵に、辰馬が目を見開く。鮮血をごぶりと吐いて倒れ伏す兵士の姿に、普段なら吐瀉するところの辰馬が怒りで吐くことも忘れる。天空に舞って戦場を蹂躙する上位天使たちにこの戦への女神の介在を改めて確認し、激怒して、こちらも金銀黒白の光翼を発した。天桜の64枚の刃に光の矢を乗せ、我が物顔で天空を支配する天使どもめがけて矢継ぎ早に放つ。一発一発が輪転聖王に匹敵する威力の盈力弾。しかしそれを、天使たちは翼に身をくるむことではじいてのけた。


「我らは御前天使。熾天使以下の下級天使などとはわけが違うぞ、魔王継嗣!」


 天使たちのリーダー、ルクレツィア曰くアリミエルが、翼のガードを解いて高らかに宣う。彼らは明らかに、人間同士の戦争より神の使徒として魔王継嗣の命を狙っていた。そしていま、新羅辰馬の力は先刻のアルス・マグナといまの輪転の魔弾、このふたつで大きく消耗している。御前天使カイオト・ハ=クァデシュの筆頭アリミエルと、それに準じる力を持つ上位天使たちを前に押し返すのは相当に難しい。辰馬は再び輪転の魔弾を放つも、盈力弾はやはりはじかれてしまう。そしてごぶりと、辰馬の頭部と胸郭をえぐるような痛みが走る。口と右目から出血し、辰馬は激痛に呻いた。先刻のアルス・マグナの代償。本来パスの繋がっていない術を素養だけで無理矢理に発現させたことで、辰馬の体内はズタズタに傷ついてしまっていた。30万全軍の生命力賦活となると、代償も深刻なものにならざるを得ない。


「たぁくん!?」

「だいじょーぶ! しず姉、ちょっとだけ頼む!」

 悲痛に叫ぶ近衛の牢城雫に叫び返し、辰馬は自分の竜袍を裂いた。裂傷の入った目の周りにぐるりと巻いて応急の包帯にし、眼奥と胸郭の痛みにもかかわらず鐙に立ち上がって指揮杖をかざす。皇帝の健在に士気上がる帝国軍だが、その象徴、新羅辰馬を抹殺すべく御前天使が舞う。アミリエル、ガブリエル、バラキエル、ヘリソン、レベス。彼ら東の天の支配者は天使、という名ではあるが限りなく神に近い存在。神軍の統率者、混元聖母や魔王クズノハにはやや劣るだろうが、いま法王ルクレツィアより女神イーリスの加護を受けて力は女神や魔皇女以上。辰馬もすでに死に体ながら、極限を超えて奮起する必要があった。髪飾りの封石を外し、ぱん、と掌を打ち合わせる。


「我が名はノイシュ・ウシュナハ! 勇ましくも誇り高き、いと高き血統、銀の魔王の継嗣なり!」

 金銀黒白の翼が燃える。天が謳い地が嘶き、大気が吼え猛る。実に10年ぶりに顕現する、魔王モードの新羅辰馬。天楼に盈力を乗せ、駿馬を跳ねさせ天使たちと交錯。真っ先に立ちはだかった、赤き旗を持つ天使レベスとヘリソンは血の天使。なぎ倒した帝国兵の血を操って大鎌にし、二人同時に虚空を薙ぐと実に数キロメートルの直線上にあるものが真っ二つに裂かれる。当然、人間が耐えうる威力ではなく、帝国兵数万が一撃で腰斬にされて絶命した。


「この……!」

 あとのことを考えるならば辰馬はここで力を使い果たすべきではないが、そこを割り切れるほど新羅辰馬は老成も達観もしていない。全力の盈力を込めてレベスに報復の腰斬、相手が再生するそばから霊質を消し潰していき、消滅させる。自分を不滅の存在と信じていたヘリソンはレベスの消滅にはじめて怯え、背を向けて逃れようとするが、辰馬は今回に限って容赦しない。背後から唐竹割りにして、これまた女神の神気に自身の盈力を上書きして存在を抹消した。


 バラキエルは「神の雷光」を意味する名の通りに雷霆をもって帝国軍を襲う。その雷撃の破壊力はエッダの「雷神」ことホラガレスや往事の磐座穣が神杖万象自在<ケラウノス>から発する雷霆の比ではない、まさに神雷。空は突然曇天、豪雨に変わり、騎兵たちはぬかるみの泥濘に足を取られる。全軍に襲いかかる竜の如き雷に、しかし、辰馬は天楼を高々とかざしてすべての雷を受け止めると、盈力を上乗せした雷をバラキエル自身に打ち返した。バラキエルは苦悶するまもなく消滅する。


 ガブリエルは愛と慈悲の天使であり、同時に死と報復の天使でもある。そしてその最も有名な職能のひとつは「終末のラッパを鳴らす」こと。滅びと災厄をもたらすこのラッパがひとたび吹き鳴らされれば人類は滅亡するしかないと言われる。辰馬は相手の名前や能力を見切っていたわけではないが幸いなことに、バラキエルが倒れたときこの天使はまだわずかに残った慈悲心ゆえか、終末のラッパを構えることを躊躇っていた。滅びのラッパを使うまでもなく、魔王継嗣を十分に殺せる、そう確信していたのかもしれないが。


「……アンタは、話が分かりそうだが……」

「いや、分からんよ。魔王の言葉に私が、揺らぐわけにはいかん」

「なら、消滅して貰う。どっちにせよこの世から神魔には退場願うんでね!」

「この世界は女神イーリス様の所有物。実験動物が領分を越えて箱庭を壊そうとしても、幸せにはなれん!」

「そーいうことはこっちで決める。上から目線で勝手に決めんな」


 辰馬とガブリエルの剣舞が始まる。天を舞うガブリエルに、辰馬の駿馬は翼を生やされたように飛び、舞い、踊り、追いついて、辰馬の剣を届かせる。両者の剣腕は帝国兵、ウェルス兵双方が息を潜めて見守るほかないほどのものだった。辰馬は天楼でガブリエルの神剣を受け、くるりと手首を返して巻き込み、相手の腕に巻き付けるようにして鋭い突きを繰り出す。ガブリエルも、のどもと狙いのこれを軽く首を逸らして避けると辰馬の脇腹に蹴りを繰り出し、辰馬は軽く左手を添えて受け止める。


 はずが。


「っく!?」

 強烈な蹴りの衝撃を殺しきれず、胸の傷が広がる。胸郭の内出血からごぼっと血を噴き出し、また目の傷も開き、竜袍の包帯も赤く染まった。そこに神剣をかざし、振り下ろすガブリエル。辰馬は体でそれを受け、ざっくりと左胸が貫かれる。魔王に対する勝利を確信し、しかし強者への哀悼の念に瞳を伏せるガブリエル。辰馬は相手が見せた須臾の隙に、神剣を掴んだ。「輪転聖王・梵」一瞬、驚いた表情を最後に残し、消滅する天使ガブリエル。


「さて……あと、一人だ……」

 内傷外傷を抱え、それでも気迫なお衰えずアリミエルを睨み据える辰馬。天に浮いたまま腕を組んでいた御前天使の長は、ようやく腕を解いて軽く拳を慣らした。


「ルクレツィア殿。少々、地形を変えることになりますが、宜しいか?」

「構いません。魔王を討ち取ることが第一義」

 大音声で伺いを立てるアリミエルに、躊躇うことなく即答するルクレツィア。本来の目的はウェルスの国土を守ることであろうに、女神の意思に操られたルクレツィアはなんの疑いも感じることなく魔王殺しという聖女の任務を選択した。今の彼女にとって、ウェルス全土が火の海に変わっても魔王・新羅辰馬を殺せればおつりが来るのだろう。


「了解した。では……」

 天使の長は指を鳴らす。次の瞬間、天から落ちる火の玉と……数え切れないほどの隕石雨。最大級に悪夢的な神の奇跡に、帝国、ウェルス両軍の兵は今度こそ恐慌を来した。誰もが我先に戦場から離脱しようとして団子になり、互いに押し合いへし合いして潰し合ってしまう。


「うろたえんな!」

 吼える、辰馬。このたった一言で、両軍の動揺が静まる。天性の指揮官、指導者のカリスマ。血まみれの辰馬は天楼を鞘に、掌をかざして輪転の盈力を極限まで高める。普段の輪転聖王は一点突破の光の柱、これを全天に向けて極大威力で放ち続け、隕石雨が止むまで展開し続けた。隕石は地上に一発も着弾することなく天空で消失し、両軍の将兵は助かった喜びに思わず新羅辰馬を讃美する。その賞賛を受け取る辰馬はすでに力を使い果たして虫の息だったが。


「驚いた。さすがは真なる魔王、といったところか……。だが、もう余力は残っていまい?」

「あんたもな……。そんくらいなら、あいつらがやってくれる……」

「あいつら……?」


 怪訝な顔をしたアリミエルの眉間に、銃弾が穿たれる。アリミエルの霊質の肉体はわずかに揺らめいただけで再生したが、天使長に気づかれることなく間合いまで迫り、一撃を与えた技量は……。


「テメェ辰馬サンになにしてくれやがんだコラァ!」

「赤ザル、銃はダメだ。いつものダガーに戻せ!」

「弔い合戦でゴザルよおぉ!」

 後衛から前衛まで、全速力で走ってきた三バカが叫び。


「あたしもやっちゃう! たぁくんの仇っ!」

 息を潜めてうかがっていた雫が叫び。


「限界まで力を使い果たした天使ぐらい、倒さないと泉下の新羅に笑われますからね。やりましょう、神楽坂さん」

「というか、ご主人さま生きてますよう! 急いで手当てするために、まず貴方を倒します!」

 穣と瑞穂も叫ぶ。


「アタシも忘れてくれないでよね、盾役といえばアタシ!」

「みなさんの力、わたしが「加護」でサポートします!」

 エーリカと美咲も参じて叫んだ。北嶺院文は左翼の統御があるためにこの場にいないが、新羅辰馬の6人の妻の内5人までがここに揃った。そして文のもとには魔王を殺すため味方を殺すことも厭わない聖女を見限ったウェルス兵たちが続々と投降し、ウェルス国軍は自壊。聖女ルクレツィアはこの場での戦闘継続を諦め、新たな兵を募るため戦線を離脱、王都シーザリオンに逃れる。


「あとは任せますよ、アリミエル」

「承知仕った」

 冷たく自分を見限るルクレツィアに平然と返すなり、アミリエルは電光の速度で立ちはだかる瑞穂たちに襲いかかる。両手に神剣を抜き、天空に飛翔してからの急降下斬撃を止めるのは、雫とエーリカ。物理攻撃と物理防御なら世界有数の二人が、がっちりと神剣を受け止める。先刻の辰馬とガブリエルの再現、それ以上に苛烈な剣舞となった。アリミエルは限界まで消耗しているはずだが、それでもなお雫、エーリカと互角か、圧倒するだけの力を残す。


 が、雫とエーリカ二人だけで戦うわけではない。


「上杉、頭部にダガーを!」

「了解!」

 穣の声に、すかさずダガーを飛ばすシンタ。シンタの精度に加え、さすがに世界最高峰の攻防を誇る二人を相手にしながら回避する余力はなく、ダガーは天使長の脳天に突き立つ。そこに穣が神杖を振り上げ「ケラウノス!」雷霆を落とす。


「ぐぁ!」

 仰け反るアリミエル。そこに大輔が走り込み、全身全霊の一撃。魔力を付与された手甲での一撃は確実に天使長にダメージを与えたが、この場の最大火力である雫の剣がアリミエルにほとんどダメージを与えられない(魔力欠損症の雫は魔法の武器を持っても無効化してしまうため、魔法生物に対して攻撃力が低い)のが痛い。魔法攻撃力なら出水が最強レベルなのだが、こちらは仲間を避けてうまくアリミエルだけに攻撃を当てる技量がない。結果としてまだアリミエルに致命の一撃を与えるには遠い。


「神楽坂さん、天使の周囲の時間だけを止めることは?」

「やってみます! すみません晦日さん、力を下さい!」

「了解しました!」


 神力を練り上げる瑞穂に、美咲が力を増幅させる。往時の、存分に神力を振るえるだけの力を取り戻す瑞穂。瞳を開き、掌を天使に向ける。ぴたりと制止する天使長。次の瞬間、絶妙の呼吸で一同が飛び退き、そこに出水の盈力波が大鎌となってアリミエルを襲う。直撃の直後に時間の流れがもとに戻り、ダメージに気づいたアリミエルは呵々として笑った。


「人間もやるものだ。これは、我らも認識を改めるべきかもしれん」

「ここは退きなさい、天使。このまま戦い続けても、あなたに勝ち目はありません」

 穣の言葉に。


「いや。戻ってはルクレツィア殿に逆らえんのでな。ここで私は自らの存在を抹消することにする」

「? それならいっそ帝国の味方に……」

 瑞穂の言葉に。


「そうしたいところだが。イーリスさまの被造物である私はいずれ貴殿らを裏切ることになるだろう。よってここで死ぬのが最も良い。魔王殿の言葉通り、これからの世界は人間が自分で決めるのがよいだろう。……魔王殿も、息災でな」

 答えた天使長は、宣言通り自らの存在を抹消して消える。感慨にふける間もなく、瑞穂たちは辰馬に駆け寄り、その命があることを確認してひとまずは安堵したが、瑞穂と穣の回復魔法もかつてのような超回復力を発揮できない。内臓の怪我を相手にはなおのことであり、新羅辰馬を旗頭にしての進軍はここでいったん、下がらざるを得なかった。ウェルス陣営の幕舎に入った面々は辰馬の傷を見れる医者を手配すると同時に、置き捨てられた電話から赤龍帝国本国(旧アカツキ)に電話、ヒノミヤのサティアに連絡を取る。


「シドゥリの媚毒?」

 全身ぐるぐる巻きで首から「絶対安静」の札を下げた辰馬が、さすがにぐったりした声で電話口のサティアに問いかける。


「はい、旦那様。おそらくお母さま……創世神を滅ぼしうる唯一の毒です」

「すぐに作れるか?」

「それが……生成には10年はかかるかと……」

「10年……。その間、どーにかイーリスを抑え込む手段は?」

「覚醒に近づいたお母さまを封じるには、絶えず強い創世の力……あるいは盈力で抑え込むしか……」

「……」

 電話を切る。サティアの言葉通りだとすれば、辰馬は結婚したばかりで妻たちと別れ、神域の霊峰でイーリスを封じ続けなければならない。


「まあ、しかたねーわなー……」

 呟きは力なく、それは怪我のせいだけではなかった。

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