第30話 狂信猛進

 ラケシスの七天熾天使炸裂で崩壊した前衛に、ウェルス軍は一斉突撃、温存の竜騎士と竜砲も総動員して、赤竜帝国軍を叩きに掛かる。このさなか、前衛にいた辰馬の妻、牢城雫とエーリカ・リスティ・ヴェスローディアの二人は雫は魔力欠損症の抗魔力で、エーリカは聖盾の力を全解放して七天熾天使をしのぎかろうじて無事ではあったが、いつまで無事が続くか、この乱戦の中では覚束ない。ウェルス側は新聖騎士団の最精鋭が団長スキピオの仇とばかりに猛攻を加えており、その苛烈さと士気の高さはかつてないほどのものだった。この状況で辰馬は乗騎を飛ばして前衛に突出したい渇望に駆られたが、しかし今の彼は皇帝。たとえ妻子の身に不予のことがあろうと、総司令官の椅子を動くことは許されない。いや、実際には動こうとしたが、磐座穣に叱咤されて脳が焼き切れる思いで静止した。


「あなたは今や一天万乗、ここにいる30万の兵のみならず、アカツキとヴェスローディア、そして大陸大同盟すべての国の民に責任がある身です。勝手に動いてはなりません!」

「……わかっては、いるけどな。心配なモンは心配なんだよ」

「晦日さん、牢城先生とエーリカさんを前衛から離脱させて下さい。できますか?」

「やります……、まだお二人の命が失われていないなら、ですが」

「縁起でもねーこと言うなや! って、すまん。八つ当たりだ……」

「まったく、新羅は子供なんですから」

「そーいう磐座だってけっこー、子供っぽいところあるよな?」

「わたしは理性で感情を制御できる大人です。新羅と一緒にしないで下さい」

「つーか、みんなの前で新羅、新羅って呼ぶのマスいんじゃなかったっけ? 皇帝陛下、だろ?」

「……っ!!」

「ついいつもの呼び方が出る当たり、お前もかなり動揺してるよな」

「……そんなの、当然でしょう。牢城先生とエーリカさんは姉妹同然、心配するのは当たり前です」

「別に責めてはねーよ。そーいうお前で嬉しい。心配してんのおれだけじゃねーんだよな……」


「磐座さん、ご主人さま! いい雰囲気出してる場合じゃないですよ、敵前衛の勢いが止まりません!」

「っと、悪い、瑞穂! まずはこの急場を凌ぐか。しず姉とエーリカのことは晦日に任せた」

 瑞穂の切羽詰まった声に、辰馬は我に返って指揮杖をかざす。白地に赤き竜の旗を靡かせた指揮杖が翻ると、浮き足立っていた赤竜帝国軍の動揺がわずかに収まる。そして新羅辰馬という青年は戦機を読んで勝機を掴むことにかけて、天才的な天稟を持つ。


「赤き竜の申し子、わが軍卒たちよ! 神国の青き竜に、思うままにはさせじ! いまこそ反撃の時、かかれーッ!」

 攻勢を続けてわずかに緩みほころんだウェルス勢の隙、常人ならそこが勝機に繋がる隙であるとは気づけないほど小さなほころびに、辰馬は投入可能な戦力の6割をまず正面から叩きつける。新聖騎士団の団長代行、アレクシウス・マクシムス・ヴァレンティウスはその反撃をがっちりと受け止め、動きが止まったところに側面から辰馬が残る4割をぶつける。辰馬得意の側面攻撃をアレクシウスは支えきれず後退、しかしさすがに旺盛な士気に守られ、瓦解するまでには至らない。


 瑞穂は降将レオナ・ブォナパルテとともに砲兵とワゴンブルクで前進、崩壊寸前の前衛最後尾の士気を取る。ウェルスの主力である騎兵に対して瑞穂の指揮するワゴン隊は絶大な防御力を誇り、突撃をはじいたところに砲兵隊を率いるレオナが号令、射撃。レオナの弾道計算は恐ろしいほどに正確、かつ高速であり、竜砲ではないにもかかわらず非常に精密な砲兵射撃がウェルス軍を襲う。


「レオナさん、昨日までの同胞を撃つのがつらいなら、下がってもらって構いませんよ? ここはわたしが……」

「いや。お気遣いだけ有り難くいただこう。同胞を撃つのは気が引けるが、いまはやむなし。聞け、ウェルスの民よ! 法王ルクレツィアは悪に落ちた! わたしは暴戻の君を打倒し、ウェルスを正道に戻す!」


 まず辰馬が敵の突撃を挫き、ついで前衛最後尾に出た荷車要塞と砲兵隊の連携により、赤竜帝国軍はようやく踏みとどまった。


 そのころ、後衛もウェルス軍の擾乱を受ける。最強戦力であるウェルスの竜騎兵は赤竜帝国の最精鋭ではなく、もっとも脆弱な後衛の兵站部を襲う。青鱗の竜が放つ雷撃の吐息、それを止めるのは出水秀規。死の淵から新羅辰馬の力を分け与えられて蘇った出水は辰馬の盈力を小規模ながらに受け継いでおり、青竜たちの雷撃をことごとくはじき返し、逆に強烈な土礫の弾丸を放って竜たちを撃破していく。火力は抜群だが戦闘センスにおいて卓抜、とはいかない出水をサポートするのがシンタと大輔。最近ダガーからマスケットにすっかり兵装が切り替わったシンタは集中するそぶりもなく、鼻歌交じりに針の穴を通すようなピンホールショットを連発、竜の鱗の継ぎ目や翼の薄い皮膜、むき出しの眼球など柔らかい部分を驚異的な正確さで打ち抜いていく。対するに大輔は豪快な力業。巨大な手甲に包まれた右腕が風を引きちぎるように唸りを上げると、竜の土手っ腹に真っ向からのボディーブロー。その一撃だけで、青竜は悶絶して動けなくなる。一体を倒すやすぐさま次の相手に向かって移動し、また大輔は自慢の剛腕を振るう。新羅辰馬の近衛騎士である3人の活躍に、後衛兵站部の兵士たちは湧きに湧いた。


「うははははーっ、拙者の活躍に見とれるがいいでゴザルよーっ!」

「そーよアンタたち、ヒデちゃんの美技に酔いなさい!」

「悪酔いだろ、それ。って無駄口叩いてるヒマもねーよなぁ、さすがに数が多いわ……」

「ヘバるなよ、赤ザル。ここを抜かせるわけにいかんからな!」

「わぁってるよ! 最重要任務だからな。オレらを信じて任せてくれた辰馬サンの期待に応えるためにも……」


 とはいえさすがに、3人で100騎近い竜騎兵を相手にするのは厳しい。出水の盈力は辰馬のように無尽蔵ではないし、シンタは疲れれば精神力が乱れて精密射撃が出来なくなる。大輔の剛腕も10匹の竜を撃破したあたりで威力が鈍りはじめ、一撃必倒とはいかなくなってしまう。それでも3人で、女神イーリスが授けた竜の軍勢を半分まで討ち減らすというのがそもそも超人的ではあるのだが。


「天に蒼穹、地に金床! 万古の闇より分かれ出でし、汝ら万象の根元! 巨人殺しの神の大鋸、わが手に降りて万障を絶て!! 天地別つ開闢の剣(ウルクリムミ)っ!!」


 さすがに限界と思われたところに、閃光が瞬き瞬時に10体からの巨竜を消滅させる。かつて辰馬たちをさんざんに苦しめた竜の魔女ニヌルタが、今や味方となって必殺のウルクリムミを放った。


「祖竜の母たるイーリス様に楯突くのは少々、気が引けますが……。世界に騒乱を撒くのがイーリス様の願いならそれを見過ごすわけにはいきません。……死獄竜哮(ティアマト)!」


 ニヌルタの隣で、その姉たる竜の巫女イナンナが術を完成させる。突き出した掌から放たれるのは絶対零度の氷結波。1月の寒波が暖かく感じるほどの凍気は一瞬で竜たちを飲み込み、こちらも10体ばかりを氷の彫像と変える。


「助かったぜ、魔女! 昔は憎たらしかったけど味方になると心強えーなぁ!」

「そうね。あのときはあなたたち、殺してやりたくて仕方なかったけれど。まあ今は勘弁してあげる。勝手に味方を殺すと焔が怒るもの」


 竜の魔女ニヌルタ、のち明染焔との間に明染白夜をもうけ、白竜帝国の国母となる女性はまだ人間に対して無条件に友好的ではない。3バカは軽く向けられた殺気に慄然とするが、ひとまず本気ではないとわかるとニヌルタを信じて背中を預けた。こうなればこの戦局、もはや負けはない。


右翼・明染焔と左翼、北嶺院文も獅子奮迅の活躍を見せた。勢いというもっとも強力な武器を握っているのはウェルス側だが、その勢いを完全に使いこなすことをさせず、攻撃を受けながらもどうにかコントロールしてさばき、いなす。焔は覇城瀬名に陣を預けて8000騎で突撃、錐が麻袋に穴を開ける勢いで反撃して敵陣を分断し、文は巧みに詰め将棋のような用兵を見せて敵を誘引、そこに厷武人率いる抜刀隊を突っ込ませて損耗を与えた。


 それでもウェルス側の勢いは止まない。法王ルクレツィアと聖女たちに対する敬愛と信仰、そして騎士団長スキピオへの哀悼と敵である赤竜帝国軍への憎悪、それらすべてを力に変えて彼らは猛然と押してくる。数の上ではテ・デウム川の戦いで優勢に立ったはずの赤竜帝国軍だが今回の戦いは初手の七天熾天使であっさりひっくり返され、そのままにペースを握られてしまっている。なにが怖いといって法王ルクレツィアを頂点とした士気の高さだ。これと同じ者を辰馬はかつて相手にしたことがある。ヒノミヤ事変におけるヒノミヤの将兵たち、彼らがまさにいまのウェルス勢とおなじ死兵であり、あのとき辰馬は死中に活を見いだすことで逆転する戦い方を用いたがいまの赤竜帝国軍は大国になり、死を恐れるようになっている。あの当時と同じようにはいかない。


「牢城先生、エーリカさん救出しました!」

「っし!」

 晦日美咲の、苦闘の中にあって弾んだ声。辰馬は膝を打って快哉を叫んだ。美咲に連れられて中翼本陣に帰った雫もエーリカも、かなり憔悴してはいるが無事であり、辰馬は心に澱のように溜まっていた濁りが消えてクリアになるのを感じた。すかさず陣を前進、瑞穂、レオナ隊を接収して前衛に突出すると、後れを取るなとばかり右翼左翼も前進する。新羅辰馬が活力を取り戻す、ということは赤竜帝国の戦闘力がようやく十全にふるえることを意味する。


 しかし。


「気をつけて下さい、ご主人さま! アトロファさんで……す……」

 反撃開始、その寸前で。瑞穂の切迫した声が、尻切れ蜻蛉にすぼむ。赤竜帝国前衛の将兵ことごとくが気怠げに膝をついてしまっているのは、命の聖女アトロファの力で生命力を吸収されているため。赤竜帝国30万のうち、3割としても約10万。その全員の生命力をいちどに吸い上げるなどというとんでもない力はかつてのアトロファにはなかったものだが、ルクレツィア、ラケシス動揺にいまの彼女は女神イーリスに洗脳される代わりに力を激増させている。これだけのことができてもおかしくはなかった。


「なら、こーするまでだ!」

 辰馬も盈力を解放。力の標的は味方の兵士たちに向けて、自分の命を分かち与えるイメージ。母親である先代聖女・アーシェ・ユスティニアのもっとも得意とした、アトロファと根源の非常に似通った命の秘術。アトロファのそれが「奪う」力であるのに対して、アーシェのそれは「与える」ものであり、辰馬はこれまで命の魔術「アルス・マグナ」を使うことは一度もなかったが原理についての知識はあり、素養は母譲りで十二分。ここにきてはじめて、命をひとに分かち与える!


 奪うアトロファ、与える辰馬。両者の力はわずかな間拮抗したが、すぐに辰馬が主導権を握る。「創世の竜女神」の力といえど所詮借り物、オリジナルの「真なる創世の魔王」の力を存分に使える辰馬には匹敵しえない。


「つーても、これだけの人数に命を分け与えるってめっちゃ疲れる……。けどここで終わらせねーとキリがねーからな、全軍、突撃ぃっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る