第27話 赤心を推して腹中に置く

「たつまー、機嫌治してってば」

「あー、うん。そんな言うほど怒ってないから安心しろ。お前の突撃が遅れたら全軍総崩れになるところで大ピンチだってのになにやってんだってちょっと腹に据えかねてるだけだから」

「やっぱ怒ってんじゃん! アレは出来心だったの、ちょーっと辰馬にアタシを高く買わせよーかなっていう……。結果勝てたしいーじゃん?」

「勝てたから、か。かなり紙一重だったし、ウチの軍卒も大勢死んだのにそんなこというか、お前は」

「ぁ、う……ゴメン……」

 ラース・イラ軍、ヘスティア軍を国元に還し、北嶺平原から行軍の駕車の中、エーリカは何度も辰馬の機嫌を取り結ぶべく伺候したが、国王はにべもない。実際問題としてヴェスローディア兵16万のうち実に3万弱が戦死、重軽傷者比率は50%を超えるという総力戦になり、勝ったからと楽観的なことが言える状況ではなかった。そもそも一人でも人死にが出れば泣いて悲しむのが辰馬であり、その前で今の発現はエーリカにデリカシーがなかったというほかない。辰馬は「もう戻れ」とばかり腕を振って話を打ち切ろうとしたが、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアはこのくらいでへこたれるメンタルを持っていない。むしろすげなくされたマイナスをプラスに変えるべく、積極的に迫った。駕車の上で辰馬ににじり寄り、息がかかる距離で二人は見つめ合う。辰馬が目線をそらさないとみるやエーリカはえいやっと抱き着き、戦闘用ドレス越しに豊かな乳房や肢体をすりつけた。そのまま唇を重ねようとしたところに、


「……やめれ。怒るぞ」

 いつもなら流される辰馬が、冷たく言ってエーリカを引きはがす。あまりに冷徹な声音に、さしも放胆なエーリカも本気を悟って竦む。すごすごと駕車を下りていくエーリカは下で報告の神楽坂瑞穂にはちあわせ、諸事情を慮って気遣う瑞穂、6人の妻たちの中でもことに辰馬の寵愛篤い少女に、ともすればキツいほどそっけない態度で応じてしまう。久しぶりに使ったサトリの力でエーリカの傷心に気づいた瑞穂はキツい言葉を浴びせられたことよりもエーリカを思いやるが、その無償のやさしさがまたエーリカの心をささくれ立たせた。ともあれ瑞穂は駕車に上り、戦後の報告を済ませ、そして辰馬に抱き寄せられてしばらく肩を寄せ合う。さすがに衆人環視の中で性行為に及ぶわけではないが、抱き寄せて髪をなでる程度のことには今の辰馬は抵抗もない。昔はこの程度のことも照れて出来なかったヴェスローディア王であるが。


「さて。このまま北嶺山脈、白雲連峰と抜けて、ヒノミヤを大回りしたら太宰か」

「皇帝に、なられますか?」

 瑞穂の言葉に、辰馬は心底驚いたというように目を見開く。これまでの戦いはアカツキに裏切られて追い立てられたその報復。すでに裏切りの首謀者である井伊正直は処刑し、アキレス腱であった家族たちも取り戻した。であればもう戦いの大義名分はないといっていいが、一度発した軍はアカツキを目指して止まらない。軍卒も将軍たちも、みな辰馬をしてアカツキを打倒し新帝に立てるのだと信じて疑わないだろう。辰馬としてはいちど太宰を脅かし、永安帝と会談して二度と今回のようなことがないようにすればよかったのだが、おそらくそれで済むことはないと、瑞穂の言葉はそう告げていた。


「皇帝ねぇ……ヴェスローディア王だってかなり、身の丈に合わない服なんだが……」

 とはいえこういうものが「なるもの」ではなく「なってしまうもの」であるのは、辰馬もすでに理解している。民の推戴があり、永安帝が平和裏に退位するのであれば「ヴェスローディア王にしてアカツキ皇帝」も視野に入れるべきではあった。思想の違う複数の人間が存在する以上衝突や摩擦は絶対不可避であり、戦争はどうしても起こる。恒久平和など不可能ではあるが、歴史の一時期の平和を現出することくらいはできる。その役割を担うのだと考えれば放伐と簒奪に対する抵抗も和らぎ、辰馬の気鬱も多少は霽れようというものだった。


 かくてその後。ヴェスローディア軍の進軍を阻むものはなく、辰馬たちは北嶺山脈、白雲連峰を迂回して太宰近辺、聖公に入る。英雄・新羅辰馬が奸臣・井伊正直を倒して凱旋したという報せは疾風勁草の勢いでアカツキ全土に広がり、ことに伽耶聖の故地として彼女とその子孫・新羅辰馬を神聖視する聖公の地における歓迎ムードは熱狂的に手厚い。すでにして辰馬をアカツキ皇帝と見なす人々はいまにも皇帝歓呼を声高に叫びだしそうで、穏便に事を済ませたい辰馬としては彼らの熱狂を抑えるのに苦労させられる。ともかく、この地で一泊。豪勢な食事と歓待を受けた辰馬たちヴェスローディア軍はしっかりと鋭気を養って翌日、個々を発った。これが北嶺平原の戦いから1週間後、2月20日。


 その数日前の時点の2月16日。井伊を破って新羅王来る! この報せに永安帝は震え上がり、布団をかぶって引き籠もった。このみっともない姿で勅令を発し、京師の護り、地方に散らばる藩鎮の兵をのぞけばアカツキの最終戦力といっていい禁軍、その数60万に京師防衛を命じる。禁軍は京師と皇宮の守護者ではあるが、基本的に前線に出向かないため地方方面軍に比べると練度も士気も低い。藩屏としては心許なかった。


 このとき禁軍に中務香月という青年将校があり、彼はだらしない永安帝に見切りをつけてヴェスローディア王新羅辰馬に国を献じることを画策した。世界は統一を求めており、その旗印には新羅辰馬こそもっともふさわしい、そう考える中務はほかの禁軍士官たちを説き伏せ、永安帝にクーデターを決行する。出立したはずの禁軍はそのまま京師を包囲、京城柱天を囲むと城内に残った使用人はことごとく降伏。永安帝は布団に蓑虫になっている姿で拘束され、いちおうは先帝としての礼をもって遇されたが扱いとしてはすでに過去の人であった。


 19日、中務と禁軍士官たちは連名でヴェスローディア王へアカツキ皇帝永安帝の捕縛を報せてアカツキ皇国降伏を申し入れ、翌日、聖公から少弐へ進む途中のヴェスローディア軍に接触、使者が王にこれを伝える。使者を引見した辰馬は永安帝を丁重に扱うよう、また京師の包囲を解いて禁軍も武装を解除するよう指示。武威を見せることで敵を圧伏するという意味からすればやるべきではないことではあるが、この時点でヴェスローディア軍のうち9万を帰国させ、のこる4万、辰馬が率いた第1軍のみで進み、これにアカツキ軍の捕虜を加えて進むのだが、明らかに捕虜の兵数が多い。しかもなおかつ、辰馬はこの第一軍の武装を解いた。


 そうして辰馬は2月22日、無血でアカツキ京城沖天に入場。太宰市民は恐怖するよりむしろ新たな王の誕生に歓呼を持って迎えた。市街戦で無用の血を流す必要がなかったのはおおいに喜ぶべきだが、皇帝への登極に関して禁軍の中務以下の期待を背負い、退路を断たれた形でもある。とはいえ中務の期待がなかったとしても、すでに辰馬を皇帝にしたい将兵たちの希望は無視できない勢いではあった。


「小僧、さぞ良い気分であろうな……!」

 会談のテーブルにつけられた永安帝の第一声がそれである。辰馬が上座、永安帝は下座であり、立場の違いをまざまざと見せつけられた永安帝は切歯して辰馬を憎々しげに睨み付ける。辰馬としてはどう返答すればいいのか困るところではあった。権力に固執する質ではない辰馬は永安帝を凌いだからといって特段の感慨もないのだが、おそらくそれを言ったところで永安帝には伝わらないだろう。とにかく一方的な憎悪を向けられながら辰馬は会談と調印を済ませた。辰馬はアカツキ皇帝を禅譲され(永安帝は非常に渋い顔ではあったが)、以後永安帝は以後、新設の大公家暁家の当主、暁政國として、なに不自由ないが監視付きの余生を送ることになる。こうしてアカツキ皇帝にしてヴェスローディア国王、新羅辰馬が誕生した。


 皇帝位についた辰馬は宮庭に出ると、将兵が見守る中、平服で、護衛もつけずに、積み上げた書信のたぐいを焼却させた。これは北嶺平原の戦い戦前に敵味方が発給した文書で、絶対的不利のあの戦でアカツキに密通していた士官や将軍は数多くいたはずであるが、辰馬はそこを一切不問に付し、密偵が証拠の手紙をもってきてもすべて内容を確認することなくすべて炎にくべた。将兵が安堵したのは疑いなく、またアカツキ軍の捕虜たちにしてみれば、先日まで敵であった自分たちの前で隙だらけの姿をさらして宮庭を歩く辰馬の度量に信服せざるを得ない。赤心を推して腹中に置く、というべきで、彼らの心までをも辰馬は一気に掴んでしまう。


 永安帝が倒れて次の号は辰馬の赤い瞳にちなみ、赤竜。赤竜帝となった辰馬はすぐさま国内の内政についても指示を飛ばした。科学と医療の分野にとくに意を注ぎ、その発展のための電力需給発展につとめる。まだ各地の水道に汚水が混じるところも多かったので水道網とダムと水路の整備、そして発電所の建設。発電所は風力と水力で80%をまかない、火力発電は20%に抑える。農耕には安全で管理しやすい品種と農薬を研究し、商業は商業街区を拡大して広く新製品のアイディアを求める。


 これらを布告、制定して施工するのに数ヶ月がかかったが、それだけで辰馬の仕事は終わらない。なにより大きな、辰馬にしか出来ない仕事は外交であった。アカツキ、ヴェスローディアは自国であり、エッダは服属させた。この際9大国すべてを同盟で結んで平和を現出したいというのが辰馬の希望であり、そのためにまずヘスティア皇帝オスマンに書信を届ける。オスマンは大陸大同盟に調印するだけでなく皇帝印璽をアカツキに献上、これは対等の同盟者ではなく、ヘスティアがアカツキに臣従することを表す。ついでラース・イラ、クールマ・ガルパにも使者を送り、ラース・イラ女王エレアノーラは快く大陸大同盟に調印、クールマ・ガルパ国王クリシュナは誇り高く一戦に及ぼうとしたが、王子ドリシタデュムナのいさめを受け、退位。新国王となったドリシタデュムナは尊崇する辰馬に喜んで臣従を誓う。ラース・イラ経由でクーベルシュルトのフィリップ国王にも連絡、辰馬に恩義あるクーベルシュルト王も快く大同盟に応じ、これで辰馬は9大国中8ヶ国の盟主、暫定の大陸統一皇帝となったが、問題は最後の1国、神国ウェルスであった。創世の女神グロリア・ファル・イーリスを奉じるこの国はかつて1200年前、蛮王ゴリアテに1度王都を奪われたが、それでもなお他国に屈したことがない。そして大陸を去った多くの神魔たちとグロリアの力は、あまりにも隔絶して違う。それを恃みにして、ウェルスは新羅辰馬の大陸唱覇にまったをかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る