第26話 兵に常勢なし

 立花の父と子が旋回しながら、不用意に立ち入る敵を咬み砕く騰蛇の陣。それに対するは一見、鶴翼。しかしながら実際には矢継ぎ早に敵の急所を狙い、鷹が蛇を押さえつけて食いちぎるを狙う鴛鴦陣。鶴翼から派生するこの陣法を創出した磐座穣は現在精神的ショックでダウンしているが、穣から陣の要諦を受け継いだ呂燦老将軍は老練の名将であり、そして実働部隊であるガラハド・ガラドリエル・ガラティーンと明染焔は当代の超一流。大陸の命運に賭けても、負けるわけにはいかなかった。


「ラース・イラ11万のうち、騰蛇陣破りには3万あれば十分。セタンタとパルジファルは戦場全体の警備警戒を」

「大丈夫か、団長? その、一度やられたショックとか…」

 ガラハドの言葉に、セタンタはやや気づかわし気な返事を投げる。ガラハドにとって頼りになる副団長でありかつては師匠でもあったこの人物は、気配りの人でもあった。

「構いません。むしろ数が多くては機動が鈍重になり、ラース・イラが誇る最速の衝突力を発揮できない。それに、今回はこの局面だけで決着がつくわけではありませんからね。セタンタもパルジファルにも、楽をしてもらうつもりはない」

「ならばいいが……」

「外周の警戒はボクにお任せあれ。この年までガラハド卿の陰に隠れて武勲を立てる余地もありませんでしたが、今日ここで、千載のちまで語り継がれる武勲を立てて見せましょう!」

 なおなにかいいたげなセタンタにかぶせるように、パルジファルが陽気に語る。もともと騎士の血筋でないという点においてパルジファルはガラハドをいたく尊敬していたが、あまりに傑出しすぎた先輩の存在は時として疎ましくもある。今日は確かに彼が次の世代の将軍として名を成す記念日なのかもしれない。


「では、セアラ。団長のことは任せる。くれぐれも無理はさせるなよ」

「承知しています。…殿方があまり横柄な口を利かないでいただけますか? 不愉快です」

「あぁ……すまん」

「セアラさん、副団長にその口の利き方はなっていないと思いますよ?」

「あ……す、すみません、団長……♡」

 ラース・イラ騎士団団長の若き副官、黒髪のセアラ・コナハトはセタンタには手厳しいが、ガラハドにはぽーっとうっとりした表情を向ける。イシュクル・ハジル・カナーン同様、明らかにガラハドに惚れているのだが、女王エレアノーラへの絶対の忠誠と、不犯の誓いに縛られているガラハドとしては応えるわけにいかない。朴念仁を通した。


 対するにヴェスローディア第2軍、明染焔、朝比奈大輔、戚凌雲隊。こちらの様相はかなり享楽的だった。

「酒や、肉や。牛潰せ! 商人にゆーて舞妓はん呼べ!」

 新羅辰馬の隷下に入った時期としてはもっとも新人なのだが、明染焔にそこのところの遠慮はない。もともと蒼月館の非常勤講師と学生だったり、牢城雫をめぐるライバルだったりした辰馬のことを焔はそもそも主君と思っていない。仲間ではあれど同格と思っており、それが将来的に辰馬が焔に手を焼かされることになるのだがさておき。


 焔は牛をつぶし、酒を振る舞い、芸妓を呼んだ。梁田篤系列の従軍商人はあらかじめ芸妓を近くの町につれてきており、迅速に彼女らを戦陣につれてきた。


 焔は幕舎に数人の芸妓を招き入れ、さらに竜の魔女ニヌルタと竜の巫女イナンナとも抱き合い絡み合いむつみあう乱交の体を呈した。実直な朝比奈大輔、戚凌雲は顔色を変えて焔をいさめたが、焔はまったく聞き入れない。大輔と戚はやむなく仮本陣に伝令し、司令官の行状を伝えたが、それを聞いた北嶺院文の返答はひとつうなずいただけだった。


「今、我が邦に必要なのは規律を守る無能の士ではなく、規律を守らぬ破天荒でも有能な傑物です。明染氏が後者であればよし、さもなくばヴェスローディアが滅びるだけです!」


 この復命の手紙を読んだ焔は呵々と笑い


「なかなか、わかっちょるやんか。そんじゃ……後者やってことをひとつ、証明しちゃらなあかんなぁ……」


 凄みのある笑顔で、そういった。


 平地に高楼が建てられ、その上に呂燦老将軍が立つ。ここからこの老将軍がガラハドと焔を統括指揮するのである。


「では、明染どの、参られよ!」

 老いてなお矍鑠たる声で呂燦が声を張る。これを聞くや焔は瞬時に立ち上がり、騎乗の人となり矢のように突撃した。配下4万も指揮官に従い、それまでの怠惰ぶりが嘘のように整然と猛然と敵中に躍りかかる。


 立花鑑連、鑑理親子は錐のように突進してくる明染隊に、陣を展開して牙を剥く。息子・鑑理が明染隊の正面を避けて腹背に食いつこうとする。焔はまともにこれを迎え撃とうとして、銅鑼と鼓の音に正気付く。まともに打ち合っては敵の思う壺、一度旋回して、敵を突き放し、離れて敵が側翼を見せたところに猛然と躍りかかる!


 焔の食いついた蛇の頸はまさに弱点、ここを支点としてさらに前後から焔を叩こうと立花鑑理は勇敢に戦うが、すでに陣勢を制せられて、兵力でも負けていてはいかんともしがたい。しばらくの格闘の末、明染焔は立花鑑理を撃破。鑑理は撤退して父の陣に下がり、立花鑑連は友軍のなかから特に少弐、蒲池、北条(きたじょう)の三氏に声をかけて陣を立て直す。彼らは対ラース・イラ戦線で立花家とともに本田家の中核をなした家であり、それだけに仲間意識が強く足の引っ張り合いを考える必要がない。新しい陣に転変する間もなくヴェスローディア勢、ラース・イラの3万が突撃してきたので応対は万全でないが、勇猛さと有能さでは世界最強ラース・イラの騎士たちに劣らない。


 が。


 改めてラース・イラ軍を率いるのはやはり世界最強騎士ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンであり、彼が指揮するときラース・イラ騎兵の突破力は数倍に跳ね上がる。隻頭となった騰蛇は勇敢に鴛鴦陣の鷹に襲い掛かったが、ガラハドは呂燦の号令を耳にするまでもなく一度やられた敵の弱点を見抜く。頭と牙を回避して胴と頚に襲い掛かり、明染焔がやったのと同じことを焔以上に鮮やかな手際でやってのけた。


 こうして騰蛇の陣は破られたが、それがすぐにヴェスローディア=新羅辰馬の勝利に直結するほど甘くはない。剽悍で粘り強いアカツキ兵はなお各所でヴェスローディア勢を苦しめる。ヴェスローディア………というより西方の兵は弱卒であり、東方の精強・アカツキ兵と比べると3人で1人に当たる、という程度。同じく強兵のヘスティア兵30万、そして世界最強ラース・イラ兵11万がいなければ勝負になっていない。立花親子と少弐、蒲池、北条はゲリラ戦で果敢な突撃を仕掛け、しばしばヴェスローディア勢の鋭鋒を挫いた。


 それでもなお。辰馬の子飼いの仲間たち、ラース・イラの騎士たち、ヘスティア皇帝オスマンがそれぞれに勇戦して、アカツキ軍を圧し返す。ここまで圧されるとは思っていなかった大元帥、井伊正直とその息子の副将軍の怯えた顔を指呼の間に起きながら、なれどあと一撃の決定打がない。たとえばすぐそばに見える北嶺山脈、その麓に4万の兵があり、逆落としをかけることができれば……。


「って、あそこおるやん、エーリカ」

 戦場南方から北に戻る途中、新羅辰馬は北嶺山脈麓に待機する女王エーリカ隊を見る。そうこうする間にも暗殺者だかゲリラ戦部隊だかが矢継ぎ早に突撃してきて応対にてんやわんや、近衛隊長たる牢城雫も、さすがに峰打ちですべてを処理するのが困難になりつつある。辰馬はこの状況を打開すべくエーリカに伝令を放った。


「聞けないわね。攻撃のタイミングはアタシが決める」

 使者に対するエーリカの返答はこれだった。このまま自分の値をつり上げて、一番高値で売るつもりらしい。商業の国ヴェスローディアの女王らしいというか、もっと端的な言い方をすれば打算的と言うべきか。最悪、敵に寝返るつもりはないということだけは保証されているのだからそこだけは安心だが、とにかくこの4万が逆落としをやってくれるとくれないのとで戦況は全く変わる。そして今エーリカが参戦しないことでヴェスローディア軍は苦戦しているのだ。


「あの……ばかたれ!」

 久々に辰馬の口から口癖が出た。ライフル隊7人を隊の前に並べる。


「目標、女王エーリカ隊。撃て!」

 果然として怒鳴る。ヴェスローディア人のライフル隊士は女王に銃弾を浴びせることを躊躇したが、国王の赤い瞳が爛々と怒りに燃えるのを見て覚悟を決めた。一斉射撃。


 これはいわゆる「問い鉄砲」の効果をエーリカにもたらした。辰馬がかなり本気で怒っていることを感じ取ったエーリカは態度を一転、逆落としをしかける。この地点に軍が温存されていることなど敵はほとんど知らず、知っていたとしてもソールがポジショニングした絶好の場所からの突撃は止めがたい。4万の兵力はそれこそ10倍する戦闘力を持って、後方からアカツキ軍を打ち倒した。


 こうなれば天秤はヴェスローディアに傾く。いくら剽悍なアカツキ兵といえど勢いには勝てない。ここを稼ぎ時とヴェスローディアと友軍の兵は勇み立ち、この戦争で一番多くの首を取った。辰馬は圧倒的優勢の中国王が敵中に突っ込む理はないのだが、それでもこれは自分がやるべきことだろうと敵中に飛びこんだ。ほとんど軍隊としての体裁を成さずに逃げ走るアカツキ軍に追いつき、敵総大将井伊正直および息子義弼を拿捕、勝利した戦場にこの二人を引き据え、鎖につないで陣中を練り歩かさせた上、自らの剣で首を刎ねた。可能な限り人を殺したくない辰馬だが、これは国王としての責任。井伊親子は見苦しくわめき立て、最初辰馬の国に背いた不義をなじり、そのあと辰馬の魔王の子という出自をなじり、最後には辰馬を称揚し永安帝を貶め、ヴェスローディア軍のアカツキ征服の先触れをつとめましょうと申し出たが、辰馬の心を1ミリもざわつかせることはなかった。


 北嶺平原の大戦はこうして終わり、戦後まもなく小日向ゆかが新羅家、牢城家その他家族たちをつれて合流。辰馬は家族を守護して愁いを断ったゆかの功績こそ今回最大のものと褒め称え、また次功として騰蛇の陣破りの策を立てた磐座穣、三功として勝敗を決めたエーリカの逆落としを、これはしぶしぶながら認めた。


 北嶺山脈、さらにヒノミヤを迂回して、いよいよ京師太宰に新羅辰馬は迫る!



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