第25話 王と王子
「騰蛇の陣、あれを破るにはやはりラース・イラ勢の助けが不可欠です!」
アカツキ、立花勢と交戦に入り、磐座穣は敵陣の要諦を見抜く。まず先鋒、蛇の頭と尾が双頭となって敵に食らいつき、粉砕する「咬」、そして動きを止めた相手に蛇の身体の部分が襲いかかる「呑」、さらに鉄槍を仕込んだ鉄格子で左右から押しつぶし、絶命させる「消」。この三連撃を止めるにはまず「咬」の時点で蛇の双頭を潰し、胴を分断しなくてはならない。そこまで見抜いて攻略法も理解した穣ではあるが士気統率力において立花親子のそれに匹敵するレベルにはない。兵力的にも、ヴェスローディアを発った6軍30万は現在5軍16万まで減っており、辰馬3万、エーリカ4万をのぞく3軍はそれぞれ3万ずつと立花勢4万に及ばない。北嶺院文の采配もこの状況でかなり限界に近いところまで引き上げられてはいるが、なにぶん、歩兵主体で機動性に劣るのはいかんともしがたかった。騎兵を得意とする明染焔、朝比奈大輔や戚凌雲といった連中と入れ替えがきけば対応可能かも知れないが、混戦の中でそんなことができようはずもない。
「明染隊とガラハド卿に伝令! 鴛鴦の外翼から蛇の頭を打つべし!」
穣の意を汲んで、北嶺院文は伝令を発する。その間にも殺到する敵。気分が悪くなるほど明確で強烈な殺意に、文と穣の身がすくむ。そこに躍りかかる刺客、文と刺客の間に割って入る隻腕の人影。交錯。指とナイフが落ちて絶叫が上がる。
「暗殺者か……どうします?」
咄嗟で文を守った厷武人はうめき声を上げる男に蹴りをくれて転がし、その顔を見た文の顔色が変わる。大公・北嶺院宰の部下として幼少期からよく見知った顔だった。普段は温厚で従順な男だがその正体が冷徹酷薄な暗殺者であることを知ったのはいつだったか。それにしてもその牙が自分に向けられることがあろうとは。父の自分に対する憎悪を改めて思い知り、胸が悪くなる。
「敵情を知るにちょうど良い捕虜ではないでしょうか?」
「いえ、磐座さん、離れて。彼は……」
不用意に近づいた穣に、下半身の力だけで立ち上がった刺客の男は猛然と飛びつき、抱きつこうとする。
「!?」
自爆する気だとわかって穣は硬直、そのままなら間違いなく穣は爆殺されていたが、一足で追いついた厷の太刀が寸前で男を両断、爆発は最小限にとどめられ、穣はぐずぐずになった人肉や内臓を浴びることになったが無事だった。
「ぅ……」
さすがにキツいものを感じた穣はなお気丈に振る舞おうとするが、精神より先に肉体が限界を迎える。膝から崩れ落ちた穣を文は降板させ、呂燦老将軍をかわりに参謀とする。
敵中に暗殺者潜入、北嶺院文は伝令と信号によりすぐさまこのことを全軍に伝達。警戒を促したがそのことは全軍に疑心暗鬼の種を蒔くことにもなる。暗殺者という見えない敵への対処を考えてヴェスローディア軍の動きはわずかに遅滞し、行動に迅速を欠く。
そうする間にヴェスローディア第2軍・明染焔、朝比奈大輔、戚凌雲隊3万、そしてラース・イラのガラハド、セタンタ、パルジファル11万が戦場の中核に集結、アカツキ勢もここを抜かれてはと陣容を厚くし、鉾となるヴェスローディア勢、盾となるアカツキ勢が対峙する。
同じ頃女王エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは大きく平原を迂回、北嶺山脈ふもとの丘に登る。新羅辰馬以下全軍が戦陣を戦う中、ソール・ムンディルフェーリの献策で敵を避けてここにポジショニングしたヴェスローディア女王隊は、まさに眼下に平原を一望する地の利を取った。ここから逆落としをしかければ自軍4万といえど数十万の威力に匹敵する。
しかし。
「女王陛下、ご命令を。ヴェスローディアの武威、アカツキの端武者どもに見せつけてやりましょう!」
「んー……ちょっと休憩。たつまってまーだアタシの価値をわかってないからさー。あいつがどーしてもアタシに頼らざるを得ない、って状況になるまで、この4万は動かさない」
ソールの進言に、エーリカは少しだけ人の悪い笑顔を浮かべる。洞ヶ峠の風見鶏を決め込む、というわけで少しどころではない人の悪さだが、エーリカという少女は悪意があってそうするわけではない。
かくして両軍の死命を制す戦力4万が、北嶺山脈の丘の上で待機することになった。
その頃新羅辰馬は4本の光条を相手に苦戦していた。
対軍隊規模のブラフマーストラが4連発、これをしのぎ、背後に続く自軍を無傷で守りながら戦うのは辰馬といえどたやすいことではない。むしろ後ろにいる友軍を見捨てて戦えるのであれば輪転聖王・梵の一撃で敵を灰燼に帰せるが、当然新羅辰馬という青年がそれをよしとするはずがない。そもそも神魔の干渉を嫌ってかれらをこの世界から放逐した当事者である辰馬が、新しい神魔であるように振る舞うはずもなかった。
「とはいえ、アレ防ぐくらいのことはせんとなぁ……。戦いにならん」
4つのブラフマーストラ、その使い手それぞれに集中する。王子ドリシタデュムナ、王兄ビーシュマ、王師ドローナ、武芸師範サーティヤキ。彼らの精神にリンクし、一時的にジャミングしてブラフマーストラを使用不能にする。こういうやりようも本来辰馬の望むところではないが、望み通りのきれい事だけでやっていけないことはさすがに、26才の辰馬も理解している。
「全軍、突撃ーっ!」
敵がブラフマーストラを放てなくなった隙を突き、辰馬は吶喊を仕掛ける。率いるはヴェスローディア軍のなかでももっとも脆弱な傭兵隊3万だが、これが新羅辰馬の指揮の下では生まれ変わったような戦いぶりを見せ、精強なクールマ・ガルパ軍と渡り合う。3万対28万、本来勝負にならない戦力差を、突撃して右から左、また突撃して左から右と敵陣を横断、突き抜け、速力と突破力で圧倒し続ける。寡兵よく衆を制すとはよくいったもので、蜂が巨大な象を翻弄し、針の一刺しを加えるのに似ていた。
「ヴェスローディア王新羅公! 勝負!」
まだ優勢はクールマ・ガルパの側にありながら、若き王子ドリシタデュムナは槍と棍棒を手に戦車を進ませた。それを護衛するかのようにビーシュマ、ドローナ、サーティヤキの三人も戦車を走らせ、辰馬を囲む。ドリシタデュムナの望みは一騎打ちだが、クールマ・ガルパ宮廷としては王子を失うわけに行かない。一対一は望むべくもなかった。
「貴方は神魔の干渉を排し、クールマ・ガルパに慈教の考えを芽吹かせた傑物。であるにもかかわらず、大恩あるはずのアカツキに弓引き皇帝を弑さんとするはいかな了見か!? やはりおのが野心にとりつかれる凡百の僭主に過ぎないのか!?」
「さあ。知らん。少なくとも永安帝に恩はねーし、それにあのジジイを殺すつもりもねーんだが……。そもそもおれはアカツキに裏切られたぶんを取り戻すために戦ってるだけだし、どーこー言われても困る」
「……井伊どのの言い分によれば貴公が国を裏切り、ヴェスローディアに逃げたと……」
「そりゃ、井伊にしてみりゃそー言わんとなぁ。国家の外交の場で自分が悪いんです、なんて言えねーだろーし。自分は正しいって言うしかないよ」
「……」
あくまで普段の調子で話してのける辰馬に、ドリシタデュムナも気勢を削がれる。どこかぽやーんとした辰馬の語り口に、多くの人々がこれまでそうであったように魅せられかかり、しかし王子としての責務から簡単には信じられない。
新羅辰馬とドリシタデュムナの視線が交錯し、互いに相手の目を見て真実を看破しようとするそこに、急遽襲い来る暗殺者。ガラスの剣をかざし辰馬の目に陽光を射し込ませて一時的に視力を奪った相手は、すかさず配下の弓手に令して矢を射かけさせる。しかし、北嶺院文からの伝令で予め襲撃あることを予期していた辰馬は音感だけでこれをことごとく回避、後方に控える神楽坂瑞穗が拿捕隊を指揮し、襲撃者を一網打尽にした。これを見てドリシタデュムナの態度が明白に変わる。王と王子の戦いの場に闖入して、王を弑さんとするやりようは正義の軍の行いとも思えない。よしんば正義のためにやむない仕儀であったとしても、ドリシタデュムナはそれをよしと出来る人間ではない。結局自分たちはアカツキ、井伊に丸め込まれて利用されていたのだと気づき、ドリシタデュムナは戦意を喪失した。こうしてクールマ・ガルパ軍は粛然と戦線から離脱する。
「早くも雪辱の機会、か」
ガラハドは高速回転する蛇の陣を前に呟く。立花親子の敷く陣法・騰蛇陣を破るために自分たちが必要、そう言ってもらえたことは彼の粉砕されたプライドを救済した。
ラース・イラ勢とヴェスローディア2軍がここに釘付けの間、ヴェスローディア3、4軍とヘスティア軍30万が他方面の敵を全面的に受け持っているが、ここが抜かれれば戦場のバランスは崩れることになるだろう。そうなればまだ余力を残すアカツキ勢に対し、ヴェスローディア軍にはもはや余裕がない。まさに分水嶺。
「蛇の頭ではなく、頸を狙うのです」
呂燦老将軍はそう言って、陣図を広げた。騰蛇の「咬」に対してはまず不動、動かずやりすごし、しかるのち「呑」みにくる胴体、底を外側から叩く。つまりは実際の蛇を相手にして、咬みつきに来るのを避けて頸の後ろを掴んで捕らえるようにだ。そうすればもはや「消」化されることもない。
「なるほど。そして頭と尾、双蛇に対して1隊ずつ、わたしと、明染ということか」
「左様。磐座嬢は倒れられましたが、しっかりと騰蛇陣破りの方策を残してくれました。これで失敗するわけには参りますまい」
「確かにその通り。では、先鋒仕ろう」
「いや、先鋒はワシやろ?」
話がまとまりかけたところで、焔が口を挟む。のんきな口調で語る焔だが、彼が左右に侍らせる竜の巫女イナンナと竜の魔女ニヌルタの眼光は鋭い。武人として女として、焔を敬愛している二人の竜種は、焔の要求が通らないのなら一暴れしそうな雰囲気すらあった。
「では、明染公に任せよう。武運を」
配下の将、とくに若いパルジファルが焔の無礼に非を慣らすが、ここで仲間割れしている場合ではない。彼らの至上命題は新羅辰馬を勝たしめることであり、局地戦における戦績などどうでもいいのだと、ガラハドは分かっている。勝てるのであれば問題ないと、ガラハドは快く譲った。
そして騰蛇陣破りの鴛鴦陣が、いよいよ発動される。
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