第24話 騰蛇の陣

 2月12日。


 北嶺平原での決戦1日前。ギルド「緋想院蓮華堂」を襲撃する国軍1万の後ろからやってきたもう1万を率いるのは、新羅辰馬のもと正妻であり妹的存在である、小日向ゆかだった。小日向家を慕う旧臣や一山当てることを望む傭兵、家財をばらまいて彼らを糾合したゆかはみずから陣頭に立ち、国軍を後背から蹴散らし義父母や蓮純、ルーチェらを救出した。そうして厳重な警備をしきつつ最も安全な場所、すなわちヴェスローディア王国軍本陣、国王新羅辰馬のもとを目指す。


「ゆかもなかなかの女傑じゃわい。ゆかを娶らなんだことは辰馬の人生の失敗じゃな」

 辰馬の祖父・新羅牛雄が呵々と笑う。85才の牛雄にとって幼少期から知る二十歳のゆかはまったくもって孫娘同然であり、それがこうして才覚を発揮したことは牛雄の喜びとするところだ。わざと敵を先行させ、後方から叩くという戦術的技法の冴えも、将棋では辰馬を連戦連敗させたゆかの策なら納得がいく。


「ありがとーおじいちゃん♡ それじゃ、おにーちゃんのところに出発進行っ!」

 十分の兵力さえ手元にあれば魔王殺しの勇者にもと聖女、ほか百戦錬磨の冒険者たちは奮迅の働きをする。たちまちに太宰の防衛戦を抜け、国境、北嶺平原へと向かった。


………………


一方で13日払暁、北嶺平原。


朝霧が霽れるや、アカツキ軍の至近にヴェスローディア軍が肉薄していた。新羅辰馬の陣割とその作戦による隠密機動で、ほとんど気取られることなくこの距離に近づくことを可能としている。最前線のラース・イラ、ガラハド隊4万、副騎士団長セタンタ6万、そして新人ながら気鋭の騎士パルジファル6万が率いる16万はアカツキの最先鋒、本田姫沙羅隊20万と早くも激突した。


ラース・イラの駿馬とアカツキのそれでは馬体の大きさ、速力、瞬発力がことごとく違う。宰相ハジルがテンゲリから持ち込んだ馬と騎乗技術とによってただの騎士の国を世界最強の騎士の国に変え、そしてその世界最強の騎士団を最強の騎士団長ガラハドが率いる。4万の兵力差があるにせよ、真っ向勝負でラース・イラ軍が負ける道理はない。


はずだった、が。


「父上、赤い騎士が」

「うむ。崩れる味方は放っておけ。邪魔にしかならぬ。敵がいい気になって暴れている魔に、騰蛇陣を完成させる」

 立花義鑑(よしあき)と鑑理(あきただ)の親子は目配せを交わし合い、伝令と信号をとばして迅速に陣形を組み立てていく。それは一見、細長く食い破りやすい長蛇の陣のように見えた。


「ガラハド・ガラドリエル・ガラティーン、貴公の名声はここに潰える!」

「吼えたまうな、老賊! 我が命運を終わらせるというなら、言葉ではなく剣でもって語られよ!」

 義鑑が渋い胴間声で叫ぶと、ガラハドも声高に応じる。敵の展開する陣形になにかあるなと察しはしたが、そこは世界最強の自負と自身の経験に従って強気に出た。


「騰蛇の陣?」

後方にあった辰馬は北嶺院隊からの伝令にいぶかしげな声を上げる。名ばかり威を誇る陣などと言うものはたいてい張り子の虎だが、北嶺院文がわざわざ本陣に伝令を送って警告する以上、張り子ではないのかも知れない。


「どんな陣なのですか?」

 辰馬にかわり、瑞穂が聞く。伝令の説明は要領を得なかったが、ともかく前後ふたつの蛇の頭で敵に襲いかかり、食らいつき、飲み込んで消化してしまう陣形であるということは伝わった。立花家家伝の陣法であり、当主立花義鑑はこの陣を敷いて負けたことがないと。


「会長は破り方を知ってんのか?」

「それについては聞いておりませんが、このままラース・イラ勢を進ませれば必敗は必定と……」

「ん。じゃあ北嶺院隊を前進! おれらも前に出るぞ!」


………………

 先鋒隊を蹴散らしてアカツキ騰蛇陣に飛びこんだガラハド率いるラース・イラ勢、陣を万端に敷いて迎え撃つ立花親子。立花勢は本田隊20万のうち4万に満たない寡兵だが、その約2万ずつがそれぞれ蛇体となりぐるぐるとラース・イラ最先鋒、ガラハドの4万を包み込んだ。


「恐れるな、このまま突破する!」

 ガラハドは長剣をかざして前進を令するが、めまぐるしく動き千変万化の騰蛇陣に効果的な打撃を与えることが出来ない。蛇を殴ろうとしてもぬめるしなやかな体躯相手には、なかなか致命傷を与えることが出来ないのに似ていた。


 対するに騰蛇の頭、すなわち立花勢の最精鋭は猛然とガラハドに牙を剥く。ラース・イラ勢を巧みに幻惑し、隙を作り、その隙に乗じて毒蛇のようにおどりかかり、食らいつく。そして最終的には無数の鉄槍を仕込んだ鉄格子で左右から押しつぶし、粉砕してしまう。ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンが、将軍となってからはじめて味わう完全な敗北だった。かろうじて残余の兵をまとめあげ、血路を開いて撤退するも、ここで沈んだ士気はいかんともしがたい。なにしろ世界最強騎士率いる4万を正面から打ち破ったのだから、アカツキ軍の意気の上がりようといったらなかった。


「蛇には猛禽。鴛鴦の陣を敷きます!」

 ガラハドを収容してわずかに下がったラース・イラ勢に代わり、北嶺院文と磐座穣の隊が前に出て穣が叫ぶ。いっそ立花の奇陣は無視して他の戦局を片付けるべきかとも思うが、それでは本当の意味での勝利に届かない。


 鴛鴦陣は鶴翼の変形。翼を広げて迎え撃つのではなく、広げた翼すべてを遊撃として矢継ぎ早の攻撃を加える攻撃型の陣法。鷹が蛇の胴体を押さえつけ、そのまま頭を喰らい潰すようにして敵を叩き伏せるのが理想ではあった。問題は立花親子の比類ない用兵ぶりを前に、みごと蛇の胴を扼すことができるかどうかなのだが、穣は名にし負う天才軍師であり、指揮を執る文とて尋常一様の大将ではない。


この間、アカツキ軍から数十名ほどの刺客が放たれた。ヴェスローディア軍要人の暗殺を任ぜられたもので、その命令を発したのは北嶺院文の父親・北嶺院宰(つかさ)。結局宰は娘への情と皇帝への忠義を秤にかけ、皇帝をとった。


そのころクールマ・ガルパの王子ドリシタデュムナは懊悩していた。クールマ・ガルパに芽吹いた新宗教・慈教。神魔への依存に寄らず、自助努力によって自らを高めていくこの宗教は、新羅辰馬を開祖としているといっていい。神魔なるものの存在を否定し、人間が人間らしくあるための世界を開いたのが新羅辰馬であるからだ。よって開祖・新羅辰馬に弓引いて良いものか、ドリシタデュムナは美しい褐色肌の美貌を歪ませる。


「迷われるな、王子よ。戦士として生まれ、戦士として生きるからには父祖に武器を向けるもそれが義務なれば」

 王兄ビーシュマがそう諭すが、ドリシタデュムナの顔色は霽れない。理屈で理解できても、感情が納得するものではなかった。なにしろドリシタデュムナは若い。


「義務ならば行わねばならないのでしょうか、ビーシュマ。偉大なる長老よ。わが父のため一族のため、敵手を弑虐して、いかな愉悦がわたしにあるのでしょうか、あるのはただ罪のみではないですか? 大恩ある新羅辰馬を伐つは縁ゆかりのものを殺すに同じ、どうあれば幸ありと言えるでしょう?」

 戦車の台座に頽れるドリシタデュムナ。その肩を撫でてビーシュマは言う。


「怖じ気を捨てたまえ、王子よ。惰弱を擲て。生者は必ず死し、使者は必ず生まれ変わる。凡慮の及ばざるところを嘆くべきに非ず。万象の霊魂は永久に損なわれることなし、なればすべてのいけとしいけるものを、汝嘆くべからず。本務を忘れるべからずして、たじろぐべからず。武士なれば戦闘を本懐としてこれに勝るものなし。かかる戦闘に巡り会いしわれらは幸運であるのだから。合戦にいたらずして本務を擲つのであれば、それは罪である。恥辱である」


 ビーシュマはそう言って王子を立ち上がらせた。ドリシタデュムナの瞳にはまだ迷いがあったが、少なくとも闘志を萎えさせることはなかった。


 かくして。クールマ・ガルパ軍も前進を開始する。最前に中翼に羅刹王ラーヴァナ、右翼に猿将軍ハヌマーン、左翼に熊王ジャンバヴァットの総勢12万。その後ろに王師28万が粛々と進む。


 ラース・イラ軍が退けられたことでアカツキ軍の勢いが一気に増した。前線付近に布陣していた少弐、秋月、牟礼、上遠野、筑紫といった連中は嵩にかかって突撃し、ヴェスローディア軍を攻め立てる。このときオスマン率いるヘスティア軍30万が割って入って壁になってくれなければさしもの新羅辰馬でも支えうるところではなかったが、そのオスマンを味方につけた実績というのが辰馬の実力でもある。なんにせよまずは騰蛇の陣を破り、兵勢を取り戻す必要があった。その鍵を握るのは磐座穣と、北嶺院文。


 辰馬は二人の妻に騰蛇陣攻略を任せ、自らは前進してきたクールマ・ガルパ軍に回頭する。まだこの地上にこれだけの数の幻獣魔族が存在することにやや驚くが、この手の人外を相手に常人の戦闘力では当たりがたい。おそらくもっとも適任なのが辰馬であった。


「まー殺さん程度に……、輪転聖王!」

 久しぶりに背中から金銀黒白、6枚の光の羽を発し、同じく金銀黒白の光の柱をぶっ放す。はじき飛ばされ、吹っ飛ぶ魔族兵。世界から神力魔力が消えようが新羅辰馬自身が創世の神にして魔王の現し身である事実は変わらず、普段は不公平にならないよう使用を自粛しているが本来辰馬には能力の使用に制限がない。「世界の力」の減衰に従って辰馬の命も減衰に向かっており、ときおり身体を蝕む熱や痛みに苛まれることはあるがそれを人に明かす辰馬ではなかった。


 一気に魔族兵を突き抜けると、4本の光条が飛来する。慈教の人理魔術、それを極限まで高めた力、すなわち天壌無窮の技。放ったのはドリシタデュムナとビーシュマ、ドローナ、サーティヤキ。彼らは4人ともがかつて狼紋で辰馬を追い詰め一度は殺した魔人、カルナ・イーシャナに匹敵した。


「ヴェスローディア国王、新羅辰馬公と見受ける! 我が名はクールマ・ガルパ国王クリシュナの王子ドリシタデュムナ! 一手ご指南願いたい!」

 若き王子は配下たちを制してそう咆吼し、右手に槍を、左手に棍棒を構える。馭者に一声かけるや戦車を走らせ、辰馬へと殺到した!

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