第23話 北嶺の原に兵雲集う

北嶺平原は北嶺院家の管轄である。


古くはこの山間の平地に荘厳な都があり、京師太宰を南都と呼んで南都北嶺と呼びならわした伝統ある故地。ラース・イラが勃興、両国の戦線が激化すると北嶺の都は引き払われて廃れたが、いまもなお三大公家北嶺院の出自の地として伝統と格式を誇る。現在の北嶺院家当主・北嶺院宰(つかさ)はアカツキ国軍兵站部の総監であるがたいした才能はなく怠惰で、北嶺院を継ぐに値する才能はその娘・文に全面的に受け継がれていると評判であった。


「あのバカ娘が、父にたてつくならまだしも、国に弓引くなど…」

 後方勤務の合間合間に、北嶺院宰はわが娘へのいらだちと憎しみを言い立てる。そもそも文が男嫌いになる理由はこの父の怠惰・日和見・好色にあったわけで、娘から強い憎悪と嫌悪を受けた父親がその娘を愛していられるものでもなかった。当然北嶺院の父娘の関係は冷たいものになり、文が新羅辰馬との交流を経て男嫌いの信条を融かしてもなおこの父への嫌悪は消えなかった。実際、辰馬との結婚式にも、北嶺院宰は招待されていない。


「北嶺院の家名が絶えたらどうしてくれる…。なんならわが手であのバカ娘を殺し、皇帝陛下への忠誠を示したいところだが…」

 事務局の片隅に目線を遣る。そこにいるのは一見、普通の事務職員だが、実際には違う。三大公家筆頭・北嶺院家が擁する暗殺集団の擬態した姿であり、彼らは「ふと、耳にした主君の意向」に基づいて行動に出る。事務職に精励している顔で、彼らは主君が本気で娘を殺しヴェスローディア国王・新羅辰馬の命を狙うのかどうか心底を探っていた。


………………

 北嶺平原を前に、ヴェスローディア軍はいったん軍を止める。ラース・イラのガラハド、ヘスティアのオスマンを待たねばさすがに兵力差がどうしようもないということと、そして十分ではない練兵をすこしでも十分に近づける必要があった。全軍約12万(実際には16万だが、4万は女王エーリカ直属)を6万ずつに分かち、西軍・新羅辰馬(軍師・磐座穣、斥候・晦日美咲)と東軍・北嶺院文(軍師・神楽坂瑞穂、斥候・上杉慎太郎)で対戦する。


 新羅辰馬は軍を魚鱗に集中、予備兵を置いたうえでまず魚鱗を突撃させる。対する北嶺院文の陣形は鶴翼。翼を広げた鶴のように深く重厚な陣で、錐のように突っ込んでくる辰馬隊を迎撃する。


 まず最初の3段4段までは辰馬の突破力が圧倒的に文の防御を上回るが、鶴翼の陣がモノを言うのは深みを増してこそ。それはまるでアリジゴクのように敵を引きずり込み、左右から殴打し、覆滅する戦術はことに魚鱗の陣という突撃力重視の陣法に対して圧倒的強さを発揮する。


「押し包まれたか」

「そうですね。まあ、計算通り」

「だな。んじゃあ、大輔の出番」


 辰馬は囲まれながら余裕を崩さず、磐座穣と短く言葉を交わすと信号弾とともに斥候、晦日美咲を走らせる。最初からこの状況を予想したうえで、予備兵を分散して待機させていたのだからあわてる段階ではなかった。


「さて。しばらく堪えるか…。にしても、此葉や智咲たちが大人になるころには、戦争もなんもない世界にしときたいもんだが…」

「それは新羅次第でしょう。…まあ、頑張ってください。此葉のためにも」

「珍しくやさしーな、磐座」

「わたしはいつでも優しくしているつもりですが!?」

「…はいはい」


「合図か。突騎隊、出るぞ!」

 朝比奈大輔はいよいよとばかり突騎…強健な脚力を持つ選抜された騎馬に、前方だけを覆う鎧を着せて軽いが鋭利な騎兵槍と短銃を持たせたもの。かつてヒノミヤ事変で神威那琴が率いた突撃力重視の騎兵隊であり、この場にある突騎隊は新羅辰馬がヴェスローディアの馬を自ら選抜したもの…5000を動かす。直接辰馬たちの後方から追突するのではなく、戦場を迂回する形でいったん、横に出てから衝撃力を与える。この、正面からの魚鱗突撃に加えて、正面で手いっぱいになった相手の側翼を騎兵の強襲で撃ち抜く戦術こそが新羅辰馬の得意技であり。


 しかし今回、その側面突撃は止められる。


「悪いな大輔、ここは通行止めや」

 側翼に配された明染焔のパイク歩兵隊3000が、大輔の突騎を止める。もとより騎兵は長槍に対して分が悪く、まして突騎は機動力を重んじて正面以外の防御力をなかば棄てているから打たれ弱い。かくして突騎による側面排撃という辰馬の得意技はとん挫、こうなると正面で組み合う魚鱗と鶴翼の打ち合いは鶴翼が分を増すことになる。


「やりました!」

 神楽坂瑞穂の快哉。辰馬と穣に自分の読みと献策で勝つ、これは瑞穂が軍師としての自分の価値を賭けた大命題であり、それができない限り穣に一歩どうしても劣ると苦悩していた瑞穂は今回ついにそれに成功、思わず笑顔がこぼれる。


「やったわね! 神楽坂さん!」

 瑞穂の苦衷を知る文も満面の笑み。ハイタッチを交わし抱擁しあう美少女二人。しかし普通ならここでシャー・ルフ(王手)となるはずの戦況から、新羅辰馬は徹底的に抗ってのける。


 まずは敵中のもっとも薄い陣地に目がけライフル連射。模擬弾ながら銃撃というものに心理的恐怖がおこり、この陣地の敵が割れると、そのまま鶴翼のなかに入り込み蚕食、一翼を食い破るようにして踏み荒らす。東軍の敗因としてはこの翼が牢城雫、厷武人といった「武人としては超一流だが武将としては1流に届かない」人物で固められていたことで、彼らは局地的に優先するものの指揮統率力で陣頭に立つ王に遠く及ばない。東軍右翼はズタズタになり、辰馬はそのまま焔の後背を突いて撤退させ、大輔と合流。


 当初窮鼠のごとくだった辰馬の反撃は鶴翼を半壊させたことで戦況自体を互角に戻し、その後も互いに散発的な攻撃を繰り返すも決定打はなく、模擬戦は夕方に終了。


「ふぃー、つかれたあ。たぁくんおねーちゃん相手に遠慮なく攻撃してくるんだもんな―」

「手加減したら怒るだろーが、しず姉。それにしても…瑞穂が今日で一皮むけたか…」

「はい! これでもう劣化磐座さんとか言わせませんよ!」

「んなこと言ってねーけど…、まぁ、よかった。大輔の突撃止められたときはどーしようかと思ったよ」

「それは、明染さんの功績です」

「いんや。ピンポイントであそこの防御任されてなかったら間に合わんかった。瑞穂ちゃん、大したもんやで」

「だってさ」

 そういわれると瑞穂はうれしいような照れたような、おもはゆい顔をしてみせる。辰馬も、普段憂い顔の多い妻の晴れやかな表情にうれしい気持ちになった。


そしてその夜。ラース・イラからガラハド率いる16万、ヘスティアからオスマンの30万が到着。これに辰馬のヴェスローディア軍16万を加えて、62万。


……………

 永安帝は布団をかぶって震えていた。最初こそ井伊正直の口車に乗せられて生意気な若造を叩き潰そうと息巻いていた永安帝だが、辰馬がラース・イラ、ヘスティア、そして現在支配権が届いてはいないが潜在的には辰馬に近しい旧桃華帝国南方、これらを次々味方につけるのを鑑みて、実のところ勝てないのではないかと思い始める。永安帝は虚栄心と自己顕示欲が肥大化しているが決して暗愚ではないから、自分がかなり不利な賭けをしていることには途中で気づいた。こんなとき相談できる相手と言えば宰相・本田馨紘だったのであるがすでに鬼籍に入った相手を頼りようもなく、新任の若い宰相では話にもならない。なので永安帝にできることは恐怖に震え、井伊正直が新羅辰馬を粉砕することを願うばかりであった。


 それに対して大元帥・井伊正直は意気軒高である。新羅辰馬(の、麾下の三バカ)に恥をかかされた嫡子・井伊義弼を副将軍に据え、麾下に元帥本田、榊原、酒井の三将を従える栄誉に浴し、ありていに言って井伊は有頂天になっていた。配下の陪将たちも豪傑ぞろい、なかでも本田姫沙羅配下の一族、立花義鑑(よしあき)とその息子鑑理(あきただ)の親子は各地辺境の戦いで剛勇無双を謳われ、陪臣ながら殿上の資格を許されたほど。ほか80万を超えるアカツキ勢には少弐、秋月、牟礼、上遠野、筑紫、蓮池、蒲池、本条、上条、北条、齋藤、大熊、内藤、教来石、春日、飯富、屋代、上井、来島、能島、因島、御作、伊勢など錚々たる顔ぶれが並ぶ。井伊が調子に乗るのも無理はない陣容であり、かつてアカツキという国が経験したことのないほどの大動員、おそらく戦果分け目となるであろう戦の予感に、この国の武士たちは奮い立った。


「今こそ、奸臣、新羅辰馬を討つべし!」

 井伊の咆哮に80万の兵、その鯨波の声が天地をどよもす。井伊はともかく兵たちにとって正義も大義もどうでもよく、大陸最後の大戦に華々しい一働きができればそれでよい。だからこそ新羅辰馬というすでにアカツキの臣民ではなく、ヴェスローディアの王である相手に対して「奸臣」という大義名分が通りうる。


 このおり、新羅邸にも兵が派遣され辰馬の家族を拿捕しようとしたが、なにせ相手は魔王殺しの勇者やもと聖女であり、一筋縄ではいかない。彼らはギルド「緋想院蓮華堂」に立てこもり、新羅狼牙、アーシェ・ユスティニア・新羅、十六夜蓮見、ルーチェ・ユスティニア・十六夜、彼らをしたう冒険者たちに推戴されて籠城戦を戦うが、数百の寡兵で数万という討捕使には適いようもなく。また後方から1万が近づくという知らせに戦況は絶望の色を深める。


………………

 新羅辰馬は昼寝から目を覚ますと、地図とにらめっこしながら猛然と書き物を始めた。


「ここにこいつを、ここはこれで…。ここにはこいつが。ここは…」

 時間にして30分ほど。一瞬の遅滞もなく地図に描きつけられたのは全軍60万の陣割り。敵の行動に対する対処と作戦概要まですべてが詳細に書き記してあるもので、どこからなにが降りてくればここまで完璧なものが書けるのかと問いただしたくなるような、完璧精緻な陣図だった。


「たぶん向こうはこれに書いたとーりの布陣でくると思うから。あとは各部署存分にやってくれ」

 瑞穂たちが書き写して各部の将たちに地図を渡していくと、驚嘆と端倪の声がそこかしこで上がる。辰馬としては美咲が持ち寄った情報から敵の布陣を読み取り、それに対する自分たちの陣立てをアウトプットしただけなのだが、いくら美咲の情報が正確であっても聞き知っただけの情報からここまでの作戦を立ててのける辰馬は、やはり尋常ではない。


「さすがは新羅公、余を従えるに足る。が、どうせなら余のヘスティア軍に名だたるアカツキ、タチバナ隊の相手を仰せつかりたかったが」

「それは失礼した、ヘスティア皇帝。先陣の栄誉はわがラース・イラがいただく」

 外人部隊であるヘスティアのオスマンもラース・イラのガラハドも、辰馬への忠誠、信頼ともに篤い。オスマンなど兵力的にはヴェスローディア勢に2倍するほどなのに、あくまでも辰馬を立ててともすれば辰馬を皇帝に登極させようとすらする気配を見せるほどだ。


 こうして、アカツキ勢とはまた違った意味で士気の高いヴェスローディア勢だが、そこに参戦する第三勢力、クールマ・ガルバ国王クリシュナの派遣する軍が北嶺平原へと北上してくる。その陣容は王子ドリシタデュムナ、王兄ビーシュマ、王師ドローナ、武芸師範サーティヤキ。さらに幻想の国クールマ・ガルバはいまなお神力衰えず強力な魔族・魔獣を輩出し、熊王ジャンバヴァット、猿猴将軍ハヌマーン、羅刹王ラーヴァナ以下無数の魔族が王子に従う。


そして1827年2月13日。

ヴェスローディアとアカツキの…というより天下の覇権を左右する戦いが、始まった。

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