第22話 遠くにありて故郷を想う

エッダの将ホラガレスは密偵・シァルフィからほぼ正確にヴェスローディアの、新王新羅辰馬の動きをつかむことができる立場にありながら、狼狽えもせず悠然と構えていた。


丘の上という地の利はこちらにある。ヴェスローディア軍が下から包囲しようとしたところで、こちらは地勢を駆って逆落としに蹴散らしてやればよい。兵法の常道どおりに考えればそのとおりではあるが、相手が新羅辰馬という常識の埒外の手を打ってくる相手、ということを考慮していないあたり、雷神ホラガレスも所詮は常人であった。


相手が動かないのを好機と、辰馬たちヴェスローディア第1~第4軍、24万は陸というには大きすぎ山というには小さすぎるその高地を囲む。このときになってホラガレスは水道を扼されてしまったことに気づき歯噛み、今更ながらの逆落としを敢行するがすでに十分な備えを整えているヴェスローディアのパイク槍兵と最新鋭ライフル銃射撃により、むしろ自軍の側におおきな損害を出した。望みをかけて必殺の雷霆を放って見せるも当然、瑞穂たちの神聖魔術の威力があれだけ弱まっているのである。無窮の域に達しているならまだしも、そうでないホラガレスの法術などさしたる威力を発揮できず、せいぜい大きな音を立てて陣屋を驚かすに終わった。


「さて。このまま囲んでりゃ勝ちだが…悠長に攻囲してる時間もねぇ。インガエウのやつが反転してきたら面倒だし、一気に決めるぞー」

 そういう辰馬の手にはつるはし。この高地の下にはルーバルの大流につながる水脈があり、辰馬は工兵を使って一気に敵陣を水流に押し流す手はずだった。そのまま計算通りに地形を変えて、前方にあるエッダ・インガエウ本陣をも水に浸す計画。相変わらずに豪快な策を画策する新羅辰馬であり、それを正確な計算力で補佐する神楽坂瑞穂、磐座穣の両軍師もやはり類を見ない。総指揮官の辰馬が陣頭に立っての突貫工事で、攻囲開始から1週間とかけずモールラーの丘は押し流され、水没の憂き目に遭った。上流を制したヴェスローディアの5、6軍はエッダ兵を難なく鹵獲していき、惨めな敗残者の中にはエッダ国主インガエウの腹心たる三銃士、ホラガレス、シァルフィ、ホズの三人の姿もあった。


「殺せ」

「いや、アンタらの命なんぞいらんよ、邪魔くせぇ。それよりか投降してくんねーかな」

 投降をもちかける辰馬に、ホラガレスら三人は薄笑いで顔を見合わせる。相手が自分たちを殺すことをためらうとみて、気の大きい態度になっていた。それと察したシンタが三人を張り倒して「テメーら立場わかってんのかぁ!?」と怒鳴りつけるが、それは辰馬が制した。


「まあ、死にたいなら死んでもらってもいーが。なんならエッダに一番損害を与える形で死んでもらうか」

「?」

「おれの知り合いに串刺し公っていわれた女がいてな。今ヘスティアの皇女殿下だが。そいつが昔やってたよ? 敵の士気をくじくために串刺し刑」

 なにげなく、というふうに言ってのける辰馬に、三人の豪傑はさも尻の穴を杭に刺し貫かれたような気分の悪さで呻く。辰馬にしてみれば当然、串刺し刑など実際にやってのけるつもりもないが、ここで本気のように見せかけるのが手腕というもの。いいながら自分で吐き気がしている辰馬だが、そこは押し隠して挑発を重ねる。


 ホラガレスたちは青ざめ、震え始めた。辰馬のブラフを見破れず、本気だと思い込んでしまっている。


「それが嫌なら…」

「は、はっ! 英主・新羅公のお心のままに!」

「エッダの内情、なんなりとお話ししましょう!」

「なんとなれば我らを対エッダ戦の先鋒に!」


 人間のもっともくすぐりやすい急所は恐怖心だ。命に直結している部分だからそれは疑いようがない。これは兵法を知るものなら誰しもが理解するところであり、死にたくないという恐怖が兵士に規律を守らせ、恐怖を乗り越えることで弱卒が強兵になる。よって恐怖心をあおったり恐怖を忘れさせたりの技術は用兵家にとって基本技能ではあるのだが、人間の浅ましさを見て誰が憂鬱になるかというと辰馬自身だった。


「…はぁふ…」

「大丈夫ですか、ご主人さま?」

 ため息をつく辰馬の肩に、瑞穂がやさしく手を添える。長船言継との空白の数か月のことを辰馬は瑞穂に問うことなく、瑞穂も語ることなく、ただあの時期のことを糊塗するかのように二人は身体を重ねるのだが、にもかかわらず瑞穂に懐妊の予兆はない。神力は大幅に減っているにも関わらず、女神の「加護」…不埒な男に穢されて子をなしてしまうことがないようにとの…は相変わらず強い。これは女神の宗主・グロリア・ファル・イーリスを倒さない限りどうしようもないかもしれない。


「あー、だいじょぶ。ちょっと、な。鬱になったが」

 とはいえひとの恐怖心がどうの、というのは瑞穂に言える話でもない。なにしろ瑞穂自身が暴力と恐喝に屈してヒノミヤでの苛烈な凌辱を受け入れてしまった女性であり、そのことを考えればうっかり「人としてのプライドが…」などとは言えたものではない。


「ともかく、食事にしましょう? 今日は牢城先生がアカツキの食事を振る舞うって言ってましたよ?」

「あー。玄食。久しぶりだな」

「はい。だから元気を出してくださいね、ご主人さま♪」


 というわけで。

 野戦食堂はそれこそ戦場の人だかりだったが、その一角に明らかに洋食とは違う匂いを立てる一隅。牢城雫が仕切り、ついでに晦日美咲が補佐する一角はアカツキ生まれの民の郷愁を誘った。


「ほーい、鰆の塩焼きに茶碗蒸し、お吸い物とがめ煮とついでに肉じゃがぁ♪ ごはんは白米かお赤飯か、お好みでどーぞー♡」

「うわ、ばーちゃんに負けてないわ、この料理。しず姉の料理、また腕上げてんのな」

「そりゃ、一介の剣客が軍隊でできることなんて護衛任務くらいだし? お料理くらいはやんないとね♪」

「これって料亭並み…つーか料亭でも出ないよなぁ…、あんがとさん、しず姉」

「やはははーっ。素直に褒められるとうれしーねっ♡ さぁさ、量はいっぱいあるから、みんな一緒に食べよぉ♪」

「お、これ雫ちゃん先生が作ったんスか? さすがの味」

「アカツキから追い出されてまだ数か月だが、懐かしく感じるな。早雪さんは無事だろうか…」

「拙者も出版社を取り上げられたままでゴザルからなぁ。なんとしても取り戻さねば」

「かーさんや親父やじーちゃんが、簡単にどーこーされるとは思わんが…早くアカツキに帰らんとな」

「てゆーか、うどんは? アカツキ料理ってゆったらうどんじゃないの?」

「うどんはもともと桃華帝国のもんだからなぁ…」

「そーなんだ…ま、ガメニ? これもおいしーけど。ソールも食べなさい!」

「い、いえ、女王…。アカツキ料理はわたしには敷居が高く…」

「いーから食え! 女王命令よ!」


 と、一同が一堂に会しての食事は過ぎ。その渦中。


「国王」

「あー、えと、オクセンシェルナさんか」

「は。わたくしごときの名を覚えてくださっていたとは、恐悦至極です」

「国内の政績リストを見せてもらった。政治業績があがってるところには必ずあんたの存在がある。看過できるほど小さい存在じゃないよ、あんたは」

「そこまで評価いただけるとは…!」

「で、エッダを追い出された形のあんたとしてはインガエウに報復したい? それとも元同胞を救いたい?」

「許されるのであれば、後者を。インガエウ・フリスキャルヴは野心家ですが、決して悪人ではありません。また彼のフリスキャルヴ家は古く、影響力のある血統。後々の統治のことを考えましても殺してしまうのは早計かと」

「了解。んじゃ、殺さない」

「…本当、ですか?」

「べつに憎くて戦争してるわけじゃねーし、おれはできれば一人だって殺したくねーんだ。つーか1人死ぬたびトイレでゲロ吐いてるよーな王様だよ、おれは」

「…嗚呼、インガエウよ、新主はここにあり。汝、窮鳥ならば急いで王の懐に入らん!」

「その前に、まず戦って勝つ必要があるわけだが」


………………

 インガエウ・フリスキャルヴは瞠目していた。

 ホラガレスたち30万が一戦で覆滅され、その大多数がヴェスローディア勢に収容されたということもだが、ルーバル川の大流に洪水を起こさせて地形を変え、まさに進発予定だったインガエウの15万を水浸しにしてくれたのには愕然だった。ときは1月、内地のラース・イラならまだしもエッダの地で水はたちまち凍てつき、軍は完全な足止めを喰らう。


 そこに突撃をかけてきたのは騎兵隊ではなく、スキーやソリに乗ったヴェスローディア兵。北方の地では騎兵よりソリやスキーが有効であるとのオクセンシェルナの献策を容れて、ヴェスローディア軍は凍てつきまともに動けないエッダ勢を蹂躙する。


「あの…ちび猿に名を成さしめたか…っ!」

 インガエウは歯噛みして悔しがり、単騎突出、佩剣「王者の剣」を振るい匹夫の勇を誇りはするものの、一人がひとつの戦場で獲れる首の数は数個から数十個。魔剣の助けがあったとして100には届かない。やがて力尽きたところに重たい投網が投げかけられ、エッダ国主インガエウ・フリスキャルヴは生け捕りとなった。


「よお、ボス猿」

「フン、姑息な手を使ってくれる。ちび猿にはふさわしいがな」

「無駄な人死にを避けたいんでね。それを姑息と言われるとまぁ、返す言葉がない」

「で、無駄な人死にを避けるために、大将たる俺の首を取るか」

「なにゆーてんの、お前。むしろお前を生かして、お前の口から終戦宣言してもらうほーが効果的だろーが」

「するはずがない。殺せ」

 インガエウはそういうと、辰馬の足元に唾を吐きかけた。そこにいた人々の中で苛烈に反応したのは磐座穣と上杉慎太郎、やや後方で待機していたシンタはともかく、辰馬のすぐ後ろに侍立していた穣はインガエウにつかみかかって思い切り平手をくれる。かつて淡い慕情を抱いた穣の剣幕に、インガエウは目を剥いて驚く。


「っ!?」

「態度を改めなさい。王があなたを殺せないとしても、わたしはあなたを殺せます」

「磐座、気安く殺すとかゆーな…。インガエウ、お前の家族、保護してるから」

「…人質か?」

「人質っつーか。ほっといたら略奪暴行されるところだったからな。まあ家族で話してくれ」


‥‥‥‥………

 インガエウは母と妻子に会い、エッダ軍粉砕の直後、エッダ臣民による暴動がおこったこと、彼らが暴政の君、インガエウを悪者に祭り上げてその妻子を血祭りにあげようとしたこと、それらを予測したオクセンシェルナが派遣した兵士によって妻子は救われたことなどを聞いた。なお肯ぜないインガエウだったが母に諭され、ついにヴェスローディアに膝を屈することを決する。


「真王よ、わが剣を貴公に捧げよう。永久に、わが忠誠を捧げるに足る王であれ」


 これが、ヴェスローディア・エッダ戦線の顛末。ほぼ同時期、エッダ・アカツキとの2面作戦を強いられていたラース・イラ軍はエッダからの攻勢から解放され、アカツキをいったん、退ける。しかしアカツキ、井伊正直は聖仙の国クールマ・ガルバと結び、再び北方に向けて威を張った。降ったとは言えエッダはすぐにヴェスローディア隷下に組み入れることができるほど安定しておらず、また叛乱に対処するためにも30万のヴェスローディア軍は各所に分散、兵力半減。ここにラース・イラと、そしてヘスティアが加わり約60万。アカツキは独力で80万を動員してなお余力あり、クールマ・ガルバからの援軍30万を得て110万。実に2倍の戦力差で、両軍はアカツキ北方、広大な北嶺平原に終結する。

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