第19話 騎士と薬師

 天上が軋み、沈み、そこから大崩壊に至るまでは一瞬。生き埋めの恐怖は新羅辰馬ですらも抗いがたいが、それでもなお打つ手に遅滞はない。まず出水の「坤」の力、盈力で増幅されたこれで側面に穴を開け、エアポケットを作ってその中に飛び込む。そこから出水と辰馬の共同作業、輪転聖王をぶっ放して天井を貫き、その衝撃で壊れそうなわき道を出水が固める。地下百メートル近い距離を這いあがる作業は困難を極めたが、彼らは徐々に少しずつ、地上へと邁進していく。


「つーてもな。瑞穂……ちょっとは鍛えよーや」

「す、すみません、ご主人さま……。体力なくて……」

 瑞穂を腰にしがみつかせた状態の辰馬は汗だくで、かなり疲労困憊だった。もともと発条と瞬発力はさておき、辰馬の持久力や腕力はさして高くない。その中でこの状況、二人分の体重を支えて進むのだから苦労は一方ではなかった。


 瑞穂もただの足手まといではないとはいえ、こうして身体能力を問われるとどうしても劣ったところが露呈する。かつて辰馬や牢城雫から運動を奨励されながらもそれを怠ってきたツケだった。


 出水も辰馬の輪転聖王にあわせて道の固定、これだけで他の余力はなく、シンタに引きずられながら辛うじて進む。そして半魔獣化のガラハドは大輔が引きずっていたが、ぐったりと脱力している人間の身体というのは相当に重い。つまり全員が余力を残していない状況だった。


 とはいえ。地下牢全体がつぶれてしまっている以上、敵がこれ以上襲ってくることもない。そこは安心していいのだが、上階層に移るたび下層に広がる空洞の広さが。途中で落ちたらまず助かりそうもない奈落の底に気が滅入る。


「よっ…と」

 柱をつかみ、次の柱へと移る辰馬。瑞穂も一応「加護」の神術で辰馬の力を増幅するが、加護に関して瑞穂は晦日美咲のような天才性を持たない。それでも狭い道を着実に進んだ一行はようやく地上の光に達し。


「たぁくん!? だいじょーぶ?」

 心配してのぞきこむ雫、彼女に腕を引かれて脱出に成功した。


「ふー……疲れた……」

「申し訳ありません、ご主人さま……」

「オレも……、ちったあ自分でどーにかしろよな、デブ!」

「デブとはー!? 拙者が周りを固着させなかったらそれこそ生き埋めだったでゴザろーが!」

「そんなことより、ガラハド卿の様子が……」

 ガラハドを肩から降ろして、大輔が言った。半魔獣化して獣毛に覆われた顔が、青黒く変色を始めている。口の端からは泡を吹き、断続的にうなり声をあげる姿はどう見ても危機的状況としか見えない。


「これ、薬の副作用か……、魔法でどーにもならん以上すぐに薬師がいるが、腕のいい薬師のアテなんかどーすりゃ……」

「たぁくん、薬師のひと必要なんだよね?」

「ああ。ガラハドのこれ、魔法じゃ治せんから」

「うん、あたしと同じ体質だもんね。だからこーいうこともあろーかと、待ってる間に探しといたよっ!」

「おぉ! さすがしず姉!!」

「そこは「さすが俺の嫁!」って言おうよ。まぁとにかく、このクーリ・コナハトの東の森。天才薬師のイシュクル・ハジル・カナーンさん。たぶんこの、ガラハドさんに打たれてる薬を作った人」

「この麻薬の製造者? それも、ハジルって……?」

「本人もこういう使い方は想定してなかったって。もともとこの薬、魔獣化した人間を人間に戻すための薬で、普通の人間に使うと逆に魔獣化しちゃうってことは想定外」

「あぁ……でもハジルって、あの宰相だよな?」

「うん。そーらしいよ。宰相さんって優秀な子供を集めて、養子にして育てるのが趣味なんだって。でもイシュクルさん、今は岳淮の監視下みたい。これがたぶん、宰相が岳淮の下についてる理由になると思うんだけど」

「……人質か。ホント吐き気がする……。んじゃ、そのイシュクルさんを解放してガラハド治して、西都に戻るぞ!」


………………

 皇帝オスマンは苦戦を強いられていた。


 敵の陣取りがうますぎる。こちらが平野に陣したとき敵は高地にあって巧みに逆落としを仕掛け、低地と侮って上から叩こうとすれば側翼に回られて痛撃をもらう。遠距離にあっては動物の腱と樫の木を組み合わせた複合弓、テンゲリ長弓を改良したラース・イラ長弓が最新のライフル銃を凌ぐ射程と威力と連射速度を見せて猛威を振るい、この前哨の火力戦で消耗させられたヘスティア軍は続くラース・イラ騎士団の超高速突撃、その威力に飲まれ重装騎兵の戦闘力を発揮できない。騎士として一個人としての実力ではハジルはガラハドに遠く及ばないが、指揮官としての技量に関してガラハドに劣るものではなかった。それは今まさにヘスティアの鉄騎を圧倒している事実が、雄弁に語る。赤毛紅衣の宰相はとりあえずの戦果に満足すると、慢心も油断もなく野戦陣を設営、西都から100キロ、境界七塞のひとつに腰を据え、白虎の野と呼ばれる平地に陣取った。


「ものすごい……突破力ですね。あれをかろうじて止めたオスマン皇帝もさすがですが……国元への距離、兵站から考えて先に利を失うのはこちら……厳しいです」

 ラース・イラ騎士団の突撃力をまのあたりに、西都上楼から戦場を俯瞰していた磐座穣は上唇を右手の親指と人差し指で挟み、思索にふける。ひとまずここしばらく、突貫工事で補強した城壁は先日のように一撃で貫かれることはないだろうが、それでもあの突破力を何度も止めうる強度はない。それになにより、籠城策というのは町に被害を出す、ということだ。新羅辰馬が籠城を嫌うのはそのためであり、穣もできるかぎり城にこもって民を苦しめることはしたくない。


「この町には、此葉もいますからね……」

 愛娘を想ってふたたび呟く。となれば手だては野戦なのだが、その野戦の戦闘力においてラース・イラ宰相ハジルの腕前が信じられない手並み。考えてみれば滅びた騎馬民族の末裔であり騎兵戦術の要諦のすべてをマスターした男、これだけの才能があってもおかしくはないのだが。


 司令部で、前線のオスマンに采配を送る北嶺院文の心労も大きかった。もともと蒼月館で戦術の天才といわれた文ではあるが、まさかこの時代自分を上回る天才が多すぎて自信喪失してしまう。オスマンとハジルの激突に自分の割って入る隙などないように思えるが、しかしヘスティア軍はあくまで援軍。指示を出すのはあくまで文でなければならず、オスマンの能力を十全に発揮できるかどうか、それができなければ自分の才能の欠落であると考えてしまう文のプレッシャーは大きい。


 このとき晦日美咲は今回もまた敵中に単身潜入、ハジルの軍中に撹乱情報を撒くと同時に、敵の情報を収集。ハジルの養女イシュクル・ハジル・カナーンの存在と、養女を溺愛するハジルがイシュクルを人質にとられ、やむなく戦っている事実を知る。


「養女……溺愛。本田宰相のようなものでしょうか?」

 だとしたらイシュクルさんは迷惑でしょうね、と思いつつ、美咲は西都に帰投。


 翌日になり、払暁から苛烈な敵の突撃が炸裂するが、美咲の撹乱をうけた敵の隊伍はわずかに乱れる。そこを文と穣は見逃さない。文はヘスティアの援軍に迂回突撃を指示、オスマンは20万を残したまま10万で敵側翼を突き、今度はラース・イラ軍がヘスティアの猛攻に食い荒らされることになった。敵が乱れたところに、穣がマスケットの兵の小部隊で割って入り乱射、混乱を広げ、そこにさらにヘスティア軍が猛攻。


「ふむ。まずはこの程度か」

 ハジルは軽く呟き、軍を引く。手を抜いていると思われては愛娘を殺されかねないが、これだけ戦えば十分だろう。ひとまず軍を下げたハジルは撹乱に動揺した兵たちを再編、素早く収拾をつけるといったん、攻勢を緩めた。


………………

「あぁ、ガラハド卿!?」

 イシュクル・ハジル・カナーンは処置室に運び込まれた男の半魔獣化した姿にもかかわらず、すがりつくように抱き着いた。


「知り合い?」

「い、いえ……わたしが一方的にお慕いしていただけですが……、まさか、ガラハド卿にこの薬が打たれていたなんて……」

「……治せる?」

「もちろんです、何があっても治してごらんに入れます! わたしの命に代えても!」

「お、おお……んじゃ、任せる」


 なかば気圧されて処置室を出る辰馬。


「やっぱ、いざってときの腹のすわりは女だよなぁ……」

 イシュクルの気迫を見て、そう思わざるを得ない。


「で、こっから予定通り西都に戻るか、その前にガラハド連れて女王エレアノール救出に向かうか、なんだが」

「遠距離通話魔法があれば西都の状況もわかるんですが……あれは磐座さんの技ですからね……」

「普通に電話でもいーんだが、こっから西都に電話線、つながってねーしな……」

「西都を攻めているのは義父ですよね? でしたらたぶん、放置で問題ありません」

 ドアを隔てた向こうから、イシュクルの明瞭な声。


「岳淮に、「まじめに働いてますよー」ってポーズがとれれば義父はそれでいいんです。無駄に戦果を広げる趣味はない方ですから」

「なるほど。そんじゃ、あとはこの家の周りに張ってる密偵ども、あれ始末すりゃあ問題なしか」

 辰馬は邸を飛び出し、すかさず3人ばかりを拿捕。辰馬が取逃したものがまた3人ほどいたが、2人は雫が、1人はシンタ、出水、大輔の3人がとらえる。彼らをふんじぱっているうちにイシュクルは治療を済ませ、


「ガラハド卿の、復活です!」

 ドアを開ける。そこにはわずかに憔悴の色を残すものの、魔獣の獣毛や赤い瞳を脱した、全き人間、世界最強の騎士ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンが立っていた。


「新羅公……世話をかけた……」

「いや、構わんけど。そんじゃ王宮行くぞ」

「?」

「女王がピンチなんだろ、乗り掛かった船だ、そっちもついでに助ける」

「だが……西都はどうする?」

「あっちにはオスマンがいるし、おれの嫁たちもいる。簡単に負けねーよ。つーかおれんとこに手紙よこしてお前を助けろっていった女王、見殺しにしたら後味悪いだろーが」

「……恩に着る」

「そーいうのは、全部終わらせてからな」

 かくて一行はラース・イラ王都アルビオンへ向かう。女王エレアノール・オルトリンデの奪還と貴族院を私にする岳淮の排除、ガラハドが復活したことでその大義名分は整った。

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