第17話 太守アンガス

 まず、新羅辰馬の名前でヘスティアに連絡、まだヘスティア帝都イスタンツァに戻らず旧桃華帝国帝都・央都黄竜にあった皇帝オスマンは快く30万の兵と大量の輜重を出した。重装騎兵であることと輜重の重さで行軍速度は遅いものの、アカツキ国境を威嚇するラース・イラ騎兵20万に対する備えとしては十分以上の力になる。このときオスマンにまだ野心が残っていたならこの機に乗じてアカツキ旧桃華帝国領を併呑できたはずだが、かの雪王はそれをしなかった。大陸制覇の野心は新羅辰馬に托す、その言葉に嘘はなかったらしい。


 その誠実を至当に見切ってのことかどうか、新羅辰馬は本来指揮を執るべき西都を出て神楽坂瑞穂、牢城雫、朝比奈大輔、出水秀規、上杉慎太郎とともにラース・イラへの潜入作戦を実施していた。大将が潜入作戦とか、あなた本当に馬鹿ですか、と磐座穣にはまた小言を言われたが、先日北嶺院文救出作戦を出水・上杉に任せて感じたストレスを思うと人任せにもできない。


「さて。どんな理由つけて入国するか」

 ラース・イラ南部国境、ボァン河の関所近く。まぶかに被ったローブで顔を隠して、辰馬が言った。


 そこまで自分が有名人になった、という意識のない辰馬だが、言われてみればラース・イラ、ヘスティアとの連戦を勝ち抜いた若き元帥、そしてカラーテレビで結婚式を全大陸中継という宣伝まで打ったとなると実際以上に名声というものは上がってしまっていると考えたほうがよい。なので、辰馬も瑞穂も雫も、ローブの下の顔も煤であえて汚し、派手な髪色も黒く染めてだいぶ印象を変えてここに来ている。


「ならば! アカツキの奴隷商という触れ込みで!」

「奴隷商ねぇ……、まあ、他の手考えてる時間もねーからな。それで行くか……」

 出水がウキウキいうのを、しかたねーかなーと辰馬。


「では首輪と手枷をつけるでゴザル!」

「ほら、さっさとつけなさい、ウスノロども!」

 出水の号令、一緒になって吠え猛るシエル。それはさておきそれよりも、鎖とか首輪とか持ってきている出水に辰馬はちょっと引いた目を向ける。


「おま……なんでこんなモン用意してんだよ……?」

「いやー、重かったでゴザル……」

「首と手に? つけるの?」

「牢城先生、それつけ方違います。たぶんこっちが首輪で……」

「いや、首輪に少しは抵抗ねーのかな、ウチの嫁たち……」

「なんか、演技とはいえコーフンするっスね、首輪の辰馬サンたち」

「興奮すんな。しばくぞ」

「俺は早雪さん一筋なんで関係ないですが。それで、俺らの役回りはなんだ? デブオタ」

「拙者の手下の用心棒でゴザルな。お主ら人相悪いからちょうどいいでゴザル」

「お前に人相どうこう言われたくねーがな、ぶよぶよデブゴンが」

「ったくなぁ。ま、たまにゃあ三下役も悪くねーか」


 と、それぞれの役回りを確認して、一行は関所に向かう。


「止まれ! 現在アカツキからの入国には厳重な規制がかかっている。許可なくここを通すことはできん」

「…………ぁー……」

「黙るでゴザル、このブタ!」

 辰馬がなにか言おうとする先を、出水が怒鳴ってさえぎる。こっから演技か、と辰馬は納得して口を閉ざすが、出水の態度に少しイラッとした。


「お前は?」

「アカツキの奴隷商、水井と申すものでゴザル。どうか国内で商売のご許可を……これ、少ないでゴザルが……」

「おう、なかなか、わかっているではないか」


 と、まず関所は通過。とはいえここで通行証も貰っておかないとあとあと、面倒になる。出水は門衛に交渉してこのあたり一帯を支配する太守に話を通した。その際奴隷の美少女3人の存在をほのめかし、太守の欲望を刺激したのは言うまでもない。


 そして半刻ほど。この地の太守アンガス・ボァンが邸に出水たちを召し出した。50歳ほどの中年の壮漢だが、それなりに眉目整った美丈夫。ただしどこか気弱げで、かつ好色そう。ボァン一族は魔術の名門らしいが8年前に端を発する全世界的魔力減衰で家は凋落しており、アンガスも新しい太守と替えられるのではないかと怯えているらしい。その恐怖を酒食で紛らわしているが、民草からは意外と慕われていた。


「……お前が報告にあった奴隷商であるな?」

「ははぁ! 水井典秀と申すでゴザル!」

「で、通行証が欲しい、と。それはまあ構わんが、まずは貴様の扱う『商品』の質を確かめさせてもらわねばな」

 言ってアンガスは殿上を降り、粛々と項垂れ、跪く辰馬、瑞穂、雫へと歩み寄る。


「フードを取ってやれ」

 三人のすぐそばまでやってくると、そう命じた。自分でやらないのはどこかにまだ警戒心があるからか。簡単には信じないらしい。


「あいよ」

 シンタが無愛想に言って三人のフードを引っぺがすと、アンガスは驚嘆に一瞬、呻き、そして次に脂下がった笑みを浮かべた。変装して顔を煤に汚れさせているとはいえ、辺地の太守程度が到底、一生に一度もお目にかかれないような美貌、それが三人だ。当然の反応と言えた。


「ほぉ……う。これはこれは……」

「岳公に献上予定の奴隷どもでゴザル。いかがでゴザルか?」

「なるほど。これなら岳公もお喜びになるだろう。それで……献上する前に、ワシにも少し、余禄があってもよかろう?」

 アンガスの鼻息が荒くなり始めた。瞳が充血を帯び、興奮を感じさせる。


(鬱陶しいし気色悪いよなー、このオッサン……。これだから男はよ)

(たぁくんも大概、男の子だけどねー。……いっそもう、やっちゃう?)

(太守を制し、この町を占拠して内地のガラハド卿を探す、というのもありです。むしろあてもなくラース・イラ国内を捜し歩くより簡単かも。当然、ラース・イラ政府に対して、この町を占領したことは極秘にしておく必要がありますが)


「んじゃ、やるか」

 跪いた状態からさっと立ち上がり、辰馬はアンガスに腕を伸ばすが、アンガスも少しは警戒していた。反応して身をかわし、兵を呼ぼうとする。それなりに優れた身ごなし。が、そこに雫。辰馬がかわされた隙にすでにフォローに入っていたおねーちゃん34歳の身ごなしは太守の身体能力をはるかに上回り、瞬時に制圧。喉を扼して声も出させない。


「って、わけで。このあたりはいまからおれの支配下に入ってもらう」

「……くはっ! な、なにが、というわけだ、賊め! 貴様らなにが目的か!?」

「目的……まあ、人探しっつーかな、友人探し」

「人探し?」

「あんたも名前くらい知ってるだろーよ。ガラハド・ガラドリエル・ガラティーン。世界最強騎士」

「お……おぉう……ガラハドさまの……」

 それまで敵愾心に満ちた瞳で辰馬たちをにらんでいたアンガスの、目の色が変わった。ガラハドの名を聞いたとたん、この男が破滅に怯える好色なだけの小人から、高潔清廉な人物本来のありように立ち戻ったかに見える。


「? ガラハドさんと、知り合い?」

 相手の動揺を敏感に感じ取り、雫が訊いた。この太守はもしかしたら仲間になるかもしれない。


「20年以上前になるか、魔神戦役終結後、まだ大陸に大物の魔族が多く残っていたころだ。このあたりも魔神の襲撃を受けてな……」

 それは世界最強の騎士ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンの人生を彩る冒険譚のなかではそう珍しくもない話。師匠であり当時の騎士団長であったセタンタ・フィアンのもとを辞し、世界各国をめぐって魔神退治に奔走したガラハドが行った英雄的事業のひとつに過ぎないが。ともかくも当時まだ高潔さを忘れていなかったこの太守は支配地一帯を救った英雄騎士に感謝をささげ、いつか恩に報いる時を探していたのだという。


「そうしている間にガラハドさまが投獄され、絶望していたところにその友という貴公らが来た……運命か……」

「あー。しず姉、もう押さえつけなくていーわ。このオッサン、たぶん大丈夫」

「そだねー。あたしもそー思う」

「それで、この町をガラハド卿救出の前線基地とすること、問題ありませんか?」

「うむ。大恩あるガラハドさまに報いるため、このアンガス・ボァン、できることはなんでもしよう!」


 こうして辰馬はボァン河沿い一帯に根を張るボァン一族の協力を取り付けた。ボァン一族は騎士団長ガラハドに対する個人的忠誠はあれど宰相ハジルや貴族院の岳淮といった他国人に対する忠義には希薄だったから、ラース・イラに従順なふりをして裏で歯向かうという行為にも抵抗はなかった。むしろガラハド救出に大いに気勢を上げる。


 逗留して数日。ボァン家の密偵オシァンが持ち寄った情報によれば、

・ガラハドは王都から馬で4日、クーリ・コナハトの町に幽閉されている。

・クーリ・コナハトの町の防衛戦力は約500と少なめ。これは国の英雄ガラハドを幽閉しているという事実を大々的なものにすると反乱が起きかねないとするハジルの判断。

・ただし牢には強力な魔獣やゴーレムが放たれており、救出作戦は相当に危険。

・ガラハドがその実力にかかわらず岳淮やハジルに反抗できないでいる理由は女王エレオノーラを扼されているため。

・女王もまたガラハドの命を盾に取られ、互いが互いを想うために無抵抗の状態となっている。


 おおむね、以上のような話だった。


「つーか、あの宰相がそんな悪人やとは思えんのやが」

「だよねぇ。テンゲリの国も再興できたし」

「まあ、なんか事情あるんだろーけどな。なんにせよ今回は敵になる、ってことか」

「宰相ハジル、か」

「アンガスさん、なんか知ってる?」

「いや、今の彼についてはほとんど知らん。養女がいるということくらいか。が、今あるラース・イラ騎士団を実質的に創始したのは彼なのでな。侮ると危険だろうということだ」

「そこんところ詳しく聞いとくか。どーいうこと?」


 曰く。もともと、ラース・イラ騎士団は神国ウェルスの神聖騎士団から枝分かれしたものであり、その戦法も重装騎兵による突撃一本槍に集約されるところだった。それを、もともとテンゲリの王子であったハジルがやってきて重装騎兵を軽騎兵に替え、突撃前に弓やマスケットによる射撃で敵を十分に痛めつけ、弱らせたうえで快速を活かした迂回突撃戦法を繰り出すという効率主義を導入した。それまでにも銃騎兵や弓騎兵という兵科がなくはなかったが、集団戦における有効な戦術としてそれを昇華させたのはハジルが最初であった。もともと騎馬民族の出身であるハジルは騎兵戦の要諦を心得ており、彼に率いられる騎兵の戦闘力は1騎でなみの騎兵3騎に匹敵するという。


「……オスマンが負けるとも思わんが、一応気を付けるように手紙、出しとくか」

「オスマン皇帝みずから出御、というわけではないかもしれませんしね」

「だよなぁ……」


 書信をしたためて封蝋を施した辰馬はそれをオシァンに渡し、立ち上がる。ハジルとオスマンの対決に後ろ髪をひかれはするが、まずガラハド救出を為さなくてはならない。


「よし、そんじゃ往くか、クーリ・コナハト」

「そだねー♪」

「女王エレオノーラも、救出せねばなりませんが……」

「そっちはガラハド助けてから、だなぁ。いまおれらが向かっても大義名分がない。逆に反徒にされちまうわ」

「そうですね……」

「女王陛下が害されることのないよう、我らが目を光らせておく。異国人にこれ以上、好き勝手はさせんよ」

「助かる。そんじゃ!」

 と、辰馬たちはボァンの町を出立、一路クーリ・コナハトを目指す。


 と、そのころ。


「主上、新羅元帥をこのまま使い続けるのは危険かと」

「ふむ……確かにあの小僧には尊王の念が足りんところがあるが……」

 永安帝をたきつけるのは、一度は失脚した元帥・井伊正直。かつて息子のこと以外では冷静かつ理知的であったその瞳は、憎悪と怒り、そして失った地位を取り戻そうという野心に濁り燃えていた。辰馬に対して含むところがなくもない永安帝も、井伊の言葉に興趣を惹かれないではない。


「元帥の麾下は一騎当千、それにヘスティアの雪王とラース・イラの騎士団長をも心服させ、もし彼自身に野心がなかろうとも」

「あれを担ぎたがるものは後を絶たぬ、というわけか」

「は。彼の力が今以上になる前に討たねば、のちに禍根を残します。どうか討伐の任、この井伊めに」

「ふむ……宰相、どう思うか」

 決めかねる、と暗愚な皇帝は宰相・本田馨紘に意見を求めた。もし永安帝がまだ若ければよかったかもしれないが、すでに60を過ぎた皇帝としては自分の浮薄な息子にしっかりと跡を継がせたく、その座を脅かす存在は排除しておきたい。新羅辰馬という存在は優秀に過ぎるために、要排撃対象だった。


「無用の師。自ら乱を求めることもありますまい」

 そう返す宰相の声には、やや威勢がない。すでに80の坂が見えてきた老宰相は最近、体調を悪くすることが多くなってきた。愛しい娘が結婚してしまったという傷心もあるかもしれないが、すっかり老け込んでしまっている。宰相が以前通りに頑強ならば井伊の復権をそもそも許すところではなかったのだろうが、本田老人も年には勝てそうになかった。


「宰相。新羅元帥はあなたにとっては愛娘の夫ですからな、殺したくはないのでしょうが……」

「黙れ、井伊よ。お主、新羅に戦争を仕掛けて、そもそも勝てるつもりか?」

「……っ!」

 根本的なところを問われて、井伊が言葉に詰まる。井伊は将才において凡庸ではなく、むしろ優秀といっていいが、ラース・イラの騎士団長ガラハドやヘスティアの雪王を退けた辰馬と比べるには値しない。それでも辰馬の能力に対する過小評価と、アカツキ本国から切り離し、大軍をもって押し包めば勝てる、そう思ってはいるようだが。


「貴様のような小物が国を誤るのだ。主上につまらんことを吹き込むな」

 本田はそう切り捨て、そのまま瞑目すると口を閉ざした。井伊は悔し気に唇をかむが、相手の地位を考えて何も言い返せない。


 ともあれ、舞台裏でのこうした動きは辰馬の知るところではなく。ボァンから出立の数日後、クーリ・コナハトに辰馬たちは到着した。


「よし。牢を探して、潜入! さっさとガラハド助けて、いろいろ終わらせるぞ!」

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