第15話 所向無前

 払暁、ヘスティア軍前衛で火の手が上がる。


「突撃する! 1000だけ陣を守って9000で出る! シンタと大輔にも呼応するよう伝令!」

この戦最大の戦機とみて、新羅辰馬がようやく動く。


磐座穣も今度ばかりは止めず、本陣の守備(ラース・イラ軍に対する備えの役)に残る。辰馬の隣に軍師として控えるのは神楽坂瑞穂、そして近衛兵長・牢城雫。


 焔にまかれ、逃げ惑う敵の中を辰馬の清澄な声が劈く。


「突撃―――――――――っ!!」


 どうっ!!

 真っ先に敵中に突っ込む辰馬。普段なら大将の驍勇に驚嘆するほかなく置いて行かれるアカツキ兵は、今日に限っては士気最高潮。主将を死なせてなるかとばかり、追いつけ追い越せで辰馬に続いた。黒い怒濤が一気呵成、敵を飲み込む。


「やははー♪ みんな一騎当千だねぇ♪」

「素晴らしい兵の状態です。よほどご主人さまの行いに鼓舞されたのですね……」


………………

「この時間に火か。なかなか、やってくれる」

 一番、対処しづらいこの払暁にあがった火の手に、ヘスティア皇帝オスマンがさすがに焦慮の色を見せた。深夜ならば警備は厚く、朝になってしまえば索敵網に引っかかって敵をよせつけない。それを夜でも朝でもないこの時間を見澄まして火攻めしてきた敵の手際には、舌を巻くほかない。


 が。


まだオスマンはあきらめない。火の出所は食料集積所とはいえ、後方からの物資が届けばまだ半月程度は戦える。その間にアカツキ勢を押し包んでしまえばオスマンの勝ちである。


「甲冑をもて。余、自ら出る!」

 オスマンの豪放な声が、夜気を払った。奴僕たちが大慌てで金ごしらえの甲冑を持ち寄り、素早く主君の身に纏わせる。

「決着の時だ、新羅辰馬……!」


………………

 ヘスティア兵は火を畏れる。それはヘスティアという国が年の3分の2を雪に閉ざされるという地政学的要因によるところが大きく、火は貴重なものであると同時に畏怖すべきものであった。剽悍なヘスティアの重装騎兵たちが、炎を前にしては弱卒のごとくに怯む。


 その中を、辰馬たちは突撃する! この際火付けという行為もやむなし、進んだ先先でまた火をつけ、新たな動揺を誘い、さらに突進、縦横に斬り立てる。このときハールーンとマンスールの両将軍は、それぞれシンタと大輔の1万に側面攻撃を受けてヘスティア本隊を救出する余裕がない。辰馬の布陣が完璧な形で敵の動きを掣肘し、辰馬隊9000の前に立ちはだかるはヘスティア本軍約30万、そのうち前衛15万程度。


 普通に激突したのならそれでもまだ圧倒的な不利。しかし敵の炎に対する本能的恐怖と、辰馬隊9000の横溢する士気。それらが不利を有利へと転化していた。辰馬は偵察隊を放って先を偵察、敵の弱点を弱点をたどり、たぐって錐の勢いで進撃を続ける。


………………

 オスマンはまず、前衛で崩れたつ3万の切り捨てを済ませる。動揺する彼らを抱えたままではヘスティア軍はいつまでも十全のパフォーマンスを発揮できない。非情ではあるが妥当な判断だった。


 そのうえで、残る12万を集合させた彼は、押し包んで一撃で9000の寡兵を叩くべく軍を機動させる。


 動揺しない大軍に「小よく大を制す」はありえない。進撃を挫かれた辰馬は先行の偵察を収容するとまずは防衛に徹する。敵に包囲されたところ、やりすごしてわずかに下がる。


 ここでこちらがやられたように見せかけるのが、腕の見せ所。功を逸ってオスマンの命も聞かず追撃してくるところに、マスケットを並べて一斉掃射。


 当然、これだけでは氷山の一角を削る程度に過ぎない。


 しかしそこに、辰馬は配下に鯨波の声を上げさせ、また西都から持ち寄った爆竹を無数に戦場に放り込む。音と炎に敵が浮き足立った所に、辰馬直属の3000が敵を食い散らかす! その後ろから長船隊1500、月護隊1500、覇城隊1500が波状攻撃を繰り出し、敵を押し返した。


 辰馬はここでいったん下がるが、敵の機先を制したことで勝てる、そう誤認した将軍格三人はそのままの勢いに突撃を続け、結局敵を抜けずにピンチに陥ってしまう。ここを抜かれては、とオスマンも必死であり、今度は向こうのマスケットが火を噴いてこちらに損害を強いた。この接戦で月護孔雀准佐、負傷。


 辰馬は月護隊救出のためやむなく再度前進、マスケットの射撃から踏みとどまっての白兵戦を3度繰り返し、敵を蹴散らす。


 ここまでアカツキ勢の損害は数百、ヘスティアの死傷者5万近く。とはいえなお10万近くがオスマンの直属として残ることは変わらない。


………………

 その頃、晦日美咲は書簡を携え、馬を飛ばして旧桃華帝国帝都に向かう。訪ねるべき相手はヘスティア宰相ムーサー・イブラヒム・パシャと、皇妃シュテファン・バートリ。従軍宰相ラシードと双璧を謳われる人物と、辰馬と個人的親交のある皇妃を狙い撃ちで、皇帝の親書を偽造した神楽坂瑞穂と磐座穣は「皇帝の名により」停戦交渉に持ち込むつもりであった。とはいえそれを成功させるためには少なくともあと数日、敵に対して優位を続けなければ話にならない。


………………

 再び。辰馬は敵先陣と激突。意気盛んな敵をいなすと後続の後衛と激突、これもやりすごしつつ、自軍の先陣と後詰めで敵先陣を挟み討つ。そこを敵後衛が襲うと辰馬は予備兵を一気に投入、これをさんざんに打ち破る。あたかも修羅のごとき新羅隊の戦いぶりに、オスマンも自陣が崩れないよう手綱を握るだけで精一杯であった。


 十分に戦った確信を得て、辰馬は整然と退く。戦術の出番はここまで、あとは戦略の領分であって辰馬のよくするところではない。


 以後1週間ほど、散発的な軍事行動が両軍の間に続き。


 7月に入り、初夏の熱気になれていないヘスティア兵の士気が下がったところに、皇妃シュテファン・バートリがトルゴウシュテ軽装騎兵2000をつれて戦場にやってきた。


 そこからはとんとん拍子に話が進む。シュテファンは10倍の兵を持って敵を圧伏できなかった時点で負けであり、さらにはこの先の時期、士気は低下するばかりと皇帝を説き伏せ、ここにアカツキ・ヘスティアの不戦条約が締結されることとなる。条約締結は西都政庁白虎の間で行われ、ヘスティアとアカツキの国境は旧桃華帝国を南北に二分することで合意となった。


………………

「久しいな、新羅公」

 和平がなると、オスマンは気軽に言って辰馬に握手を求めた。辰馬としてはよくもやってくれた相手ではあるのだが、どうにもこの皇帝を憎むことが、辰馬には出来ない。


「あー。もうあんたとやりたくねーわ。8年前と言い今回と言い、めっちゃ疲れる……」

「よく言う。貴公に余と同数の兵力があれば問題にもならなかったはずだ」

「そりゃわからん。おれは大軍動かした経験ないから。もしかしたら大軍の運用には才能、ないかも知れんし」

「……ふむ。では、試してみるか」

「?」


 そうして、辰馬とオスマンの親善模擬戦大会となり。

 チェスと将棋で3戦ずつ。


 将棋では辰馬の2勝1敗、チェスでは1勝2敗。


「……やはり見事だよ、貴公の頭脳は」

「そーか? 瑞穂とか磐座の方が強いけど?」

「彼女らは軍師だからな、相手が悪いだろう。しかし実戦ならば貴公の冴えが勝る局面も多いはずだ」

 オスマンの言葉にうなずく、瑞穂と穣。辰馬は「そーかねぇ?」と呟きつつ、釈然としない顔。辰馬の中では自分と言うものが、そこまですごい認識がない。


「そして。余は大陸制覇の野望を捨てる。かわりに貴公の大陸統一のために、力を貸すことをここに誓おう」

 ヘスティア皇帝オスマンは辰馬の膝下に跪いた。随行のヘスティアの文武官たちが、慌ててそれに倣う。


「……、……、……は?」

  ばちくりと、目を瞬かせる辰馬。10年前から多少は大人びた辰馬だが、こうなるとやはり少女らしいかわいらしさが露呈する。


「貴公とて大陸統一の野心くらいあるだろう?」

「いや、ないけど。まったく」

「……ふむ。では、しばらくはそれでも良い。が、貴公は必ずこの天下風雲を治める男。その時が来たなら余が自らはせ参じよう」

 オスマンはこの時点で辰馬にアカツキからの自立を使嗾しているわけだが、辰馬にそまだそこのところがピンとこない。永安帝になんの義理もないが、だからといって裏切る理由も必要もない。


「はあ。まあ、なんでもいーが。おれって国に雇われてるだけの人間だぜ?」

「貴公はそこに満足できる人間ではないよ。世界がそれを許さん」

「うーん……、買いかぶりだと思うけどな……」


………………

…………

……

 こうしてヘスティア軍は旧桃華帝国帝都に撤退。北東を押えられる形のラース・イラとしては彼らをヘスティア領まで押し返したいところだったが力でヘスティアを圧倒できるわけでもなくそこは沈黙し、三国掎角の勢による大戦は終結した。


………………

1826年夏八月。旧桃華帝国領の経略を呂燦、戚凌雲師弟に委譲した辰馬は一時京師太宰に帰還。帰還するや皇帝・永安帝に呼び出されて大目玉を食らう。自分の経歴に大きな泥を浴びせた相手であるハジルを永安帝はいまだに深く恨み憎んでおり、天下の誰と和平するとしてもハジルとだけはあり得ないと喚く。当然、辰馬としてはあの場合あれ以上の手はなかったわけだし、テンゲリの民に対する永安帝のやりようを考えると帝よりハジルの肩を持ちたい。

「文句あんなら自分で戦ってこいや!」

と、皇帝を一喝、皇帝と元帥が取っ組み合いの大げんかとなり、永安帝が城兵総出で辰馬をねじ伏せようとすれば、辰馬傘下の上杉、朝比奈、出水、それに加えて月護、覇城、さらに新規参入、明染の6将がこうなれば皇帝を弑してでも主を救おうと京城・柱天に入城、大乱闘の修羅場となりかかったところを宰相・本田馨綋が一喝、双方を分ける。が、これがのちにアカツキを新羅派と皇帝派に割る遠因となった。


 この時点でのちのち、自分が皇帝を打倒して新帝になるとは夢にも思わない辰馬だが、このとき吐いた「お前なんか存在するだけ迷惑なんやからな、老耄(おいぼれ)! 大概ンせぇよ!」という台詞はのち、簒奪の野心を大いに疑われることになる。


これだれ反目し合いながらも新羅辰馬を廃せないのはアカツキ将軍府の人材不足があった。永安帝は自分の役に立つ人材を見抜く目だけは確かだったから、辰馬のことがどうしようもなく嫌いではあっても、戊辺のかなめとしての辰馬の能力に関しては至当に評価した。それはまた永安帝得意の人気取り政策という理由もある。若く美しい救国の英雄をうっかり廃せば、皇帝の権力が揺らぎかねない。


この夏、知行割が行われ、「100万石の実力」を謳われる新羅辰馬には40万石。120俵扶持から破格の大身へと栄達。


「よーし! やっとみんなに報いれる!」

意気揚々と言ってのける辰馬は気前がいいというか一種のバカで、自分の股肱というべき連中にバンバンと禄を分け与えた。呂燦4万5千、戚凌雲2万、上杉慎太郎1万、朝比奈大輔1万8千、出水秀規1万2千、月護孔雀8千、覇城瀬名8千……この時点ですでに俸禄10万石を超える。1000石とり以上の侍大将もごろごろいるわけで、最終的に辰馬自身に残る禄は2万石程度という、なんともわけのわからないことになったが本人はまったく意にも介さない。むしろ鳳祥の大戦を潜り抜けた勇士たちに報い切れていないとすまない顔をするくらいである。


そして「征桃公」の称。「桃華帝国を征服した公」の意で征桃公。かくして名実ともに「新羅公」としての地歩を固めた辰馬がやったことは、結婚式だった。これまで内縁だった妻たち、神楽坂瑞穂、牢城雫、磐座穣、晦日美咲、北嶺院文の5人と、ながらく先延ばしになっていた華燭の典をようやく、上げることになる。

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