第14話 卒を見ること嬰児のごとし

 明染焔参陣を大いに喜んだ人物と言えば厷武人である。往時の先輩であり師匠である焔が辰馬の麾下に参じたと聞いた彼はすかさずはせ参じ、火計の決死隊の話を聞くや自らもそこに志願。しかし厷はすでに数千の人間の命に責任を持つ近衛兵長であり、新羅辰馬元帥の御身を守る身。決死隊参加は辰馬が単騎で敵中に突っ込むのと同じく推奨されない。却下された。


「ならば戦陣の働きで先輩を支援するのみ!」

 厷武人はそうして意気を上げ、隷下数百をもって敵中に突撃、敵の気勢を削ぎ、これをわずかに退ける。そこに辰馬の指揮する2000が追撃、戦果を拡大し、敵に犠牲を強いるも……やはり数千数万を倒したとて氷山の一角を削るに過ぎない。このままではこちらが先にすりつぶされる、という中で明染焔はたらふく飯を食い、牢城雫に会って、結局は上ずって会話ままならなかったが幸せ気分で敵中に突撃。率いるはわずかに数人だが、その左右には竜の巫女イナンナと竜魔女ニヌルタの姿がある。難を避けつつやむない戦いでは敵を圧倒しつつ、無事敵陣に潜入した。


「……つーわけで。なるほど、わかりやすいな。これやったら食料集積所? もすぐわかるやろ」

「そうですね。けれど油断は禁物です」

 ローブのフードを目深にかぶり、焔を窘めながら竜翼と尻尾を隠すイナンナ。


「姉さんは心配性ねえ。あたしたちを害せるような存在がこの地上にそうそういるとは思えないのだけれど?」

 こちらも同じように角と翼と尾を隠し、こちらはどこか楽しげな様子のニヌルタ。いるとは思えない、そう言いつついるものなら出てきてみろと言わんばかり。実際、創世女神グロリア・ファル・イーリスがまだ健在であるこの世界において、女神の加護を失っていない位彼女ら竜種の神力は絶対的なものになっている。もとから塵絶な力を誇ったニヌルタの魔力に対抗しえるものは地上にほとんどなく、退屈を持て余していたというのが実情。現状のアカツキの窮地も、ニヌルタにとってはちょっとしたスリルでしかない。


「そないことゆーてると、実際えらいのが出てきたりすんで」

「出てきてほしいわ、むしろ」

 焔の言葉にも平然とそう返すが、焔とイナンナもかなりに放胆ではある。48万……直接戦線に出ることができるのは一度にせいぜいが10万、全軍が一度に猛襲とはいかないわけで、そのおかげで辰馬たちはなんとか凌げているが……、その中を冷や汗もかかずにすり抜けていく時点で尋常の神経ではない。焔たちは後方の食料集積所を目指し、歩き出した。


………………

 開戦から半日、新羅辰馬の陣にポイントAから上杉慎太郎とポイントBから朝比奈大輔が参陣。側面からヘスティア軍に襲い掛かる。突如側翼からの猛撃は辰馬が当初狙った通り、一面を狙って突撃してくる敵に「三つ首竜の残り二首」からの痛撃を与えることになったが、なにぶんにも敵が重厚すぎる。1万ずつの側面攻撃で、数十分交戦して与えられるダメージは800~2000。こちらも相応の損害を受けることを考えると深追いすることもできず、彼らは側面からの威嚇を維持したまま膠着状態に入る。


「とはいえ。これで一息つけるな。みんなお疲れ」

 辰馬は水筒からコップに水を注ぎ、くいと呷る。祖父・牛雄の教えに曰く、「水も受け付けないほどならともかく」だが、まだ神経はやられていない。まだやれる。


「この状況を覆すには。ヘスティアの後方に乱を起こすしかありませんね」

 唇を舐めて渇きを癒し。磐座穣が口を開く。戦場戦場ごとにおける「戦術」で穣が神楽坂瑞穂に勝ることはないが、そうした「戦略」は穣のお家芸。


「火計も必要ですが、そちらは明染氏のチームに任せるとして。神楽坂さん、ヘスティア公用語の筆跡(て)は?」

「一応、少しは……。けれど大した筆跡は書けませんよ?」

「2人ぶんで大丈夫です。ヘスティア皇帝オスマンと宰相ラシードの筆跡。文面はわたしが考えます」

「……そこはわたしも考えます。わたしだって、ご主人様の軍師ですから!」

 珍しく、穣に対して対抗意識を見せる瑞穂。辰馬への貢献度をもって自らの存在意義としている瑞穂にとって、最近、軍師の役の上で穣に押されっぱなしなのは我慢できないところだったらしい。瞳が炯炯と燃えた。


「……そのへんは軍師2人に任せるとして。策が結実するまで、まずはすりつぶされずに凌ぎつづけにゃならんからな。牛つぶせ! 酒も出せ! 全軍に食えるだけ食わせろ! 生き延びたら金はいくらでも、だ!」

 立ち上がり、全軍に向けて通達する辰馬。こんなとき全軍を振るわすスピーチができればよかったのだが、それは新羅辰馬という青年の能力ではない。どちらかというに剛毅朴訥が辰馬の持ち味であり、それゆえに雄弁家たりえなかった。


 牢城雫を伴い、陣中を見舞って歩く。その途中。


「うぅ……ぐあぁ……ああああああああああああああああああーっ!!」

 なにやら、この世の終わりかとも思うようなうめき声。


「? どーしたー?」

「げ、元帥。それが……」

 数人の兵が一人を押さえつけていた。その、押さえつけられている男の肘が、青じみた紫……というより、どす黒く変色していた。


「……毒矢か」

 久しぶりに毒を見た気がする。神聖魔術、というものが珍しくなったことで毒による致死率は上がっており、またこの毒は稀に見る劇毒。おそらく放置すればあと数時間のうちに、この兵士は死ぬ。


 そうとわかって、周囲の兵たちは傷口に口をつけて毒をすすってやる、その勇気がわかない。ならないのがふつうである。巻き添えで死にたくはないし、死ななくても唇を焼かれ顔が壊れるかもしれない。


 そんな中を。

 新羅辰馬は。

 なんの衒いも気負いもなく、平然、当然至極に兵に近づくと、息をするように自然に傷口へと口づけた。


「へ?」

 口づけられた兵士からしてが、何事かわからず呆けた声。辰馬は相手の反応など意にも介さず、傷口を吸う。吸い、啜って、ぺっと吐く。もう一度、口をつけ、また啜り、毒を含むとまた吐く。


 それを何度繰り返しただろうか、兵士の顔色は徐々に回復の色を見せる。もとの傷はそこまで深くなかったから、この具合なら元通り兵卒として戦うこともできるはずだ。


「あ……ありがとうございます、元帥! 元帥は命の恩人、いえ、父親同然です!」

「いいってことよー。んじゃ、見回り続けるか、しず姉」

「ほーい♪ たぁくんにもらった命、無駄に散らしちゃダメだよ~?」

 と、何事もなかったようにその場を去る。元帥自らが、死毒の危険を冒して一兵卒を毒から救う。この献身に、兵士たちは感激の涕を流した。この話はたちまち全軍に巡り、甘い媚毒のように彼らの魂を炙る。結果として1人の兵を救うことで、辰馬は全軍にスピーチする以上に雄弁な結果を手に入れてのけた。


「新羅元帥のために……この命、いつ擲っても怖くはない!」

「おう! 元帥のために!」

「新羅公に勝利を! アカツキに平和を! 万歳!」

「「「勝利! 平和! 万歳!!」」」

 このどよめきが、鳳祥の天地をどよもすほどの大音声となる。そこに襲い掛かったヘスティア軍先遣2万は、運が悪かったというほかはない。たちまちに押し返され、蹴散らされるヘスティア勢。辰馬の献身はただの兵士をことごとく天兵、ヴェスローディアの言葉でいうならエインヘリヤルに変えていた。


………………

「……ほう?」

 ここまで悠々と、計算通りに作戦を進めていたオスマンがわずかに片眉を上げる。ここにきて2万が瞬殺される要素はなかったはずだが。


 ハールーンとマンスールを見遣る。明らかに名誉挽回のチャンスを望んでいるマンスールだが、この男を使うのは危険だ。この猛将は勝勢のときはとてつもなく強力な突破力を誇るが、やや視野狭窄で頭に血が上りやすいところがある。ここで繰り出すべきは冷静沈着なハールーンだろう。


 オスマンが定石通りに考える人間ならそう決し、そして意気軒高な辰馬軍に撃破されたかもしれない。


 が。


「マンスール。行けるか?」

「は! 羅関敗戦の罪、自らの功績で償って見せます! わが君は偉大なり!」

 オスマンという男は直観を信じる。冷静に定石通りの作戦では勝てないことを、肌で知っているといってよい。そうして突撃に出たマンスール隊8万は最初こそ辰馬勢の威力に押されたもの、失態を重ねるわけにいかぬ、風雲叱咤の驍将が声をからして突撃を重ねると、もとの兵力差で新羅勢に押し勝ってのける。


………………

「さすがに。士気が上がったから、って押し切れる相手でもねーわな。つーても今の士気が上がってる状態で守勢に回るべきじゃーねぇか。長船、月護、覇城、1500ずつで」

「了解しやした」

「承知です!」

「いいでしょう」

 瑞穂が作戦中で動かせない、シンタ、大輔、出水の腹心3バカもいない。である以上は、この3人が辰馬に動かせる最強の切り札ということになる。


「ラース・イラ騎士団も忘れないでくれよ、新羅公?」

 ガラハドはそういうが。


「あんたはそこにいてくれていい。つーかそこにいてくれないと困る。6万が後ろに控えてるってのがあるからオスマンも全力では攻めてこねーし、そこを抜けられると一気にヘスティアが突っ込んでくるからな」

 辰馬はそう答えてラース・イラ勢の過分な介入を拒否。このセリフは事実ではあるが、戦後、条約締結の際宰相ハジルに付け入る口実を与えないためでもある。なんといってもアカツキ軍は総勢で3万、ラース・イラ軍6万の半数に過ぎないのだから。


「なるほど。なかなか、よく見ている」

 ガラハドも辰馬の心底を見抜いたのか、かるく微笑むと無理に戦場に出ようとはしない。このあたり、二人の名将の間には所属する国家を超えた絆が育まれつつあった。


 戦場を支配し続けるマンスール隊に、辰馬はまず本陣5000を布陣。敵が右翼に重点を置いているのを見て、長船言継、月護孔雀、覇城瀬名の三人を左翼に1500ずつの三枚で布陣。


 敵ががら空きの右翼に攻撃してくるのはいなし、さばき、はじき返してひたすら凌ぎつつ、左翼1番長船隊で敵の薄い左翼に突撃、錐のように穴をあけ、さらに左翼2番月護隊が穴を広げる。その後ろから3番覇城隊の突撃が、戦果を決定的なものにする。


 マンスールも左翼をぶち抜かれたことに気づくや迅速に対応したが、そこは辰馬のほうが速い。本陣を動かして敵のほころびに乗じ、縦横に斬り立てる。


 それでもマンスールは不屈。かくなるうえはひたすら堅忍不抜に徹し、突出せずに後方からの救援と支援を待つ。兵力不足である辰馬は深追いできず、決定打を与えきれぬままに引き上げるほかない。


「猪かと思ったら、あいつもなかなかやる……名将ぞろいだな……」

 殺戮の血臭に悪酔いし、吐き気を催しながらも言っている場合ではない。辰馬は奥歯を食いしばり、次の手を考える。


………………

 両陣対峙のままに、一日が過ぎて翌日払暁。ヘスティア軍前衛の食料集積所で、火の手が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る