第13話 天雷披露
ヘスティア本軍ついに動く。このうえは皇帝オスマンは兵力の分散を行わない。一点集中をもってこざかしい敵を粉砕する構えである。
ヘスティアの軍制は10という単位からなる。まず10人隊、10人隊が10個集まって100人隊、100人隊が10個で1000人隊、1000人が10個で万人隊。彼らはこの10を基本とした軍制により、大陸のどの軍隊より迅速で整然とした結集、分散を可能とする。
また、旗とかがり火と指示をもった騎士による伝令システム。かつてなく信頼性と効率に秀でたこのやりかたは奇しくも第2次魔神戦役の頃、新羅辰馬がやってのけたことに始まるが、オスマンはこの手法が最も早く最も正確に命令を伝達しうることに着目、大軍を一人の指揮官のもとに統御することにおいて、大陸におけるほかの軍隊のどこより……新羅辰馬本人以上に……も洗練された伝令システムを完成させるに至る。
軍駐屯地(オルド)のシステムも、他国の軍の屯所が乱雑な形で展開され、混沌を極めるのに対し、ヘスティアのそれは軍旗にそって整然と展開される。食料の場所、軍医の居所、将校の寝所、武器置き場、それらは整然とシステマティックに配置され、兵士たちは自在にそれら施設を訪れることができた。
広大な国土ゆえ東西南北、出身地ごとに異なる言語を、統一させたのもオスマンの功績である。言語の統一は迅速な意思の疎通をもたらし、また意志の統一をもたらした。
この、凄絶なほど戦争に特化したシステムにより強化された40万の鉄騎が、ハールーン隊8万と合し約50万でアカツキ、ラース・イラ連合軍約10万に向かうーーー!
「さあ、往くぞ、新羅辰馬。いざ、雌雄を決する時だ」
皇帝オスマンは馬上金の盃を弄び、そうつぶやく。宰相ラシードは帝王自ら陣頭に出る悪癖をいさめたく思うものの、止めて聞く相手ではない。なにより、かの皇帝に率いられる兵士たちの意気軒高を見れば諌止するなど無粋の極みというもの。
途中障碍に阻まれることなく、帝王の軍はハールーンが攻めあぐねて結局、勝敗をつけることを避けたかの地点にたどり着く。
遠望するなり、皇帝は、
「直進」
迷いもよどみもなく、断言した。新羅辰馬が守る中翼、ここが一番兵力に薄い。50万の兵力があれば、三竜頭の東西両側面から支援が届くより先に中翼を殲滅可能。オスマンはそう確信し、前進命令を下す。半刻とせず、アカツキ軍の先陣が姿を現す。
このとき指南車に乗り、アカツキ軍の陣頭に現れたのは神楽坂瑞穂と晦日美咲。女相手と言ってヘスティア軍に容赦も油断もない。必殺の征矢を嵐のように射駆ける。しかしこの矢嵐は女神の加護でもあるかのごとくに遮断され、瑞穂にも美咲にも当たらない。
瑞穂は指揮杖を掲げ、一声、叫ぶ。
「侵略の師、許すべからず。ひとつ天雷、披露仕ります!」
瑞穂の言葉と同時にカッ、と天が瞬き。
どぉん、と雷が落ちた。
「神聖魔術!?」
「そんな、馬鹿な!? もうあの規模の神術を使える人間は大陸にほとんどいないはず……!?」
まさに突き進むその目の前に、狙ったかのように直撃した天雷に、ヘスティアの兵たちが浮足立つ。いまの雷はもとより神術の瞬きではない。神楽坂瑞穂に雷霆を操る権能はないし、彼女が今手にするのは磐座穣の神杖万象自在<ケラウノス>でもない。なんとなれば瑞穂は今天文と気象を呼んで自然に落ちた雷を「導いて落とした」ように見せかけているだけのハッタリ。彼女らは神力を持たない敵に、自ら身に備える当然の能力であろうとそれを行使することを良しとしない。とはいえこのハッタリは面白いくらいに強くヘスティア兵を揺さぶった。
これで自壊してくれればなにより。
だが。
「なるほど、天文学と気象学、か。狼狽えるな」
皇帝オスマンの特段大きくもない声、それだけでヘスティア兵40万は動揺から立ち戻る。
「面白い余興ではあったが。そんな揺さぶりは余には通用せんよ、アカツキの姫。貴卿の勝機は初手の雷をわが軍に当てることであったが、貴卿の矜持がそれを良しとしない時点で無為であった」
「……であれば、これはどうですか!?」
瑞穂が再び指揮杖を掲げる。すかさず沸き起こる兵戈。神雷のパフォーマンスで幻惑し、その隙にアカツキ勢1万(ほか2万はポイントA、Bに1万ずつ)のうち2000が敵先陣の後方に回る。最初から瑞穂の狙いはこちらだった。
斬り立てられ、潰走したかに見えるヘスティア軍先陣。しかし傷を受けた先陣はただちに後方と入れ替わり、もとどおりになってしまう。
「それで終わりなら、退いてもらおう。余に夫人を殺す刃の持ち合わせはないが、退かぬとあらばしばらく営倉に入ってもらうことになる」
「……っ、退きます!」
瑞穂が撤退を指示。整然と下がる2000を追おうとするヘスティア兵だが、その鼻さきにラース・イラ騎士団長ガラハド率いる3万が突撃。軽く敵陣を牽制し、瑞穂隊を援護して下がる。
「お疲れ、瑞穂」
「お疲れ様です、神楽坂さん」
「はい……お役に立てず、申し訳ありません……」
帰陣後、辰馬と穣のねぎらいに瑞穂は深々と頭を下げる。
「いやー……ええと、晦日?」
「はい。近くに密偵・間諜の類はいません」
「そか。なら……わざと負けたふりってのも、気分いーもんじゃねーよな。悪い」
「いえ……擬兵の計でなかったとしても、わたしがなにかできたとは思えません」
「擬兵じゃなかったらそもそもやらせてねーわ。だからこれでいい」
「それで……新羅はやはり一気駆けですか?」
「そーだな。出来るだけ敵を図に乗らせて、驕りを撃つ」
瑞穂がわざと負けて見せたのは擬兵。敵を勝ちに驕らせ、調子に乗せて、冷静な思考を奪いその驕りを撃つ。瑞穂がわざと負けることでオスマンを驕らせ、防備を緩くさせて辰馬が単騎で敵中に潜入、オスマンと決着……のつもりではあったが。
「驕らせてしかして撃つ。それはいいのですが、元帥の策とは思えません。そういう仕事は部下に任せて、大将たるものはどっしり構えるのも仕事ですよ?」
「とは、ゆってもな……。おれよっか腕が立つ人間ってしず姉くらいしかいねーし、おれはしず姉を刺客に使うとか無理だぞ。気が狂うわ」
「わかっています。なにかほかの手を考えます」
穣はそう言ったものの、手品の種がそう次々と思いつくものでもない。彼女の得意分野は戦術ではなく戦略であり、今回のような「戦術の連続が戦略的勝利につながる」状況は得意ではなかった。
「新羅君」
瑞穂、穣の前を辞した辰馬に、声をかけたのは北嶺院文。一時的に視力を失っているとはいえ、光を映さないその瞳が理知の光を損なうことはない。
「おー、会長。てゆーか、一人で出歩いちゃダメだろ、あんた目ぇ悪くしてんだから」
「もう覚えたわ、このあたり。それより……」
「出陣は許可できんからな」
「ええ。今回は出陣歎願ではないわ。新羅辰馬、ヘスティア皇帝オスマン、ラース・イラ騎士団章ガラハド、この中に入って自分になにほどのことができるか、うぬぼれるほど馬鹿ではないもの」
「ならいーが。んじゃ、なに?」
「傭兵を使って、敵の兵站を焼こうと思ってね」
「傭兵なぁ……そんな都合よくいくかな……」
「うまくいくと思うわよ。ちなみに、この人が支援者。梁田篤さん」
「お久しゅうございます、若君。あれから10年、わずか10年いとうべきかもう10年というべきか、あなた様は大きくなられた……」
感動の涙すら浮かべ、登場したのはドレッドヘアに三白眼、太り肉の初老の男。人相風体はガラの悪そうな風だが纏う雰囲気がどこか高雅なのは彼の出自ゆえか。伽耶家(新羅家)の古い家臣の血筋、梁田篤。のちのアカツキ、赤龍帝国海軍元帥。
「あー、おー、おー……。久しぶり。あれからどーしてた?」
「店を大きくすることに奔命しておりました。おかげさまで、アカツキ屈指の富商と言われるまでになりました」
「へー……まさかホントに再会する時があるとは……」
「私はなにがあろうと若君……新羅公のもとにはせ参じる、そう心に決しておりました」
「そか。ならもっと早くこっちから呼びゃあよかったかな……。で、アカツキ屈指の富商が推す傭兵って?」
「若君もよく知る相手にございます……入りたまえ、焔!」
「焔……? ほむやん?」
「おー、せや。つーかオレの出番遅ない? 最後に辰馬と絡んだのいつやっけか……」
ゆらり、210㎝140㎏の巨躯をゆらして入ってくる、すだれ髪の壮漢。剽悍な体躯と強悍な顔立ち、炎の熱気をまとうその男は久しく会うことのなかった知己との再会だというのに感情を揺らがせることなく、静かに燃える。明染焔、のちのアカツキ……赤龍帝国大元帥。
そして北嶺院文は辰馬の妃の一人に数えられるゆえに途中で軍役を退き元帥位につくことはなかったが、大陸唱覇戦争における貢献度からいえば二人に劣らぬ名将。皇帝・新羅辰馬も合わせて空前の名将が勢ぞろいであった。
「まず、ヘスティアのオルドに間諜を放ち、裏切りを約させます」
「裏切るか? 相手オスマンだぞ?」
「10人いれば1人や2人は。利につられるものがいるものです」
懐疑的な辰馬に、梁田は断定気味に言う。これは梁田が正しい。人間、何処までも高潔にはできないのだから、揺らぎや油断、慢心や驕りは誰の心にもある。金という道具はそれを露骨にさせる作用を持つ、という説明は辰馬に感銘を与えることはなかったが、理解させ納得はさせた。
「そして、この裏切りを約した連中の手引きで、明染傭兵隊長以下がヘスティア陣に。食料集積所に火をつける」
文が言葉を継ぎ、
「で、オレら5人が暴れてくりゃえーんやろ。ちょろい仕事や」
焔が受けた。
「これで敵が混乱すればそこに乗じて突撃。オスマンの強烈な統率力で混乱は防がれたとしても、敵の戦力を大きく削げることは確か……という作戦なのだけれど」
自信満々に、文が結んだ。失敗の確率はかなり低い。混乱、が必要なら困難なミッションだが、食料を焼くだけなら、大金を使って金の魔力に屈しやすい相手を選ぶのなら、失敗する方が難しい。
「んじゃ、頼むわ。二人はこれから、おれの陣中に入る?」
「せやな。雫さんにも会いたいし。帰ったら辰馬の武将ンなるわ」
「私めは一定の距離を。独立した商人としてのほうが、お役に立てることもありましょう」
「わかった。そんじゃ、諸々任せる!」
「新羅! 手を思いつきました、火です! 敵のモラルが低い兵を調略して、食料集積所に火をかけさせます!」
わずかに遅れて、正面の敵から思考を解放した穣が文と同じ結論に思い至る。軍師のお墨付きをもらって、辰馬の中で火計の信頼度はさらに上がった。
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