第12話 陸に上がった鯨を屠る

 新羅辰馬率いるアカツキ軍は4万と少し、しかしラース・イラ軍を合すればヘスティア軍を大きく上回ることになる。これなら勝てる、そう思えた矢先に。


「わたしは引き上げさせてもらう。あまり長い間、国元を留守にするわけにもいかんのでな」

 ラース・イラ宰相ハジルはそう言った。北のエッダは北西ヴェスローディアと交戦中、西と南西のクーベルシュルトとウェルスは同盟国とはいえ、南のクールマ・ガルパがどう動くかわからない。加えて若き王女は統治者としてカリスマは十分だが、老獪な政治力で貴族院を封じる力には欠ける。どうしてもハジルと40万の兵はここから帰国せざるを得なかった。


「まあ、しゃーねえ。それでもガラハドの軍が20万近く。まだ向こうより数で勝る」

「兵力は優勢かもしれんが。正直なところヘスティアの重装騎兵に直撃では、わが騎士団も厳しい」

 辰馬の言葉に、ガラハドが腕組みして返す。ラース・イラの切り札である騎士団だが、その主力は軽騎兵。騎士のみならず馬まで重甲に身を固め、集団で方陣を組んで突っ込んでくるヘスティア重装騎兵を押し返すには、根本的なところで力が足りない。機動力を活かして長駆敵を衝く、瞬間突破力の勝負ならラース・イラ騎士団に勝るものはないのだが。


「食糧の問題もありますよ、元帥。我が国の糧秣で二カ国軍の兵を養うには限度があり、いつまでも20万を抱えていてはかえって軍が自壊します」

 穣が、やや他人行儀に言った。侵攻して占領して、それで終わりならともかく、継続して駐屯を続けるための食料の蓄えは両軍ともない。穣が結論として出した、西都に残せるラース・イラの兵力は6万が限度。合算して10万、これでもぎりぎりといっていい。


「ごしゅじ……元帥閣下、こちら戦闘が予想されるポイントの地形図です。ヘスティア軍は南北2路から平原地帯を通って進軍中、あと8日ほどで西都に到達すると思われますが……どうしますか?」

 これは瑞穂。戦略の穣、戦術の穣という分業制はふたりのなかでぴたりとはまっている。とはいえ西都防衛戦のときのような緊急事態には、ふたり双方がどちらもをこなすのだが。ともあれ双翼の軍師の存在はありがたい。辰馬は地形図を見て、南路にちょっとした沼沢地帯がひろがっているのを見つける。大きくはない湿地帯だが、おそらく今の雨期で湿地は沼に変わっているはず。ヘスティア重装騎兵を邀撃するにこれ以上の地形はない。


「ガラハド」

「ああ。沼沢地帯に重装騎兵を誘い込んで、敵が足を取られた所を撃滅、か。なかなかいい手だ」

 さっと地図を見せるだけで、ガラハドは辰馬の意図を察した。さすがに世界最強の騎士、先日の水攻め着想と言い、戦術家としても秀逸だった。


「そんじゃ、ラース・イラ6万はそっち……羅関で。あとは北路だが。こっちはどーすっかな……? 西都に籠もってちゃあどーにもならん、この城郭かなりボロくなってるしな」

 辰馬の頭の中に籠城戦の構想は最初からない。籠城してもこの城郭では支えきれない、というだけの話ではなく。民を巻き添えにして城に籠もる、という概念が辰馬の中にはそもそも希薄だった。それはこれまで野戦の決戦で常に勝利を勝ち得てきたという自信と、もしかしたら野戦で自分は負けないというかすかな驕りもあるかもしれない。


「重装騎兵、ラース・イラ騎兵ほどには俊敏じゃねーよな……平地に野戦陣作ってる時間、いまからあるか……?」

「ラース・イラの工兵部隊を貸そう。彼らの手並みは実証済みだ」

「助かる。そんじゃ、西都には呂燦と戚の1万残して……3万2千で打って出るぞ!」


………………

 6日後。南路、羅関。

「なるほど、いい具合の沼になっている。この地を扼すことができたのは、新羅公の慧眼だな」

 ガラハドは辰馬の慧敏に唸りつつ、配下の兵たちに指示を飛ばす。これだけ地形に恵まれて、敗北するわけにもいかない。まずは沼沢地を見下ろす丘に陣を敷き、間諜を飛ばして逐次敵の動きを探る。ヘスティア軍がこちらを警戒して迂回するならなんらかの手を打つ必要もあろうが、その必要はどうやらなかった。


………………

7日目。面前に現れたラース・イラ騎士団、その象徴とも言える世界最強騎士の姿に、ヘスティア将軍マンスール・イブヌル・ワッカースの気は逸った。かの騎士を倒せば、その名の誉れは自分のもの。となれば誘いとわかっていても、追わぬ訳にはいかない。


「かの赤き騎士を討ち取る! 我が君は偉大なり! 続けえぇ!」

 猛将然としてそう吠えるが、当然、マンスールとて驍勇のみで元帥位を手に入れた人間ではない。勇あり知謀あり、その結果として今がある。突撃しつつも周囲に気を配り、罠を探った。当然間諜も飛ばした。にもかかわらず術中にはめられたのはやはり、ガラハドの知勇がマンスールのそれを上回ったからに他ならない。整然とした一糸乱れぬ突撃を敢行したはずのヘスティア軍は初撃で元帥の期待に不可分なく応える成果を上げたが、そこからの追撃戦で巧みに誘い込まれ、いつの間にか決してここには足を踏み入れない、そうわかっていたはずの沼沢地帯に誘い込まれる。


 そしてこのとき、いったん引き下がってヘスティア軍を誘い込んだラース・イラ軍は丘の上に上がっており。


「相手は陸に上がった鯨だ。突撃―ッ!!」

 ガラハドが叫び、佩剣を振り下ろす。次の瞬間、瞬間における突破力で間違いなく世界最強の赤き騎士団が、ヘスティアの漆黒の重装騎兵隊を打ち崩し、粉砕した!


初撃にして数千という大損害を与え、その後の追撃で1万、2万とダメージを重ねる。ガラハドは残忍な気質ではないが、この戦い、意図的に敵に対して残忍に徹した。二度とこちらを攻める気が起きなくするためには、どうしようもなく完璧な形での敗北を味あわせる必要がある。雪で年の半分は軍事行動がとれなかったヘスティア、その皇帝オスマンは桃華帝国北方を橋頭堡としたことで自在に全軍200万といわれる大軍事力を使えるようになっており、ラース・イラ戊辺の要たるガラハドとしてはこれを全力で挫く必要があった。結果としてこの羅関戦役で、ヘスティア軍は8万の兵力を8000まで減らす。彼らは後々まで、ラース・イラの赤き騎士団その脅威を語りぐさとする。


………………

 6日目。北路、鳳祥(ほうしょう)、ポイントA。


「気張ってくれよー、ここ抜かれるわけにいかねぇんだからよ!」

 無事アカツキ軍に帰陣したシンタが、ラース・イラの工兵に声をかけながら自らも槌を振るう。辰馬が構想した野戦陣というのは通常のそれより相当に巨大であり、鳳祥から西都にいたる街道、横幅20㎞にいたる地を、おおざっぱに3つのポイントでつないで相互に支援し合う。「境界七城」から構想を得た支城ネットワークを野戦でやろうというわけであり、その気宇と規模の大きさは辰馬の雄略大才を雄弁に示した。


「あの銀髪の嬢ちゃんも、とんでもねーこと考えるなぁ。使い捨ての野戦陣でやるこっちゃねーよ、これは」

「そりゃ、辰馬サンだからな!」

 工兵のおっちゃんと意気投合し、辰馬のことを我がことのように誇るシンタ。


同刻。鳳祥、ポイントB。

「物資は、こんなものか。よし次のチェック項目は……」

「ポイントA、Cとの兵站連絡ネットワーク、準備完了でゴザル!」

「妖精使い荒いんだから、あとでたつまには文句言うわ!」

 こちらでは大輔と出水、そして妖精シエルがめまぐるしく働いていた。辰馬のここのところとどまることを知らない昇進により彼らも上級士官として尉官に任ぜられており、人を使う、というスキルを必要とされるに至っている。辰馬の副官としてヒノミヤ事変の当時からずっとやってきた大輔は当然ながら、出水にもひとを動かす才があったのは意外と言えば意外だった。もちろん後世の視点から見れば、のちの赤龍帝国元帥と宰相。人を使うに長けて当然ではあるのだが。


 同刻。鳳祥、ポイントC。

「これで3点どこに敵が来ても、即時対応して三方から殴れる体制はできたな」

「……ご主人さま、こういう戦術、どこで?」

 まずは一山終えた、と息をつく辰馬に、瑞穂が驚いたというより呆然として聞く。かつて歴史好きではあっても特別、戦術に関して造詣が深いわけでなかった辰馬に軍略のいろはを教えたのは瑞穂だが、今こうなってみると辰馬の軍才というのは瑞穂以上だ。もちろん基礎的な部分で辰馬を支える余地はいくらでもあるのだが、瑞穂としては戦略における穣のように、全面的に頼ってもらえない分さびしさを禁じ得ない。


「どこで、って……頭ン中にぱっとひらめくんだが。なんかおかしーか?」

「い、いえ……」

「? まあいーや。三頭竜の陣、崩せるもんなら崩して見せろ、ヘスティア」


………………

 ヘスティア将軍ハールーン・アル・アッタリブは間諜の報告で新羅辰馬の三つ首の陣形をみて、これは一方を攻めればほか二方が呼応するものだと理解していた。理解はしたが、迂回もできない。横数十㎞の距離を大きく迂回していれば三つ首が合流して後ろから殴ってくるだろうから、戦ってここを抜こうというならどうあってもどこかに攻撃しなくてはならなかった。


「さて、どうするか……」

 ハールーンは一見凡庸に見えるさえない顔、その瞳に叡智の輝きをたたえて呟く。ここでハールーンが並の将才……あるいはマンスールと同程度の将器であったなら、しゃにむに我責めして奔命に被害を出したかも知れないが。彼はもっとクレバーだった。ここでハールーンは軍を停止、皇帝マンスールの来駕を待つ。8万を温存したまま後続の本体と合流、という、辰馬としては一番、取られたくない手を取られたことになる。


………………

「崩してみろ、つーたのに……向こうにも頭の回るやつがいるか……」

 辰馬はわずかに、声に苛立ちをにじませる。とはいえまだ完全にこちらを封殺されたわけでもない、三頭竜の陣形は健在で、敵の本体の進路をこちらに定めさせたと思えば最悪の結果でもない。辰馬はこのあと、羅関で勝利したガラハドと合流、ひきつづき鳳祥に布陣を続ける。

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