第11話 境界七城
南方でアカツキ元帥・新羅辰馬がラース・イラ宰相ハジルと単独講和を締結した時、すぐには東北の桃華帝国西都にそのことは伝わらなかった。神魔が遠ざかったことですたれつつあるとはいえまだ伝達魔術の使い手が絶滅したわけではなく、なにより長距離通信機や電話という手段もある。にもかかかわらず宰相ハジルは北へ自分の事情を伝えることをしなかった。
なぜかというに、西都にたどりついたときガラハドがかの地を落としていればハジルにとっては二重に都合がいいのである。まずヘスティアへの橋頭保として西都とその辺縁諸都市を利用できるということと、もうひとつは自分の伝令にもかかわらずガラハドが西都を落としたという濡れ衣をきせることができれば、ハジルにとってラース・イラではばかるべき存在はいなくなる。貴族院の連中などハジルにとって物の数ではない。彼は若き女王エレオノーラを廃して自分が王位に就くようなくだらぬ野心は持っていなかったが、世界を相手に自分の才能を想う存分試してみたいという思いはあり、そのために穏健派の女王とその庇護者ガラハドは邪魔であった。
なので、ハジルは辰馬にはすでに伝令を飛ばしたと説明しておきながら実際には意図的に情報を止める。そのため西都攻防戦はなお苛烈を極めた。
衝角をつけた工場兵器や巨大な魔獣が、城壁に突進する。頑強な西都の城壁もあえなく粉砕される……かと見えたが、城壁はまるで神の加護でも受けるかのようにびくともしない。城楼にのぼって祈りをささげるのはまさに【加護】の神力使いである人造聖女、晦日美咲であり、その左右には軍師参謀、神楽坂瑞穂と磐座穣の姿もあった。
「油を!」
瑞穂が叫ぶと用意の油が城下の攻城具たちにぶちまけられる。すかさず穣が神杖万象自在<ケラウノス>で着火、油は灼熱となって降り注ぎ、攻城兵器にとりついた騎士たちや巨獣たちを焼く。
それだけでは終わらない。穣は大勢の兵が脱落したといううわさを流し、出城の城門をあえて開ける。ラース・イラ勢がここぞと突撃してくるところ城門を閉ざし、惨たらしいほどの鏖殺でもって敵に報いる。
それでもなおラース・イラ優勢ではあったが、盲目の司令官北嶺院文にはまだ奥の手があった。新羅辰馬が攻めた東方からのルート上には存在しないが、もともとこの西都は対ラース・イラの防衛拠点。西方に向けては西都含めて7つの支城が林立し、互いに呼応し連携して防衛線をなす。これを「境界七城」といい、西都から近い順に堰都、郊邑、楽狼、巖門、高奕、枢星という。この六つの支城に文は将と、それぞれ4000の兵を入れた。堰都には呂燦、郊邑には戚凌雲、楽狼に長船言継、巖門に朝比奈大輔、高奕には出水秀規、枢星に覇城瀬名。
この支城ネットワークが機能して、戦況はかろうじて均衡、あるいはなおラース・イラ優位。
「桃華の岳淮将軍……、調略ではなく暗殺するべきでしたね……」
穣が呟き、瑞穂も力なくうなずく。美咲が「わたしが行きましょうか?」と申し出るが穣はかぶりを振った。瑞穂の密偵としての能力は承知しているが、それでも両軍厳戒状態の現状で敵陣に潜入しては命の保証がない。むかしヒノミヤの製鉄な天才だったころの穣なら決死の任務を命ずることもできただろうが、いまはできない。埋伏の毒として敵陣に潜入させたシンタも、敵をかく乱してうまく逃げてくることを期待していたのに失敗して捕獲されてしまったことを穣はいま自責しているくらいだった。新羅辰馬の過剰なほどの心配性を、もはや笑えない。
「さあ、帰りたまえ」
捕縛されていたシンタの縄目を解いたのは、誰あろうガラハド・ガラドリエル・ガラティーンそのひと自身。
「……いーのかよ、ガラハドさん?」
「ああ。この戦に大義はない。この際勝つべきではないのだろうが……まあ私は勝つのだがね。その前に筋は通しておきたい」
「えっらい自信だよなぁ……、ま、こっちもできるだけ抵抗させてもらうぜ、辰馬サンが間に合うまで粘りゃあこっちのもんだ」
「新羅辰馬か……個人の資質ならともかく、将としてはまだ負けるわけにいかないな……さ、行きなさい」
かくてシンタこと上杉慎太郎はラース・イラの陣から解放され
、枢星の覇城瀬名が放った偵察隊に発見されてアカツキ軍に帰陣。
ガラハドはシンタを解放して心に憂いをなくしたのか、ここから本気を見せる。6つの支城を一週間かけずにことごとく陥落させ、西都に迫るや水責めの準備に移る。西都の地形が平地であり、支城ネットワークのほかは流れる堰河の険に拠るとみて取るや、堰河を決壊させることを着想した。工夫に配下の騎士や自分自身も動員して、幅20メートル、深さ7メートルの溝を約3キロメートル。これだけの大土木工事をなしとげるのに20日とかけなかったというすさまじさだった。おり悪くいまは梅雨時。せき止められた堰河はみるみる西都を浸す。
ここまでか、と思われたそのとき、ラース・イラ領内を通過してガラハド隊後背に迫る軍隊。
「あの旗は宰相ハジル……」
誰かが呟き、全軍に絶望ムードが広がる。ここにハジルがいるということは、元帥新羅辰馬は敗北したということ。消沈して降伏準備をはじめる場内に、単騎馳せ寄せた人影がこう叫ぶ。
「なに落ち込んでんだ、ばかたれ! 北からヘスティア来るぞ、今からラース・イラと合同軍で迎え撃つ! 備えろ!」
まぎれもない、新羅辰馬の声。どんな魔術的手腕をもってしてか、宰相ハジルをすら味方につけてしまったわが総帥に、一度どん底まで落ちたアカツキ軍の士気は天井知らずで上がった。
「まずはこのジジイを斬る。呂将軍、問題ないよな?」
帰還した辰馬は早速合同軍幕舎に迎えられる。辰馬に付き従うのは先日までの総司令官、北嶺院文と作戦顧問・呂燦。ラース・イラからはハジルと、ガラハドの上位として岳淮が登場したが、辰馬は岳淮を見るなり斬ると言い立てた。
「報告書をみるとうちの損害のほとんどはこのジジイのせいだしな。こいつがいなけりゃガラハドは途中で和睦してたはず。だよな?」
辰馬の言葉に、ガラハドは言葉を発さず、ただ小さく首肯するのみで返した。客将とはいえラース・イラで貴族の位を受けてこの戦場には自分より上役として存在する老将に、ガラハドも遠慮がない。まったく辰馬の言うとおりにこの老人に苦労させられたから、含むところもあるのかもしれない。
「わ、わしは無力な老人ですぞ!? それを殺すと仰せか、なんと無慈悲な!」
敵とみるや「殺せ、殺せ」と騒いでいた岳淮は自分が殺される立場になると見苦しく騒ぎ出した。どちらにしても騒ぐのが鬱陶しい。
ともかく、辰馬たちも毒気を抜かれる。もっとふてぶてしく悪役然とふるまってもらえれば殺せたのだが、これでは弱い者いじめの構図にしかならない。後に禍根を残すかもしれないが、こんな雑魚を殺すための刃は辰馬もガラハドも持ち合わせがなかった。岳淮は拿捕されてラース・イラに護送されるが、その後この老人は豊富な財力を背景にラース・イラ宮廷に重きをなし、宰相に匹敵する実力を蓄え、ガラハドに害をなすに至る。が、そのことを今誰も知らない。
………………
あえて動かず状況を静観していたヘスティア皇帝オスマンは、間諜の報告に愉快気に笑んだ。
「どうやってラース・イラの至強に勝ってのけるかと思ったが。まさかラース・イラを取り込むとはな……」
「陛下、笑っている場合ではございませんぞ! 我が邦が精強とはいえ、アカツキとラース・イラ、2大国を同時に相手にしては勝算がございません! ここは退くべきかと……」
宰相ラシード・ハルドゥーン・バットゥータが言うのに、オスマンは笑みを潜めて宰相を睨みつけた。その視線はどこまでも冷たい。
「野暮を言うな、宰相。ここまで滾っているものを、一戦も交えずに帰ることができようか?」
8年前のトルゴウシュテとでは状況が違う。今回オスマンは全力で桃華帝国をつぶし、余勢を駆ってアカツキをも併呑する壮図を抱いているのであり、あのときも本気だったとはいえ、情熱のかけかたがトルゴウシュテ攻略戦とでは違う。
なにより彼は新羅辰馬と全力を競いたかった。大才は大才を知る。8年前、すでにオスマンは新羅辰馬という少年が自分の大陸制覇の野望の最大の障害となることを理解しており、辰馬に勝つか、さもなくば敗北して辰馬の走狗となることを心に決している。ヘスティアの臣民には悪いとも思うが、正直に言ってしまえば勝敗も、背負う国家すら彼にとってはどうでもいい。オスマンという男は為政者というよりむしろ戦争芸術家であり、その点間違いなく新羅辰馬という天才に酷似していた。
とはいえ負けてやるつもりもない。オスマンは左右に近侍する二人の将軍に令を下す。
「ハールーン、マンスール、卿らにそれぞれ8万を任せる! 存分に帝国の敵を蹂躙してくるがよい!」
号令する声はまぎれむなく帝王のそれ、配下の心をつかんで離さず、死力を尽くさせることのできる人間。それはこのオスマンと新羅辰馬のほかには存在しない資質だ。最強の騎士ガラハドですら、これほど絶対的なカリスマの備えはない。
「は、陛下! 8年前の雪辱、果たして御覧に入れましょう!」
「拝命いたしてございます! わが君は偉大なり!」
ハールーン・アル・ワッタリブ、マンスール・イブヌル・ワッカースは8年前のトルゴウシュテで辰馬の前に手もなく翻弄された若手の将校だが、この8年間で多くの征戦、内戦を経験して一流の将帥に成長している。二人が軍靴を鳴らして退出していったあとで、皇帝オスマンは薄く笑って見せた。
「まずは前哨。あの二人をはねのけることができぬようでは、余の前に立つ資格はないぞ、新羅辰馬……」
試すような、あるいはその試練を辰馬が乗り越えることを確信しているような言葉。しかるのち彼は細君シュテファン・バートリとトルゴウシュテ軽装騎兵隊を前線に呼び寄せた。辰馬を弟と愛でる妻と戦わせるのは少々心が痛むが、万難を排して勝利をつかむためにはやむなし。
かくて、アカツキとラース・イラの戦争は同盟締結により終結。ついでアカツキ=ラース・イラとヘスティア間の戦争が始まる。
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