第10話 盤根錯節

 三位侍従大将軍、伽耶朝臣(かやのあそん)新羅辰馬に知行として与えられたのは、伝説によればこの時点で100万石といわれる。辰馬の才覚力量を至当に見抜いた永安帝は26歳の元帥に才覚に見合うだけの石高を与えたのだ、という話なのだが、実のところ辰馬はこの時点で米120俵という実につつましやかな禄しかアカツキという国家に支給されていない。新羅辰馬という人物が真実アルティミシア9国史の大英雄として台頭するのはまさにこのアカツキ、ラース・イラ、ヘスティアによる三国会戦からであり、自らの禄で養う部下は上杉慎太郎30俵、朝比奈大輔30俵、出水秀規30俵の子飼い三人以外に一人もない。現時点では新羅辰馬という青年がどうなるか、まだまだわかったものではなかった。


 なので、この時点での新羅辰馬には公式な手紙の書き方などもよくわからない。自分より上位の者、あるいは他国の人間に手紙を出す場合には謙譲語やらなんやら、非常に煩雑な決まりごとがたくさんあるわけだが、辰馬はそのあたり、今まで神楽坂瑞穂と磐座穣に任せきりできた。いかに万能の天才とはいえ、急遽必要に迫られて書けるほど公文書の書式というのは簡単なものではなく、そんなわけで辰馬は懊悩していた。


「これじゃ……違うなぁ。文体固くすりゃいいってもんでもねーし……。そもそも宰相ハジル宛ってことはテンゲリのクヌパ文字? 使った方がいいのか……いろいろ難しい……、誰か先生おらんかな、ここに。一人じゃわからん」

「んー? 先生って、呼んだ?」

「しず姉か……。体育教師じゃーなぁ……、役に立たんわ」

「ちょ、その言いぐさは聞き捨てならないよ、たぁくん! 体育教師だって一通り学問は修めてるの。幼年学校の先生になってからいろいろ勉強する機会も増えたし、たぁくんが思ってるよりあたし頭いーからね!」

「そーか? じゃあ、これ見て」

「お手紙? あたしにラブレターかな?」

「ちがう。なんで今更しず姉にラブレター出すんだよ。おれがしず姉に惚れてることなんかもうとっくに知ってるだろーが。じゃなくてハジルに……」

「きゃはぁ~♡ もー一回、もっかい言おう、たぁくん!」

「は? なにが……?」

「『おれはしず姉に惚れててしず姉なしでは生きていけないんだ』ってとこ、もう一度!」

「そこまではゆってないが……。まあ……しず姉に惚れてるのは確かだな」

「うっ……きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~! はう! はう! はうぅっ!」

「ど、どーした……?」

「た、たぁくん……たぁくんおねーちゃんを萌え殺す気っ!?」

「なんだ、言えばいいのか言ってマズかったのかさっぱりわからんが……そもそもおれがこーやって軍人やってんのも、王侯になってしず姉たちを誰憚ることなく嫁にするためなんだから……いまさらだろ?」

「うーっ、なんでそんなクールな言い方になるのかなぁ、でもクールなたぁくんもしゅきぃ~♡ 結婚しよ?」

「だからそれはおれがもっと偉くなってからな。それはいーから……書式とかちゃんと正式なもんになってるかどーか……わかるか?」

「んー……たぶん。たぁくん草稿書いて。あたし書き直すから」

「できる?」

「あたしを誰だと思ってんの? 雫おねーちゃんだぞ?」

「いや……おれの中にその雫おねーちゃんが頭いいイメージがないわけだが」

「しつれーな。ま、今から見直すといーよ!」

「あー。そんじゃ頼む……あと2日で交戦距離に届くからな。あんまし時間もないが」

「はーい、がんばろぅっ!」

 そうして、辰馬と雫はラース・イラ宰相ハジルに宛てる手紙を認(したた)める。


………………

 シンタこと上杉慎太郎はラース・イラ第一騎士団のなかにあって無聊をかこっていた。シンタの投降が真実であれ虚偽であれ、降将にすぐさま一隊の指揮権を与えるほどガラハド・ガラドリエル・ガラティーンは甘くも軽率でもない。なのでシンタとしては旺盛な行動力を持て余しているところではある。


その間、情報収集に努める。もと桃華帝国臨時政府総裁、鎮西将軍岳淮はおなじ裏切り者として親近感を感じるのかシンタに自分から接近してきたから、この男から情報を引き出すことは難しくなかった。「そらすごいっスね!」とか「さすがっスよ岳将軍!」とか適当におだてておけば気分良くなって勝手にしゃべってくれる岳淮を掣肘する権限の持ち主がこの軍にいない……名目の上ではあるが、この軍の司令官は岳淮であってガラハドは指揮官に過ぎない……ために、ラース・イラの機密はシンタに筒抜けになった。


「つーても、これどーやって知らせるよ……」

 こっそりつけたメモをもてあそび、シンタは頭を悩ませる。すでに最初から周知のとおり、シンタは神楽坂瑞穂、磐座穣の両軍師がラース・イラの内側に打ち込んだ楔であった。最初の杖刑はまぎれもない真実だったが、その事実を活かして策に転用すべく頭をひねったのは瑞穂と穣。


「瑞穂ねーさんかみのりんか、この先どーすりゃいいか教えてくんねぇとわかんねぇよー、オレ、バカなんだから……」


………………

その間、ガラハドは軍を雷電の速度で動かし、西都の周辺都市4つを落とす。岳淮が『アカツキに寝返った逆臣ども』とこれらの都市の民を虐殺しようとするのを諌止し、見事な慰撫工作で民を味方につけたガラハドだが、彼らに対して西都攻略の手助けを乞うもなかなか思うに任せない。わずか数か月の統治者に過ぎなかった新羅辰馬の統治がよほどに心地よく、彼ら日和見な民衆をして裏切りをよしとさせない気風を醸成していた。これに再び怒りを発したのが岳淮で『それなら死ね!』とまた民を殺そうとするのを、ガラハドは必至で止めなければならなかった。


少なくともの糧秣の提供だけは受諾させ、糧の問題はクリアしたガラハド。しかし桃華帝国内地にきて、士気が上がらない。これまでガラハドはあらゆる強敵をその剣でたたき伏せてきたが、統治者としての器・徳で民を味方につけるという戦い方をされた経験はこれまでにない。というよりこの時代この世界に、【仁慈の徳】というものが武器になると思った人間はおそらく存在すまい。当事者である新羅辰馬自身にしてからが、そんな効果があるとは思っていなかったはずである。


一方対照的に「新羅公の帰る場所を護る」という西都勢の士気はすこぶる高い。これが上がらないラース・イラ軍の士気と相俟って、ラース・イラ20万に対してアカツキ勢は2万+新規募兵の2万で4万前後だが、籠城戦であるということとこの士気の差で十分に戦えている。


「無理に戦う必要はありません! 受け止めて支えるだけで! 赤い鎧の騎士には勝てません、持ち場を放棄していいですから退却を!」

 神楽坂瑞穂は声を枯らして叫ぶ。赤い鎧の騎士とは当然、ガラハドそのひとのことであり、瑞穂はガラハドを避けて騎兵突撃の勢いをそぐ急ごしらえの出城を、西都西辺に築く構想だった。


 いま一人の軍師、磐座穣はその能力「見る目聞く耳」を全開にしてひたすら戦場全体の俯瞰に徹する。穣がつかんで分析した情報をもって、瑞穂が現場各位に指揮を飛ばす。本来指揮を執るべきは総大将代行の北嶺院文なのだが、両目の視力がない状態では穣や瑞穂の足手まといにしかならない、重大な決断以外は二人の巫女軍師がほぼ掌握することになった。


………………

ガラハドが前線に出ているこのころ、ラース・イラの本営に一隊の商隊が接近、物資を売りつけたことに疑念をさしはさむ者はいない。商隊というのはこういうときにこそ働くものだからだが、その商隊にやや小柄な、赤毛の青年がいることもラース・イラの士官たちは見逃してしまう。その青年……男性に変装した晦日美咲はその間に上杉慎太郎と連絡を取り、ラース・イラの機密情報をアカツキに持ち帰った。これで勝利の天秤はまた、わずかにアカツキ西都勢に傾く。


 ガラハドが統べる軍とはいえ完全無欠ではない。ガラハドは完璧な人間と言って過言ではないが、その下にいる兵たちはいたって普通の凡夫がガラハドという巨大なカリスマのもとで団結しているに過ぎない。そこのところのつなぎ目を一つ一つほどいていけば瓦解させることは不可能ではなく、そしてそれらの工作は磐座穣、ヒノミヤが誇る最大の天才の最も得意とするところである。


 この状況でシンタは岳淮にささやき、投降組の自分たちがここで戦況を覆す働きを見せれば大殊勲、と岳淮の功名心を刺激。岳淮はガラハドに相談役として意見を申し入れ、これに反対できないガラハドはやむなく岳淮に2万、シンタに5千を与えた。


 シンタはこの5千人で当然、ラース・イラ軍内部を擾乱。遊撃の撹乱先鋒を得意とするシンタに幻惑されてまず岳淮に与えられた2万が同士討ちをはじめ、ガラハド直接統制下以外の諸将もつられて同士討ちをはじめる。シンタはガラハドにつかまる前に脱出を図る手はずだったがガラハドもさるもの、迅速に事態を収拾して首謀者であるシンタを拿捕、捕虜とした。


 かくて戦況は膠着。しかし両軍がにらみ合う間に、西都の北から馬蹄がとどろく。北方の雪王、ヘスティア皇帝オスマン率いる重装騎兵隊の猛威が迫ろうとしていた。


………………

 そうこうする間に辰馬と雫も交戦に入っていた。


 兵力差は8万対40万、ハジルの将器はガラハドほどではないとはいえ当代一流、最初から苦戦は必至であった。とくにハジル子飼いの軽騎兵「鉄騎隊」はガラハドの第一騎士団、セタンタの第二騎士団に次ぐ戦闘力を誇るラース・イラの主力。機動力と打撃力を兼ね備えた敵の機動に、辰馬も当座の数日は翻弄される。


 が、軍としての完成度はともかくとしてそれを用いる人間は完璧ではない。鉄騎隊隊長オリヴァ・クロンデイルの用兵が突撃から反転離脱するまでの間に生じる隙を見出すと、辰馬はすかさず麾下の弓隊、鉄砲隊、魔術砲兵隊にそこを集中砲火させクロンデイルを負傷させた。後任の鉄騎隊隊長は指揮統率力においてクロンデイルの比ではない、辰馬もここで騎兵2万を(指揮官は辰馬ではないが)出して、さんざんに敵を打ち破る。破られたラース・イラ軍先鋒は崩れるのをどうにか支えながら後退しようとするが、その退路を横撃する歩兵の抜刀隊は牢城雫指揮。


「やっちゃえーっ!」

 可憐な声に似つかわしくない、苛烈な突撃。雫隊は数こそ1000人そこそこだったが逃げ惑う敵騎兵隊を右に左に斬り立てて戦果を拡大し、おおいにアカツキ勢の武威と士気を高めるのに一役買った。


 そしてこのとき、ラース・イラ宰相ハジルの本陣に、アカツキ征北大将軍新羅辰馬からの親書がもたらされる。


「親書? 降伏か貢納か。それ以外の和約など私もわが邦も認めんが」

 そう言うハジルは50を過ぎてなお精悍な美貌を誇り、野趣にあふれるその顔立ちは宰相というより武将のそれ。戦場に深紅の宮廷衣装をまとっての出陣は、国家の権を担うものとしての矜持か。少なくとも簡単に和議を呑むとは思われない赤毛赤衣の宰相に、アカツキの使者は伏して密書を届ける。


 ハジルの鋭い瞳が、密書に落ちる。最初笑止と言わんばかりにゆがめられていた口の端が目元が、やがてなにか失ったものを追想する顔になる。


「……アカツキ国内にテンゲリを独立領として復興させる……これは永安帝の言葉か?」

「い、いえ……主上ではなく……、わが主君、伽耶朝臣新羅辰馬公の言葉であります……!」

「ふむ……この言葉を違えたならラース・イラの全軍120万でもってアカツキ全土を殲滅するが、新羅公とやらにその覚悟はありや?」

 このとき。

 この名もなき使者が口にした言葉が歴史を変える。


「わが君は至誠にしてその言葉は千金。妄言虚言はもっとも忌むところでありますれば、けっして嘘偽りはございません!」


 にらみ合いになった。

 相手のわずかな嘘も隙も見逃さず、叩き伏せようとするハジルと。ただひたすら主君・新羅辰馬への信を貫き敵国の宰相にも屈さぬ使者。


 実際の視線の交錯はわずかな時間だったが、使者にとっては劫に等しい須臾の間が落ちて。

「新羅公に伝えよ、約を違えることあらば汝の死をもって贖え、と」

 ハジルはそういって小さく笑うと、紅衣の襟を寛げた。翌日、アカツキ皇国征北大将軍・新羅辰馬はラース・イラの幕舎に招き入れられ、堂々たる態度でラース・イラとの講和条約に調印。そのままハジルとともにラース・イラ領内を通過して北東、桃華帝国旧領へと向かう。アカツキ京師では新羅辰馬の魔術的手際による講和成立が伝えられ、辰馬は武威のみならず政治・外交手腕をも兼ね備えた英雄としてその人気はいよいよいや増す。永安帝も「あいつはワシが抜擢した」とご満悦だが、この時点で彼はテンゲリ復興が講和の条件だとは知らない。

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