第9話 苦肉
南侵を続けるラース・イラ軍がガラハド率いる第一騎士団ではないことは、交戦ギリギリまで秘せられた。この数を運用して陣容を見事隠蔽してのけたあたりに、宰相ハジルの真骨頂がある。そして国境で実際の初撃。敵がガラハドではないと安心してしまったアカツキの防衛部隊は鎧袖一触で蹴散らされてしまう。もともとハジルは遊牧騎馬民族の王子であり、騎兵の運用にかけてラース・イラの名だたる将帥の中でもガラハドを除けば図抜けているといっていい。これまで宰相として帷幄に籌を運(めぐ)らすに終始してきた男の本気は、一瞬でアカツキ北辺を圧伏した。
これに対し、新羅辰馬は太宰に篭城することをよしとせず、得意の野戦に出た。籠城戦はどうあっても城内の民に被害が出てしまうので、攻城戦にしろ籠城戦にしろあまり好んでやりたくはない。
というわけで太宰を出る。手元に禁軍が揃っていないと安心できない永安帝のため大元帥・本田姫沙羅と榊原、酒井元帥には20万で京師に残ってもらい、辰馬が今回率いるのは8万。これまで率いてきた兵力より格段に多勢とはいえ今回の敵は40万、この5倍であり、そして辰馬が桃華帝国旧領にのこしてきた新羅軍団のような兵士たちとの紐帯間もはぐくまれていない。8万を全面的に頼るには危険だった。
ともかく、太宰から北に12キロ行軍、少弐を経て、聖公(せいこう)で停止。アカツキの京畿地方は都市計画をもって建設されているので、6キロごとに町がある。これは補給のために非常に都合がいい。聖公の町は東西戦争の英雄で辰馬の祖先でもある伽耶聖を奉ずる街であり、国防に打って出る若き大将が伽耶の子孫であると知れると大いに威勢湧いた。従軍希望の若者が引きも切らず、実際彼ら非戦闘員を従軍させて役に立つものでもないから受け入れは拒否するが、こういう光景があると士気は上がる。
夕食は聖公の町を挙げての大盤振る舞いになった。大して富裕な町とも思えない聖公がこれだけのことをするのは辰馬たちへの期待の大きさであり、一度それを受けたからには辰馬たちは期待にこたえなければならない。
「宰相ハジル、カリクフラ伯。旧テンゲリ公国王子……テンゲリって、昔永安帝に滅ぼされた国か。そら、恨みもするわなぁ……」
夜、幕舎で情報収取。集めた情報を勘案していくと、ハジルという男の全体像がおぼろげに見えてくる。かつて二十歳にも満たずに超大国アカツキの、永安帝率いる大軍を蹴散らした、統率力と人望優れ未来の名君と言われた男。それが永安帝の逆恨みにより国を滅ぼされ、家臣たちの命がけの尽力でかろうじてラース・イラへと亡命。金髪以外の人間が軽視される風潮のあるラース・イラでその赤毛を嘲られながらも着実に実績を重ね、宰相にまで上り詰めた。実力才幹傑出し、さらにいうなら実力以上に彼を支えるのは執念の強さ。
「たぁくんお勉強中? ポテチあるよポテチ」
雫がやってきてバスケットいっぱいのフライドポテトをかざしてみせる。「ん、食べる……」雫が対面に座り、間にバスケットを置いた。二人してしばらく黙々と食す。
「しず姉テンゲリって国知ってる?」
「あー、あたしが生まれたころになくなった国だねぇ。詳しいことはわかんないや、ごめんねー」
「んー……古参兵のオッサンたちに聞けばわかるかな。できればテンゲリの生き残りとかに話聞けると一番いーんだが……」
「生き残り……いるかな? 徹底的に殲滅したって話だから……」
「ホント永安帝はつぁーらんことしくさるよなぁ……、ま、探してみよう。こーいうとき晦日がいてくれるとすぐに探してきてくれるんだが……」
「あたしはそっち系得意じゃないからねー……」
二人して溜息をつきあう。とはいえ辰馬の中には戦略案が固まりつつあった。
「ま、そのためにはまず野戦で勝つ必要があるが……」
……
…………
………………
そのころ旧桃華帝国南方、新羅軍団。
1日に10~12キロという行軍距離の常識を超えて、ラース・イラ第一騎士団は疾風迅雷、アカツキ国境守備隊を蹴散らしそのまま桃華帝国領に猛進した。行軍スピードの秘密は携行食で、小型のシリアルタイプの食料を個々人が携行することで彼らは鈍足な輜重隊をほとんど使わずに進軍する。その行軍速度は旧来に倍した。
一度占領して自領とした土地を、馬蹄に荒らさせるわけにはいかない。新羅軍団は出陣し、総大将・北嶺院文、右軍師・神楽坂瑞穂、左軍師・磐座穣、作戦顧問官・呂燦、上級士官・長船言継、戚凌雲、下級士官・朝比奈大輔、上杉慎太郎、出水秀規、覇城瀬名、月護孔雀のうちまず最初に出陣したのはシンタ。野戦築城用の材木(これは西都復興用の資材が潤沢にあった)を総員が抱え、敵騎兵隊の前に出るなり築城開始、防衛陣地を築いて斉射戦術、二列に構えてマスケットを撃ち、撃っては前後の列を交代し、また撃つ。ついでに魔術が使える兵は魔術砲弾もぶっ放したが、やはり神魔の干渉力が減って精霊力も低下している現在、魔法の弾丸もそれほどの威力は出せない。シンタの「雷帝インドラ」ならまだ一部隊をなぎ倒す程度の威力はあるだろうが、敵全体のうちのたった一部隊を倒すために指揮官クラスであるシンタが無用の消耗をするわけにもいかないのだった。
近年の戦争は銃弾と甲冑の相克の歴史。最初銃弾の前になすすべもなく撃ち抜かれたことで板金鎧の騎士は歴史から消えるかと思われたが、甲冑はその冶金技術の発展、そして形状の工夫により銃弾を弾くに至って復権する。しかし銃がそれまでのマスケットから最新鋭の旋状銃(ライフル)に代わると甲冑はふたたび貫かれ……というのを繰り返してきた。そして今回の戦では甲冑の防御力に軍配が上がる! 銃弾の雨の中、随所に絶妙な窪みをつけられた甲冑は弾丸をことごとく弾き返し、突き進む。おそらくは神聖魔術の加護も受けての防御力だろうが、どれだけの術者が命を縮める思いで加護を付与したのか。
ともあれ、接戦になれば一瞬で粉砕される。シンタはそう判断してすぐさま逃げを打った。「撤退! 退くぞ! こんなんどーしようもねぇ! 死にたくなかったら走れー!」いうや自分が先陣を切って逃げ走る。こちらは歩兵で向こうは騎兵、防衛陣地が抜かれる前に敵を振り切らなければ命が危ない。
ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンはその防衛陣地を一瞬で抜いた。そのまま追撃に移ろうとするガラハドを、しかし岳淮が止める。岳淮は政敵である呂燦の実力を高く買っており、もろすぎる敵の撤退、これを誘いの罠ではないかとして躊躇する。実際のところこの交戦はシンタが一人で先走っただけのもので後ろに呂燦はいなかったわけだが、この疑心暗鬼が結果としてシンタの命を救う。この戦争におけるカギを握るのが、実のところこの岳淮の、野心家でありながら臆病に過ぎるゆえの自縄自縛であった。
「一当たりしてきた。あー、やばかった。殺されるかと思った……あれどーにもなんねぇよ、辰馬サンいればともかく」
戻ったシンタはそう報告。だが○○がいないから勝てない、などという言い訳は、正規の将軍としては通らない。シンタは鞭200の刑に処せられ、容赦なく打ち据えられた背中は薄く骨が透けた。
幕舎で痛みに呻くシンタを、瑞穂と穣が訪ねる。その後まもなく、シンタはアカツキの陣から去ってラース・イラの軍営にはしる。
ガラハドと岳淮はシンタを引見、ヒノミヤ事変の当時にシンタを一瞬とはいえ見ているガラハドはこの投降をおそらく詐り、と看破するが、シンタが見せる背中の生傷を見せつけられるに及び判断が難しくなる。
「辰馬サンがいなくなったらほかの連中がえらっそーにのさばりやがってよぉ、オレは辰馬サンがいねーアカツキに心中するつもりないんで!」
現在、西都に新羅辰馬がいないことは間諜の報告で確認済み。新羅辰馬不在で扱いが悪くなったところに不当な刑罰を受けて、アカツキに見切りをつけた……というならありえない話ではない。ガラハドが10年前に見たところでもシンタの辰馬への傾倒ぶりは著しかったから、辰馬不在のアカツキには忠誠を持たないといういいように説得力はあった。
それでもなおガラハドが策を疑うのは、磐座穣という少女の存在を知るゆえだ。かつてヒノミヤにあったとき、彼女の神算鬼謀には舌を巻かされた。何十何百手先を読み切っての策の打ちようには背筋の凍る思いがしたものである。
しかしここで岳淮が口をはさむ。
「策ではあるまい。上将ならともかく、偏将一人の寝返りで戦況が変わるものでもない。受けてやりなされ、ガラティーン将軍」
あらかじめ、利にさとい岳淮に進上した西都の財物がモノをいった。「岳将軍がそれでよいのであれば……」ガラハドはそういって、ようやくシンタを受け入れた。こうしてシンタ率いる銃士隊2000はラース・イラに再編される。
夕食後、シンタが一人でいると、ガラハドに声をかけられた。
「上杉君」
「あ? 何スか、将軍」
「正直なところ、私は君が本当に降ったとは思っていない」
「……」
「が、君たちの策が私を打ち倒し、この戦争を早期に終わらせる役に立つのなら、それでいいと思っているよ。……ではね」
「…………かなわねーなぁ、なんか……」
重たい甲冑に音もたてさせず歩き去っていく世界最強騎士の背中に、シンタはそういうほかない。とはいえ、苦肉の策も全部お見通しのうえで自分を破ってみろというのなら、それはもう、やってやるしかなかった。
……
…………
………………
聖公から2、3の都市を抜けると、広がる辺境地帯には補給都市などもはやない。幸いにして今回、食料と水に関しては潤沢な用意があるが。
「で、この人がテンゲリの生き残り?」
「は。北西の小集落で10人ほどが生存しておりました」
「そか……10人かー……」
小部族とはいえかつては数万人いたはずの一族が、いまでは10人。永安帝の執拗な殲滅ぶりを考えると吐き気がする。というよりそもそもからして戦争というものの罪業に吐き気がして、自分の職業というものへの嫌悪感も新たになってしまう。しかし、軍人……将軍でないとできないこともあるのもまた確か。
「おれはあんたらに新しい国を作ってあげたいと思うんだが……、よけーなお世話かな?」
努めて。最大限優しく、恩着せがましくないように。新羅辰馬はそういった。
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